2009年10月26日 (月)

雲取山登山報告書

雲取山登山報告書

10月会山行 担当 萩原 茂

【実施日】10月17日(土)から18日(日)

【場 所】雲取山 雲取山荘テント泊

【電 車】東小金井6時48分発~国分寺~東村山~所沢~西武秩父駅8時48分

【バ ス】西武秩父駅910分発 三峯神社1025分着

【タイム】

17日 三峰神社10時間35発…12時35地蔵峠13時間4分お清平…14時34分白岩小屋15時間58分大ダワ…16時40分雲取山荘テント場                   「行動時間6時間5分」

18日(A班)4時起床 雲取山荘テント場6時5分…6時39分雲取山…8時25分七ッ石山…11時5分小袖川バス停「行動時間5時間50分」11時33分バス 「メンバーは萩原2名・池上」

(B班)七ッ石山…14時0分奥多摩駅 「行動時間7時間55 分」

「メンバー合田、桑原、楠田、山崎」

【費 用】電車:東小金井~西武秩父760円 バス:西武秩父~三峯神社900円 テント1人300円 食材及びガス2缶で1人千円 

【食 料】☆夕食「トン汁・ごはん・さんま缶 」☆朝食「雑炊」

【参加者】萩原茂 萩原和子 山崎 合田 楠田 桑原 池上

【感 想】

  当初10月の会山行としてバスハイクを計画していました。これは、電車、路線バスでの山行では山域が限られてしまい、どうしてもマイカーを利用しての山行が多くなっていきます。マイカーでの問題点として交通事故が起きた時に責任の所在などありますので、避けたい意味あいからバスハイクが総会で年間の会山行として計画されたと認識していました。

  しかしながら、参加者を募集してみますと10名そこそこでした。これは、バスハイクの会補助金を当てにしても一人の負担金が割高となってしまい担当者としましては、この人数ではキャンセル料の問題もあり中止せざるを得ませんでした。バスハイクを成功させようとの会員の認識が足りないと思い残念でした。

  そこで、電車、路線バスにこだわりましてオーソドックスに雲取山テント山行としたしだいです。磐梯山に比べたら紅葉は物足りない場所でいたが、三峯からは初めての人や、半世紀ぶりの人、それぞれ満足したと思います。

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2009年10月14日 (水)

日光女峰山(2,483m)

会山行

日光女峰山(2,483m

井上 汎

日 時:200995日(土)~6日(日)

参加者:関・越前屋・萩原茂・桑原・井上秀・井上汎・蝦名・

        大嶋・長岡・合田・楠田・山崎

コースタイム:

  9/5 武蔵小金井駅(17:15)→大泉IC→佐野SA

            日光IC→霧降高原駐車場(21:00)

9/6 駐車場(5:10)→小丸山(5:55)→      

     焼石金剛6;30)→赤薙山(7:05)→

    赤薙奥社跡(8:00~8:10)→

 2、295峰(8:50~9:15)→

 女峰山(10:30~11:15)→

 水場(11:55~12:10)→赤薙奥社跡

(13:05~13:20)→焼石金剛(14:20~ 14:30)→駐車場(15:20)

 昨年は、天候不良のため中止になったので、2年越しの会山行計画となった女峰山。個人的にも、数年来果たせないままきた、登ってみたい山の1つだ。今回は、まずまずの天気に恵まれ、参加者12名全員、頂上を踏むことができた。ガイドブックによると、テントを張った駐車場からの標高差は1,100m余、水平距離は往復約14キロ、所要時間は約8時間45分とある。実際に、たっぷりと歩き甲斐のある山であった。

5日夕方5時、12名が2台のクルマに分乗して、霧降高原をめざして出発。大泉IC

までは、何箇所も渋滞に巻き込まれながら進んだ。高速道路は、順調に走った。誰かがまん丸の月を見つけた。今夜は十五夜だったのだ。佐野SAで休憩。レストランコーナーで、各自好みのメニューを選んで夕食をとる。日光ICで降り、東武日光駅前を通過、今夜のテント場のなる駐車場に21時頃到着した。途中、クルマのライトで霧が出ているのがわかった。すぐにテント3張を設営。一杯組をおいて、早々に寝袋にもぐり込んだ。夜中にテントに落ちる雨粒の音がきこえた。

 6日朝4時、12人とおき始めた。外はまだ暗い。何と、弱いけど雨が降っていた。一瞬不安がよぎる。ともかく各自持参の朝食を済ませた。

 5時過ぎ、雨も止んで、ようやく明るくなってきた。予定通り駐車場(1,350m)を出発。小丸山までは、リフトの脇の広葉樹林の中の登山道を登る。道は幾すじもあって、土が露出している所は、見るからに滑りそうだ。2030分も歩くと汗ばんできた。服装の調整をした。

リフトの終点となる小丸山(1,601m)は、小広い平坦地で、いくつかのテーブル・ベンチがあり、休憩にはちょうどよい。ここから、焼石金剛の先までは、ツツジの潅木と笹に覆われた、なだらかな尾根で見通しのよいところだ。赤薙山ののぼり、コメツガの樹林帯の中の道は、歩きにくかった。表面の土が流されて、木々の根が、足元を邪魔するように張り出している。傾斜もかなりきつかった。赤薙山(2,010m)山頂は、樹木に囲まれて展望は無い。立派な石造りの祠があった。反対側を下るとすぐに赤薙山の北側を巻いている。巻き道の標識が出ていた。復路では、この巻き道を使った。その先、ところどころ岩場もある。幅の狭い尾根が続いた。木々にかこまれていなかったら、ちょっとスリリングかもしれない。さらに登りついたところが、赤薙奥社跡だ。休むのにちょうどいい平坦地になっている。縦間から、これから行く尾根すじが見渡せる。

奥社跡からは、樹林の中をいったん下り、登り返すと歩きやすいたいらな尾根道をたどるようになる。この部分は、一里ガ曽根と呼ぶようだ。尾根上いたるところに、シャクナゲが茂っていた。花が咲く頃は、どんな景色になるのだろう?

 2,295mのピークは、ごろごろした岩の広場で、360度の展望が楽しめる。女峰山が間近に迫ってきた。でも、遠くの山々は、雲のかたまりが幾つも浮いていてはっきり見えなかった。ここから、ガレ場を下って、ほどなく右へ20~30m入ったところに、ビニールパイプの先から、手の指ほどの水量の水場があった。帰り路に立ち寄って充分味わってきた。

 さらに樹林の中を登り、地図上の2,318mのところで、道は左に曲がる。1箇所ロープが張られた岩場を乗り越すと、右側が切れ落ちたヤセ尾根を進むようになる。山頂は目前だ。駐車場をでて5時間余り、1030分頂上到着。握手!握手!握手!

 我々とほぼ同時に、唐沢小屋方面から78名のグループが着いて、女峰山の標識の周辺は、写真撮影のため、一時込み合っていた。きょうは、他に単独の人、二人組のあわせても数人しか出会わなかった。

 昼食時間をかねた休憩で、頂上には45分間ゆっくりしていた。1115分下山開始。一度歩いたルートは、安心感がある。全員快調なペースで歩き、水場、奥社跡、焼石金剛で一本たてながら、駐車場には、1520分帰着した。

 帰りのクルマも順調だった。とはいうより、うしろの座席に座っていたので、いつの間にか居眠ってしまい、急迫の時間が出来ていたようだ。佐野SAで一度合流、交通費の精算をして、一応の解散となった。

 クルマを貸してくださった大熊さん、ありがとうございました。クルマの運転を担っていただいた皆さん、そして、テントの面倒をみていただいた皆さん、ありがとうございました。

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2009年9月30日 (水)

八ケ岳山行報告

八ケ岳山行報告

新堀

日時    平成21919日~21日 (2泊3日)

参加者   関 桑原 楠田 榎本 山崎 大熊 新堀 (7名)

コース   美濃戸口~赤岳鉱泉(泊)~行者小屋~阿弥陀岳~ 

            赤岳~横岳~硫黄岳~赤岳鉱泉(泊)~美濃戸口

 冬の八ケ岳山行は毎年のように実施されていたが雪の無い時期にはなかなか計画されず、私も初めての山行となりました。

 当初、電車バスの予定でしたが、急遽、車になり美濃戸口山荘まで乗り入れたため、赤岳鉱泉までの歩行時間がかなり短縮され、久しぶりの思いリュックも苦にならず12時にはテント場についてしまいました。まだ登山客も少なくテントもよい場所に設営でき、まずは一休み。まだ夕食の準備には時間があるので、すでにおいしい水(?)を飲み始めたグループを残し、リーダーの案内で4名は行者小屋手前の中山展望台までトレッキング、明日のコースを一望して1時間程度でテント場に戻り、さあ皆に期待されている夕食の支度、女性は私1人、皆、手伝ってくれ早々と賑やかな夕食になりました。

 見事な夕焼けを眺め、明日の天気は大丈夫と確信し、7時前にはシュラフにもぐりこみ長い夜を迎え一日が終わりました。

 2日目、夜遅く大分風が強かったので心配しましたが快晴、昨夜用意しておいたサンドウィッチで朝食、6時出発、コースを変更して阿弥陀岳から登り始めました。

 

リーダーの気配りでゆっくりと登り、行者小屋を経て乗越まで約2時間、尾根に出たら大パノラマ、雲ひとつない雄大な山並みと、これまで見たこともないくらい美しい富士山が出迎えてくれました。急登の阿弥陀岳を慎重にクリア、冬にこんな所をよく登ったものだと自分の無謀さにあきれながら、赤岳山頂に10時過ぎに到着、多くの登山者で写真を撮るのもままならず小屋前で休憩、一息いれてさわやかな風と360度の絶景のなか横岳から硫黄岳へと登り、2時、最後の頂上へ到着。あとはのんびりと下山。赤岳鉱泉に320分に着きました。即、生ビールで乾杯! 14時から長い夕食タイム、和気あいあいと山談義に花が咲き疲れも吹き飛び一日が終わりました。

 翌朝も良い天気、名残惜しく下山、9時駐車場に着き、八ケ岳道の駅で温泉、お蕎麦を賞味して、渋滞にも巻き込まれず2時過ぎには帰宅しました。

 今回、岩場、鎖場、ハシゴの連続で緊張しましたがリーダーのフォローを受けながら本当に楽しく縦走出来ました。

 皆、ベテランの人達ばかりのパーティで安心して登ることが出来、感謝です。また、車を出して下さり、費用も小額で済みました。ありがとうございました。

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2009年9月14日 (月)

火打・妙高山行報告

火打・妙高山行報告

関 哲夫

日 時  平成218月1日()3()

場 所  火打・妙高山

交 通  電車・バス

宿 泊  テント

天 気  雨

参加者  関 越前屋 桑原 楠田 長岡 山崎 榎本 新堀 蛯名

コース・タイム 

81日 東京→松本→長野→妙高高原→笹ヶ峰

82日 笹ヶ峰→富士見平→高谷池ヒュツテ→火打山(往復)

         5:45   8:10     9:00      11:00

         16:00 13:45    12:40     11:15   

83日 笹ヶ峰→妙高高原→長野→松本→東京

8月1日 曇り~雨

先の白根三山縦走計画も雨で北岳の往復のみとなってしまった、今回は好天であることを願っての取組となった。

初日は青春18キップでのんびりと電車の旅を楽しむこととする。

八王子駅で松本行に乗車、乗客は少なめで全員座席確保。途中の車窓から甲斐駒・八ヶ岳の稜線を望むと雲がかかっている。早朝の出発で頭は休眠状態、車中でうとうとしているうちに松本に到着。天気は晴れてきてかなり暑い、乗り換えて長野へ向かうここも乗客は少ない。長野駅で約1時間の待ちを利用して昼食をとする。駅舎を出ると暑い、蕎麦どころ長野なので駅前のそば店にて美味しいそばを食する。

再び車中の人となる。途中棚田の写真で時々マスコミに登場する姥捨駅では田植えが終わって青々とした棚田が見え、遠くの山並みと、空の夏雲を見ていると、ふと懐かしい子供の頃の風景を思いだす。青空だった空が、幾つかのトンネルを過ぎ新潟に入ると怪しくなってきた。そして黒姫駅に着くころにはポツポツとやってきた。なんと下車駅妙高高原では土砂降り。ここからバスで笹ヶ峰には約1時間乗車するが、バスには一組の夫婦と我われグループのみ。途中雨は小降りとなってきているが止む様子はない、街中をぬけたバスは山道を一気に登り牧場や乙女湖をめぐり笹ヶ峰高原に到着。真夏の最盛期なのにほとんど人影がない。バス停脇の建物で雨宿りし雨の様子を伺うが止む様子がない。

急遽キャンプ場の大型テント借用の案が浮上し値段(4千円〕・明日の行動等を検討し借りることとした。設備はスノコ、マットもあり他に水道・トイレ・ゴミ捨て場等完備されているキャンプ場だが、歓迎しないブヨ系の虫が居て少し刺されてしまった。

夕方、小雨になったり、止んだりと気にならないくらいの天候となって来ている。明日の行動は4時の天気予報をみて判断することとした。天気情報によると関西や東北で大雨情報との芳しくない天気分布である。検討の結果、小雨であれば予定通り行動するが状況により再度相談して判断とすることとした。明日の行動も決まったことで夕食の準備、少々のアルコールとぶっ掛けうどん、これがまた美味しい。しばしの懇親会を催し、明日早起きを考え早めに寝ることとする。

8月2日 雨~曇

翌早朝は霧雨状態、予定行動が出きる状況である。しかし食事中に雨となりやや強く降る状態となる。早朝の天気予報でも晴れは望めないようだ。一時小雨になるが雲が厚く動きもあり芳しくなく期待できそうもない。

検討の結果、計画を見直しピストンで高谷池周辺の花を見にいくこととし、天候状況を見ながら火打山まで足をのばすことで出発する。桑原さんは同コースを歩いており、一日テントキーパーを頼むこととする。雨具を着て出発、登山口には数台の車、われわれと前後して車で来た幾つかのパーティも登りだす。木道が濡れていて滑りやすい。雨は小降りになったりとの繰り返し状態が続く。雨具を着て樹林帯の行動は暑い。展望もあまりなく途中時々雲が切れて後方に湖が見えたりとめまぐるしい天気変化である。十二曲がりの登りにかかる途中登ってくるパーティがあり先行してもらう。富山からの登山者とのこと。そしてわれわれの先には4人組のパ―ティもおり先を譲ってもらうこととする。雨で足元がかなり悪いぬかるみ状態、富士見平近くに来るといくつかのパーティと挨拶を交わす。

コースはやや水平移動からややくだり気味、足元は相変わらず悪く木の根もあり気を使って歩く。いくつかの沢を渡ると目の前に独特な建物高谷池ヒュッテが現れ到着、ここまで来ると風も少しでてきて冷える。小屋には56人位の泊り客と思われる人たちが食事をしている。われわれは小屋のひさしを借りて休憩させてもらう。雨は小康状態、頂上を目指して出発、火打山までのタイムは1時間30分を見ての行動である。高谷池周辺植物も豊富で目を楽しませてくれる。そして、雨の池塘もまたすばらしく美しい眺めである。029s われわれの他にパーティもなく貸切、さらに天狗の庭は霧雨の中で神秘的な雰囲気が漂う実にすばらしい情景である。湿原は天気の良い時よりこのような状況での観賞のほうがすばらしく感じる。ここまでこれてこのすばらしい眺めができて幸せとの声も聞こえた。

ここからやや急登が続く、天候は相変わらずで小雨から霧雨状態であるが、時々雲も切れて眺望が楽しめたりと雨模様でなければ楽しめない山登りの楽しみも味わえた。途中沢筋には残雪もあり一部ルートを変えるため熊笹を切ったり、また、稜線直下の斜面にはたくさんの花畑があり目を楽しませてくれる。

さらに高度を稼ぐ。途中頂上に行ってきたというパーティとすれ違う。展望はなく寒いとのこと、我がパーテイーも頂上直下付近では少し疲労も出て少しペースダウンするが皆な調子は上々のようだ。高度計を見てもうすぐ頂上と声かけるとひょっこり到着。頂上も貸切である。霧雨状態で展望はないがみんなに笑顔がある。ホットする。014s 少しの食事時間で下山にかかる頂上直下で単独者や小グループパーティに出会う。同じルートを下るので少し気が楽になる。下山途中幾つかのグループに出会うがいずれも小屋泊での登山とのようだ。くだりは早くあっという間に天狗の庭に到着、ここでも大きなグループに出会うツアー登山のようだ、やはり人気のある山なのである。

高谷池ヒュッテで一休みしていると多くの登山者が登ってきている。会話から関西からの女性の登山者が多いようだ。ヒュッテのテント場には一張りのテントが設営されており頑張る山屋さんも居るものだと感激した。

登山道は朝方よりかなり荒れた状態になっている。途中すれ違うメンバーもこのぬかるみには閉口しているようだ。下りでもいくつかのパーテイとすれ違うが目に付いたのは千葉市川からの大グループで小屋泊の計画できたとのこと。

黒沢で休憩を取る。ここから1時間くらいのくだりであるが、雨模様の中10時間の行程ではやや疲れが見え始めている。笹が峰は近くなり小さな沢の橋を渡ると登山口に到着である桑原さんが出迎えてくれる。先行した越前屋さんグループが到着していないとのこと、途中に分岐がありもしかしたら遊歩道の方に行ったのではと少し待つことにする。みんなの足元は泥の洗礼で水道や沢水で泥おとしして一息つく。遅いので少し戻ってみると越前屋・長岡さんは見えたが蛯名さんが見えない。少し待つと蛯名さんも到着無事全員下山出来ほっとする。

もう一泊貸テントにお世話になることとする。夕食のメニューはキムチ丼でこれがまた美味しく大目のキムチ丼の具などつまみに打上げの小宴会を開き妙高には登れなかったが楽しい一日を過ごすことができた。 

翌日は朝一番のバスで降りることとし、お開きとした

8月3日 曇~晴

3日目の朝も天候に大きな変化はないが一応雨はなくゆっくりの朝食をとりバスの時間もあるので遊歩道を散歩したりして体の目覚めさせる。同じ日に入ってきた子供たち低学年のようだがやはり今日で冒険キャンプを終えて帰るようだ。

帰りのバスも貸切である。運転士さんの話ではここ12年山の天候が不順で長年ここで運転しているがこの時期に今年のような長雨はなかったとのこと、どうも今年の山はすっかり雨に好かれてしまったようだとのこと、やはり温暖化の影響でしょうか。また、この笹ヶ峰の気候は北海道の気候に似ているのだそうで、夏は晴れの日が多く気温も低く過ごしやすいとのこと。山を降り妙高高原駅に着くころには太陽も顔を出しているが山を見ると相変わらずガスの中である。少しの待ち時間で電車に乗る、途中長野で下車して見学の希望者も居るので長野駅で見学組みと早帰り組みに別れそれぞれ無事帰京した。

今回の登山も雨のため予定を変更しての登山となってしまった。当初週間予報では曇りから晴れの予報でした、直前の予報では初日降雨予想二日目は曇りから晴れ三日目は晴れの予報でしたが山の天気は予報どおりにはなってくれません。山での行動で大きく左右されるのが天候です。安全な登山を行ううえで天気予報により中止や、コースの変更・撤退等など状況判断が求められます。

地上天気図で山の天気を予想することは難しいからと敬遠してしまいがちですが、少ないパーセントでも予測ができればより安全な登山行動を取り組むことができます。ぜひ少しでも自分の安全のため気象に興味を持ってもらい習得を図っていただければ思います。現在確かに山小屋のテレビや携帯で情報を得ることも可能であります。多くの情報から予報ができればより高い分析が可能になります。

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2009年9月 7日 (月)

奥多摩/小坂志川・湯場ノ沢本流

 奥多摩/小坂志川・湯場ノ沢本流

シャワークライムで憂さ晴らし

山﨑 公一

2009年8月23日(日)、曇り。参加6名(関・桑原・合田・内田・正田・山﨑)。

武蔵五日市発バス9:00-笹平着9:25

笹平バス停9:25-湯場ノ沢出合10:05~10:35-トバの万六沢出合(幅広の滝下)10:55-ナカの万六沢出合11:15~11:20-昼食12:15~12:35-万六尾根13:25~13:40-柏木野バス停14:40

柏木野発バス14:54-武蔵五日市着15:30

夏山合宿の白峰三山、8月の火打・妙高と続けてたっぷり雨にたたられた。この散々だった夏の憂さを、沢登りで癒したい。「また濡れるのかい」という野暮な声を圧殺して、ホリデー快速秋川号で武蔵五日市に集合した。エントリーは7名で、ひとりKさんの顔が見えない。家は出たようだが本人と連絡はとれず。電車に乗り遅れたと判断、「タクシーを使えば、林道を歩いているうちに追いつくだろう」と予定どおり出発する。数馬行きバスは行列ができ、臨時が出た。笹平バス停の前から小坂志林道に入る。ぴったり40分で出合に着く。沢装束に身を固め、橋の手前、小屋の残骸の横から沢に降りる。

この日私は渓流シューズを初めて履いた。その昔、私の教わった沢登りは山靴のままでの滝登りが主で、靴もなるたけ濡らさないのがセオリー。季節感は乏しかった。一応水線通しが基本とされ、滝の直登、淵や釜をへつりで突破するのが課題だった。こんな登り方は、谷筋を登路とせざるをえなかった時代の山登りの名残りだったのかもしれない。だから好んで流れに入る歩き方には違和感があり、最初は大いに惑う。しかしこの日の私の気分は、子どもが長靴で水溜りに小躍りして入るのと大差ない。やがてフェルトソールの威力にはまり、濡れている岩が気にならなくなる。滝でスタンスをとらえる際も、指先の感覚が使える。滝身にあえて足を突っ込み、闇雲にフットホールドを求めるのも楽しい。昨今の沢は、水線原則というよりも、文字通り水流に忠実たらんとする傾向が顕著で、「沢歩き」とするほうがしっくりするのではないか。ウェットスーツで積極的に水に入り、泳ぎをいとわず、ピークには到らず林道にエスケープとなれば、あるいはもう「沢遊び」と呼ぶのが似つかわしい。とはいえ沢登りが、尾根歩きや花めぐりの山旅にも潜む山登りの本質とリスクを、直截に、コンパクトに、明快に体現する行為であることに変わりはない。

桑原さんがトップで短い滝を次々に越えていく。F1(5m)でシャワークライム。さっそく右半身がずぶ濡れとなった。幅広の滝4mを桑原さんは右壁沿いに登った。右岸から簡単に巻くこともできる。私は滝の右の際を少し濡れながら登った。2段4m滝は皆が右から越える。そのそばで関さんは、かぶり気味の左壁をへつった後、直上した。見ていた正田さんが「さすがだね」。ナカの万六沢の出合で1本立てた。ここまで40分。沢のもう半分近くまで来ていて、残りは4段の滝くらい。「どこかで懸垂の練習でもしますか」「3mや4mの滝ばかりじゃ飛び降りたほうが早い」。連瀑帯の2本目4m滝でロープを出すことになった。これも練習。ロープ出しを「大げさな」と思ってはいけない。ロープで引かれると、ホールドやスタンスの確認が、かくもいい加減で済んでしまうものかと思う。関さんが落ち口でビレーポイントをつくるとき、ビトン1枚を誤って下の釜に落とした。捜索もむなしく、いまだWANTEDだ。二股の下あたり、あらかた滝は終わったと思われるところで昼食休憩とした。「まだ倒木との格闘が残っている」ので、尾根まではあと1時間くらいか。二股は左俣が土砂で埋まっていた。沢筋沿いに倒木を越え、13時10分、水が涸れる。そのまま真っすぐガレをつめ、右折して樹林帯へ。次第に傾斜が緩み、右に大きく回りこむようにして支尾根に乗ったかと思うと、すぐ登山道に出た。

ナカの万六沢から、休憩時間を除くと所要1時間45分。遡行時間は全部で2時間25分だが、ロープを出しているので順当なところか。滝はすべて直登でき、水涸れから藪もなく15分で登山道に抜けられる“うれしい”沢。一方で、この上なくお手軽であるがゆえの物足りなさも感じる。我ながら、何と天の邪鬼! 沢装備を解いていると、男女二人パーティが下ってきた。聞くと、小坂志川本流から連行峰を経てきたという。「やっぱり」。万六尾根はふだん人の往来の少ない静かなルートと思われる。それでも運動靴で楽に歩けるほど地元森林組合が道をきちんと整備しており、しかも万六の頭あたりで、恥じらいいっぱいのレンゲショウマを見ることができた。御岳山では8月下旬まで見られる花だそうだが、桑原さんによれば「群生していると見応えがある」。花が大ぶりに感じられたのは一株しかないからか。懸念された降雨は里近くになってパラパラという程度。一気に駆け下りたバス停で、ご褒美に内田さんから氷水のご馳走が振舞われた。帰路の電車で一報が入る。Kさんはなんと切り離されたホリデー快速奥多摩号で青梅線へ、そのまま御岳山へ行ってきたそうな。ごくろうさまでした。

(2009.9.3)

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2009年8月11日 (火)

八 海 山

八 海 山

 平成21年7月5日(日)晴

 メンバー

 関、桑原、合田、池上、井上汎、山崎、大熊、楠田 8名。

 かねてより登ってみたいと思っていた八海山。今年度山行計画に挿入しもらい。今回の山行となる。当初、6月の予定であったが現地問い合わせで、今年は残雪が多く冬装備が必要と、7月の変更した。

 

 武蔵小金井北口線路脇を大熊さんの車で、20時出発。所沢から高坂SAにて食料調達、六日町経由八海山駐車場23時15分到着。幕営、就寝。

 翌朝、ゴンドラ始発が8:00。時間は充分あるのでゴンドラは利用せず、駐車場を5:15分出発。高度差約800m、2時間でゴンドラ頂上駅に到着。

 頂上駅の上、避難小屋で一休み、天気は良く魚沼平野と六日町の街がよく眺められる。避難小屋の裏に八海山大神の石像が安置されている。

 何時の雨なのか、登山道はぬかるみ、歩きにくい。大倉分岐まで20余りで到着、鐘が吊されている。地元の人らしい2人組がゴンドラで上がってきたのかと聞かれ、歩いて上がったと伝える、大変だったねと労われた。どうやら千本榎小屋に泊まったらしい。小屋にはビールも酒の冷えてるよだって。

 ブナの林の道に自分には分からないが、小さな花が咲いている。イワカガミか?。

 池の峰を通過し右に漕ぎ池への道を見て、急坂を登り、胎内くぐりの岩場を左から巻いて、女人堂避難小屋へ。綺麗に整備され出入り口の脇には、冬用の梯子段が二階の窓に掛けられている。女人堂小屋脇に霊人碑と石碑が祭られている。

 大きな山容の薬師岳が目前に、約400㍍余りの登り。

 登り初めて間もなく、川の水場、うまい水が飲める。草つきの斜面には残雪が所々見られ、薬師岳への急登が続く。水にぬれた石の道が現れ、急登の鎖が連続が現れる。ご苦労様、あと13分で薬師岳と書かれた板があった。

 薬師岳山頂。左手の越後駒はガスの中、眺望はない。目の前に赤い屋根の千本檜小屋がにあり。八海山の岩峰が千本檜小屋の上にやっと眺められた。

 薬師岳への登りの途中、時々、ホラ貝を吹きながら降って行く、白装束の若い人とすれ違った。

 千本榎木小屋には、ぞくぞくと登山者が登ってくる、が。どうやら八ツ峰を越えて行く人はあまりいないように見える。

 さあ、千本檜小屋から八ツ峰の鎖場を超えて大日岳へ。

 地蔵岳は基部を右から巻き、左にちょゅと登り第1峰の地蔵岳へ、続く不動岳へは5㍍、10㍍の鎖を伝い七曜岳、七曜岳の5を下り、北側を鎖でトラバスで巻き、5㍍で白河岳。ここがキレットなのか。7㍍を下り、登り返して釈迦ヶ岳。一服。

 男女2人が登ってきた、彼らはこの先こから迂回路を伝い降るようだ。

 釈迦ヶ岳から5㍍の鎖で鞍部に下り迂回路と別れ。いよいよ後半の険しい所を、摩利支岳へは4㍍のハシゴ、8㍍鎖と続き、摩利支岳に。

 摩利支岳から大日岳はガスで煙り前方の入道山は確認できないが、ガスの合間にかすかに、右の登山道が見えた。

 摩利支岳の岩峰から約9㍍の鎖の下り、剣が峰の北側を7㍍、14㍍余りのトラバスで。大日岳の下部に到着。S

 最後の大日岳へは、4㍍の垂直のジュラルミン梯子と垂直の12㍍の鎖で第八峰の大日岳の頂上に登り切った。

 狭い頂上には八海大神をまつる奥の宮と石碑があった。

 生憎のガスで越後駒を始め見ることはできなかった、かろうじて入道山とおぼしき、柔らかな山稜が前方に見えただけだ。このまま、入道山は割愛し、迂回路を帰ることにした。

 S_2

大日岳から8㍍と25㍍の鎖で、懸垂下降のようにして下り、登山道に。

 迂回路の分岐からはアルミの階段を伝い下り、新街道の分岐と別れ、狭いトラバス気味の岩場基部の迂回路を千本檜小屋へ。

 千本檜小屋では多くの行者さんらが祈祷をしており、一般の登山者は思いおもいに、休憩していた。

 千本檜小屋裏の屏風道への下山道は進入禁止になっている。

 池上さんと合流、女人堂からゴンドラ駅まで一息に休まず降ってしまった。  

 八海山もう少し手ごわいかと思っていたがまあまあであった。

 八海山の駐車場でスモモを御馳走になり帰途につく。途中、湯沢あたりで豪雨にあった。登山中、雨に会わず良い山行だった。

 NHK天地人の映像を、ゴンドラの待合室でビデオ鑑賞できるように映していた。天地人のタイトル画は地蔵岳で撮影したという。

  

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2009年8月 5日 (水)

夏山合宿報告/南ア・白峰三山 風雨を突いて北岳へ

夏山合宿報告/南ア・白峰三山

風雨を突いて北岳へ

山﨑 公一

2009年7月18~20日、参加11名。

中高年は石橋をたたく

武蔵小金井の駅のホームで合宿参加者の誰とも出会わない。集合場所は高尾ではあるが、メンバーの半分は小金井から乗るはずだ。一本前の電車は早朝ゆえ20分も間隔が空いている。おかしい。軽いパニックの感覚。あわてて計画書を取り出して時間を確認する。共同装備を分担している者が集合できないとすれば、山行計画は崩れてしまう。今日私が持っているものは24センチのコッヘル。鍋がなければ「弾薬」は作れない。慌てふためいたところに、奈落からせり出すようにSさんがエスカレーターで姿を見せた。安堵はしたが、今度は計画書を確認しようにもメガネがないのに気づく。メガネがなければ時計も見えない。金の勘定もできないぞ。もう少し余裕をもって山の準備をしなければいけない。何てったって中高年なんだ、何事も昔のようにはいかない。だから常に一度振り返り、本当にそれでよいのか指差し確認をしよう。中高年は石橋をたたくからこそ本当は“堅実”“安全”なんだ。

「トムラウシ山って、弔いが怨めしい山かいな」「花がたくさんある所、という意味らしいよ」「まさしく浄土だね。大丈夫かよ、うちの中高年は」。前夜のこと、トムラウシの悲劇を報じるテレビを見ながら娘が聞こえよがしに叫んだ。「お父さんは別よ。ちゃんとしているから」。妻から信頼を寄せられるのは妙に居心地が悪い。何がちゃんとしているのやら…、ふっと、山登りを再開してすぐ山の会に入った賢明さかな、と思う。バランス講習会、日和田山岩トレ、雨で中止にはなったが読図山行、セルフレスキュー講習、それにアンチエイジングの実践の数々を目の当たりにして、入会からわずか3カ月間でずいぶんと勉強したものだ。山登りには困難や危険に対処するための技術の習得が不可欠だ。その昔は技術とは無関係に、山ではいつ何があってもしょうがないと考えていた。何の落ち度もない歩行者や、模範的な運転をする車でも交通事故に巻き込まれるように。山登り者の因果と応報をどこかで信じていた。不可抗力のトラブルの芽が無数に潜んでいる場だからこそ、山が面白くもあったのだろう。

ところが今、私は“遭難”する気がまったくしない。日々のトレーニングを通して自身の体力や技術の状態を否応なく把握している。“冒険”には相変わらず少しばかり色気を持つにしても、君子ともなれば基本的に危うきに近づいてはならない。そう、すっかり臆病者に変身しているのだ。そして安全を第一とするこの会を、当たり前ながら私は気に入りつつある。

トムラウシの悲劇は悪天候のせい?

 高尾で合宿メンバー11名が集結。さすが中高年、皆さんは慎重を期して一本前の電車に乗ったらしい。甲府までの車内では、あちこちのボックスから「低体温症が…」とトムラウシ一色だった。「風速20~25メートルあったというんだから、体感温度は氷点下だね」「富士山頂より低い」「濡れて吹かれりゃ体温は一気に下がる」。対応力の鈍った中高年には苛烈だ。今回マスコミに氾濫した低体温症とは、以前は疲労凍死の一言で片付けられていた。「雨だけ、雪だけならまだいい。そこに風が吹くと嫌だね。風雨、風雪は最悪」。一行は前日、風雨にさらされ十数時間をかけてヒサゴ沼避難小屋に入っている。濡れたシュラフに包まって横になっただけだったと思われ、疲労の度合いが違う。会員のIさんがまったく同じこのコースに出発した9日以降、北海道の天気が気になっていた。このところ、北海道には3~4日周期で低気圧が通過し悪天候が続いていた。それでIさんはトムラウシを断念し、14日に帰京している。「ヒサゴからトムラウシに向かってはもうエスケープはない。突き進むしかなくなるんだな」「このコースの募集では『やや健脚』との表示だったらしいが、あそこはりっぱな『健脚コース』だよ」「北海道の山で北大のワンゲルと遇ったとき、9月で北海道は冬山装備だと言っていた。夏でも普通にもう秋山なんだよ」。

出発は見送って、小屋に停滞すべきだった。疲労の蓄積、風、体の濡れを予防的に判断すべきだった。やはりツアーの問題か。「毎日旅行のツアーに長年参加してきたけど、日程に余裕がないの。ガイドじゃ判断できない。お互い初対面で、参加者同士が親しくするのを警戒する雰囲気もあった」「ガイドはパーティの力量を把握していない。それでガイドの務めが果たせるのか。このコースは初めてというガイドがいたとか。てっきり地元の人間を使っているものとばかり思っていたよ」。夏の槍沢で50人ほどのツアーの隊列を見かけたことがあった。山慣れた感じの年配者を先達に、大学山岳部出とみえる30歳前後の女性がしんがり。さまざまな格好の中高年客の間を旅行会社の若い社員が旗を持って走り回っていた。そのとき以来、私はツアー登山に疑問を感じてきた。それはアクシデントへの対応能力であり、いわば危機管理の問題。トムラウシの事故は悪天候下に起きたから「気象遭難」ではある。だが遭難の原因を「想定外の悪天候」だとお天気のせいにできるだろうか。平地の予報を聞いて天気は午後に回復すると判断したらしいが、山はまた別ではないか。天候判断の誤りはまさしくガイドにあり、人の問題だ。「刑事責任は免れないだろうな」。車内の評定はきつい結論となった。

私説オロク考

われわれの心配も実際、この合宿の天気の具合だ。梅雨明けしたとはいえ予報はあまり芳しくない。合宿リーダーのGさんは「大丈夫でしょう」ときっぱり。だがこれは単に願望を表明しているだけなので、「天候判断」とはいえない。甲府が近づくとボッカ食料の分配があった。信玄公銅像前には予約していたタクシーが待っており、ジャンボに8名、普通車に3名が分乗して、8時に出発した。広河原はあたり一帯ねずみ色で、パラパラと雨。少し風もある。上の状況は推して知るべしだが、明日晴れてくれれば今日は許すぞ、という思い。吊橋の入り口に、残雪が多いので大樺沢左股~八本歯のルートは冬山装備で、との注意看板があった。広河原山荘前で身支度。上下レインスーツの人、片や小さな折り畳み傘だけの人と、雨対策は分かれた。沢沿いのアプローチでは風にあおられる心配はなし、手を使う場面もほとんどない、とにかく雨具は暑くてかなわない、という名づけて“縄文パラソル派”の合理性に一日の長をみた。

一本立てる頃には大樺沢に雪渓が現れた。「こりゃ多いわ」とEさん。二股直下、雪渓上に足をそろえた靴底が見えた。嫌な予感がした。銀色のサバイバルシートに覆われている。覗いている頭髪から判断すると、ああ、またまた中高年か。斜め2,3メートル上の雪渓上にザックがお供えのように置いてある。滑落でもしたのか? 融雪で出たのか? 「ほんの2時間前だそうで、登っていて、スーと崩れ折れるように登山道から雪渓に転げ落ちて行ったそうです。二人パーティであそこにいる人が同行者。傍にいるもう一人はたまたま通りかかった人で、付き添っているそうです」。OKさんがすばやく取材の結果を教えてくれた。「低体温症かな」と覚えたての言葉を口にしてみる。小声で交わす「オロク」をNさんが聞きとがめて、「どんな字をかくの?」。誰かが「むつかしい字!」と返事を返していたが、はて?どんな字だったか。

オロクとは山で死体を指す言葉として隠語のように教わった。辞書にはない。ネットでみると、「楽になってしまった=お楽、それが訛ってオロク」、または「南無阿弥陀仏の6文字でお六」とある。前者はおふざけが過ぎて不快感を覚える。後者のほうに説得力がありそうだ。しかし私は昔から何となく「ろくでなし」から来ていると思ってきた。山で死ぬのは本望だろうか。自分が山で死に、まわりに喜ぶ人はいまい。山で死ぬヤツは「ろくでなしの馬鹿野郎」でしかないからオロクなのだ、と。これではあまりに感情的か。同様の意だが、「愚か」が転じたというのはどうだろう。結論的にいえば、「ろくでもない」(不吉である=『新言海』)という意味から来ているのではないか、と思う。そうであれば漢字は「碌」(『広辞苑』には当て字とある)。確かにこの字はむつかしい。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090718/crm0907181933017-n1.htm「登山中に倒れ死亡 南ア・北岳」

天候判断は縦走断念へ

大樺沢二股でリーダー会議となった。ここまで行程を予定どおりに来た。今日は肩ノ小屋までだが、上は間違いなく暴風雨。この先3時間登って、天幕を設営できたとして、装備も体も濡れている。小屋に逃げ込む手はあるが、かなりの混雑と覚悟しなければならない。風雨の中の天幕生活はいい訓練になる? アクシデントをアクシデントとしないために行うのが訓練であって、悪条件の中あえて突っ込むことを訓練というかなあ。右手に分かれる白根御池へのトラバース道がなんとも魅力的に輝いている。小屋で酒が手に入るぞ。予定どおりに右俣コースを小太郎尾根へ上がっていくのか、今この場で判断しなければならない。稜線に出てから様子を見る考えもないではないが、2時間半かけて上って後、同じ高度を草すべりから御池に撤退するというのはいかにも愚かしい。会議の結果、今日は無理せず白根御池泊まり、と提案された。明日は農鳥までとなり、明後日の下りが長くなるが奈良田でバスの時間には十分間に合う。誰の脳裏にもトムラウシがあり、今オロクを目の当たりにしては、悪天候を突く潔さよりここは慎重論に分があった。

御池小屋へのトラバース道で駆け足の二人組とすれ違う。二股の現場に向かう小屋の人だった。「今日は流されないように固定するだけだろう」「ヘリを飛ばすには天気が悪すぎる」。しばらくはオロク収容の段取りについてかまびすしい。御池の雪田に出たところで、もう一人現場に向かう小屋の人に会う。救助方針は「御池まで遺体を背負ってくる」そうで、足早に岳樺の林へ消えた。御池でならばヘリでピックアップが可能ということか。小屋従業員に頭が下がる。あの場にいた人々の手で、せめて冷たい雪渓の上から引き上げてあげることくらいできたのでは、との思いが過ぎった。帰京して知ったが、天候が回復した17日、トムラウシ五合目の前トム平で救助を待つ遭難者の横を、多くの登山者がそ知らぬ顔で登って行ったという。山はいつからか下界以上の不人情世界になった。遭難対策は行政の仕事であり、悲しいかな、オロクともなればモノでしかない。

白根御池周辺は池の上部に雪田がベッタリ残り、わずかな地面を求めて登山道をまたいで張るテントまである。池のすぐ上でかろうじて天幕3、荷物用ツェルト1をまとめて張れた。もう少し到着が遅ければ雪の上しかなかったかもしれない。昼過ぎには天幕入りして一眠り、そのあとは小屋でアルコールを仕入れての小宴会となった。断続的に小雨。向かいの鳳凰三山の稜線や、頭上のボーコン沢の頭が見えたり隠れたりと上空は安定しない。16時の気象通報でSさんが天気図をとり、明日も荒天が続くと判断。Gさんが「明日は天幕をそのままにし、行動食程度をもって北岳を目指す。出発は6時。余裕があれば小太郎山まで行きたい」と発表した。これで白峰三山縦走計画の断念が決まった。残念ではあるが、小太郎山もいい。「雨が降らなきゃいいよ」と皆諦め顔。「気象庁は14日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した」との報道に小躍りした自分が情けない。やはり自身のアタマで判断すべきで、気象庁を信じてはいけない。とはいえ「最悪の場合」の想定が、いかなるときも行動を決定する最重要のファクトであってよい。この場合、あえて風雨にたたかれて3000mの稜線歩きをしても楽しくないよなあ…、ということだろう。夕食はHKさんの指揮によるカレー。外での調理と食事がその時間帯にかろうじて可能だった。まだまだ明るい17時半、早くも就寝態勢となった。

北岳に「来ただけ!」

翌19日、午前3時過ぎに起き出す。予想どおり天気は悪く、気分は暗い。朝食準備は湯を沸かすだけで、各々持参のもので簡単に食事を済ます。暗いうちから草すべりに“ホタル”の明かりが続く。バットレスに向かうヘルメットのパーティを見送りながら、「今日は滑るだろうな」とSさんがつぶやく。予定の10分前にBC発。数珠繋ぎ状態のなか、次々追い越していくパーティもある。草すべりの中ほどでにわかに強い雨音に見舞われ、全員が雨具を着ける。下りてくる人たちがすれ違いざま、化け物を見たように稜線の風雨の状況を恐ろしげに訴える。頂上を諦め引返してきたという人もいる。昨日肩ノ小屋は、到着が遅いと荷物を小屋に入れてもらえず、外に置くような悲惨な状況だったという。森林限界近く、二股からの道が合流するあたりのシナノキンバイの大群落は圧巻だ。歩きながら植物博士のKWさんとHKさんが高山植物の名前を次々に教えてくれるが、毎度のことながら私はその場かぎりで覚えられない。

尾根上に出たところが小太郎山の分岐。風雨が一気に強まった。OSさんがここまでとしてBCに下ることを表明、OKさんも同調して「別れましょう。登る人はそのまま行けばいい」。すかさず「パーティを分けることはダメ」と強く制する声が飛ぶ。膝の痛みがありWストックを使っていたSさんが「おれが一緒に下る」。合宿初参加のOKさんは、Eさんの「上に行ったほうがいいよ」との一言で翻意。下る2人、登る9人との間で30分毎の無線交信を確認した。尾根上には風の通り道があり、そこでは大樺沢側へ体を持っていかれそうになる。ときどき耐風姿勢を強いられながら、風の息を盗む。濃霧の中、30分で肩ノ小屋に着く。天幕はチラホラ。小屋の内外で多くの人がたむろしていた。ここでKSさんとOKさん、Gさんが小屋で待つという。登頂断念の雰囲気が漂うが、Eさんが「大した風じゃないね。行こうよ」とおどけた調子で促すと6人が手を挙げた。その状況をGさんが無線で下のSさんに伝えた。小屋のすぐ上の鎖場では上りと下りがガチンコして渋滞。悪天候のなかの行動で、譲り合う余裕が失われているようだった。ペースが乱れトップの姿を見失う場面もあったが、8時45分、北岳頂上着。何も見えず、まさに「来ただけ!」とEさんと苦笑い。バットレス側が不思議にも無風地帯だった。ザックを背負ったまま寒そうにしていたNさんがすぐに下るという。写真を撮っただけで、腰を下ろすこともなく下りにかかった。

ときどき突風が襲う肩ノ小屋の下で、御池で隣り合わせた千葉の女子高生の一行が大きなザックに小さな体を隠して登ってきた。おじさんは無条件に涙が出るほど「えらい」と思う。ザックカバーがはずれて風にもてあそばれている子を、KSさんが丁寧に直してあげて励ます。強風下、ザックカバーは案外に外れ易く、そうなると風を孕む帆となる。この日は何人も見かけたが、絶対に外れない工夫が要りそうだ。草すべりにかかる所で交信すると、下は土砂降りという。雨の勢いはこの頃がピークで、徐々に弱まるものの上がることはなかった。雨を突いて登る人に道を譲りながら、「どこまで?」「農鳥までは無理。北岳山荘止まりだな」「天張るの?」「すごい風だよ」とKWさん、KSさん、OKさん、Eさんたちが代わる代わる話しかける。問われてもいないのに、上部の状況をおどろおどろしくささやく息の合った掛け合いが、まるで脅して追い返すか、下山を促す山の門番のようでおかしかった。BCに帰り着いたとき、「やったね」とばかりにHKさんが手を差し伸べると、HSさんが握手しながらはにかむように「ご苦労さん」の笑顔を返していた。実にさわやかなご夫婦です。

耐風姿勢を学習する

今朝までかなりの数の天幕があった御池の雪田上に、疑いなく自然の悪意として岳樺の枝木が大量に散乱していた。事情はすぐに判明、昨日二股から収容されたオロクをヘリがピックアップに飛来したのだった。ホバリングで周囲の天幕のほとんどがとばされる中、なぜかわれわれの天幕だけは小屋の人たちが支えてくれていたらしい。その光景を先行下山組の2人が草すべりを下りながら目撃したのだという。午後は天幕内で昼寝したり、小屋で体を温めたり、またまた小宴会をしたり。夕食はNさん指揮による豚汁。この日も昨日と同様、早々とシュラフに入った。

稜線での風との戯れ。KSさんは「皆は風上に背を向けて歩いていたが、僕一人だけ逆で、ずっと風上に体を向けていた」。背に風を受けていると押されて楽に歩行できたりするが、この日の状況は部分的にまさにそれが有効で快適だった。「基本的に耐風姿勢をどうとるかだと思うけど、常に風上に体を向けるというのは違うんじゃないの」。何を勘違いしたのか、酔った私は不遜にもKS説に疑問を唱えた。以前、春の巻機山で二つ玉低気圧にあおられた状況を思い出していた。風の方向は一定せず、時に巻く。要はバランスを保つために、ピッケルを山側に挿し両足を軸とする三点確保の姿勢がとれるかだろう。さらには耐風姿勢をとるにあたって風をどう読むかだ。KSさんは「富士山の雪上訓練でそう教わったからね」。背後から襲われればのめりそうになり、バランスを崩しやすいかもしれない。正面から受ければ腰を落として踏ん張れるというわけだ。結局その場はEさんが「場合によるんじゃないかな。一概にはいえない」と引き取ってくれた。帰宅して見たモノの本によると、耐風姿勢は「風に向かって体重をかける」とあった。KSさんの言説は原則的で正しかった。

心残りの「おざら」

夜半、天幕をたたく激しい降雨があった。そのあとには風も。だが3時頃には満天の星。頭上に黒々とした北岳がモンスターのように覆いかぶさる。今日は帰るだけだが、HSさんが4時前には早々と前夜の豚汁の残りを火に掛けた。食事当番は置かず、だいたいHSさんが湯を沸かすなど先鞭をつけると、三々五々皆が集まってきて調理が始まるという感じ。やがて朝陽を浴びてバットレスが輝き、第4尾根のスカイラインが美しい。既視感の強い景色だが、よく考えてみると過去2度の北岳でもまったく晴れ間はなかったから、肉眼で見るのは実は初めてだったと気づく。Sさんがルート上の「マッチ箱」を指して、「だいぶ前だけど、あそこを登っている写真が山渓に載ったことがあるよ」。超ベテランのSさんなら「さもありなん」、私はお義理で“ヘエ”を少しだけ押した。雑炊の調理中に天幕を撤収、食後はただちに出発となった。

誰彼となくヤケ気味に、「帰る日になると晴れるもんだよ」。天気は良いが雲の流れが速く、ときどき北岳にガスがかかる。御池を出てしばらくのトラバース道で、ゴゼンタチバナをHKさんに教わる。4枚葉のものには花がない。中心に白い花が咲いているものは葉が6枚。葉が6枚にならないと花がつかないという変わりものらしい。よし、この花だけは今回覚えて帰ろう。

広河原山荘で休憩して、下界の装いに衣替え、湯道具を出す。9時前には約束のタクシーが到着した。途中、観音経トンネル手前の御野立所(おのだちしょ)で停車、青空に浮かぶ北岳と中白峰をバックに記念撮影したあと、南アルプス市営金山沢温泉へ立ち寄る。そしてタクシーの案内で甲府駅北口の「小作」に上がった。まずはリーダーのGさん、会計のOSさんを労って「乾杯!」。夏はやっぱり定番の「かぼちゃほうとう」派とタクシー運転手さんお薦めの「おざら」派との対決となった。「おざら」とは冷やしほうとうのことで、当然熱いかぼちゃ派は苦戦した。本合宿の心残りといえば、甲府でも限定メニューという「おざら」を賞味できなかったことか。午後3時前、蒸し暑い小金井に着く。

(2009.8.3)

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2009年5月18日 (月)

唐松岳・五竜岳山行 「ちょっと気にして」

唐松岳・五竜岳山行 「ちょっと気にして」

関 哲夫

今回の春山参加で気になっていたのは、先に唐松岳周辺での遭難事故があり詳細なところは承知していないが、報道等によると滑落による事故のようでもあった。今年の気象は不安定な気象が続き、山の状態もよくないのではとの思いがあった。十分に注意して取り組まなければと気を引き締めて参加した。

春山登山は技術的に難しさを要求される場合(氷・雪・ミックス・トラバース・岩場等複雑)もあり技量を問われる山登りであると評する方もいるくらい。特に天候により、時には冬山ふる装備での登山が要求されるし、恵まれれば薄着での登山が楽しめる、登山者にとっては何かと難しい時期と言えるかもしれない。

今回危険で注意箇所は唐松・五龍間のクサリ場と五龍岳直下の斜面を想定、やはりこのところでは安全を確保する為かなりの時間を使っての行動でした。しかし、今回の参加メンバーはかなりの力量・チームワークも良く、そして幸いに天候に恵まれ全員2峰を踏むことが出来、そして楽しめたことと思います。また、この山行でいろいろな体験・経験をしたことにより、今後の山行活動に必ず参考になるものと思います。

今回の山行の中で参加者それぞれが見たり、聞いたり、感じたりと多々あったことと思います。その中で私自身の反省も含め、また、行動する中で気が付いたり、感じたり、見たりした部分での一部を報告させていただき、今後の登山活動にひとつでも参考にしていただければと思う。

1、計 画

  コースタイム等の設定には、重荷歩行で春・冬のタイムを参 

    考(ガイドブックのタイムは基本的に少人数、小屋利用、夏山

    が基本設定)

  

計画は参加者全員が参加

  (全員の参加でチームワークの強化)

  

計画書は登山の基本であり内容等全員が把握

  (全員がリーダ意識を持つ・他人任せは危険の一歩)

2、装 備

  各自カラビナ・スリングの携行は必須

  (特に春山とは限らず2~3本の携行は必携安全対策のた

      め)

  

   持参装備は出発前に必ず点検し不具合の調整等図る

  (テント・火気類は事前に設営し付属品を含め必ず点検をす

      る・個人装備も必ず点検する 特にアイゼンの故障は場合

      により致命的になる場合があるので注意)

  ハーネス(安全ベルト)用スリングの持参

  (危険箇所での確保・自己確保等 簡易ハーネスの結びを習

      得する)

3、生活技術

  稜線でのテント設営には風対策は必須

  (設営中は必ず固定するまで手を離さないこと 今のテント

      は軽いので簡単に風に飛ばされてしまう)

  

雪上でのテント設営技術の習得

  (雪上でのペクは基本は横使用 特に張り綱はたるみのない

      よう張る。たるみは風に振られてトラブルのきっかけとな

      る) 

4、雪上技術

  アイゼンでの岩場歩行の習得

  (春はミックスルート(雪・氷・岩場)が多々あり岩場歩行

      技術の習得要)

  

雪壁での蹴りこみの登下降の習得

  (急斜面ではピッケル・アイゼンのコンビネーションで登下

       降する雪上訓練等で習得を図る)

  

雪上での自己確保

(ピッケルを斜面に確実に打つ込みバンドで確実に自己確保す

   る。スリップ、滑落防止)

  

ピッケルのシャフト・ピックの利活用

  (緩斜面ではシャフトを活用し・急斜面等ではピックの活用

      図ることにより、より安全な登下降が出来る)

  

ロープワークの習得(ブルジック・タイブロック等利用)

(フイックスロープ利用の安全確保にロープワークの基本技術

  が必要)

5、安全対策

  トラバースルートでの休憩

  (基本的には行わない 稜線等に雪が残っている場合はブロ

      ックの落下も想定されるため危険 やむを得ず行う場合は常

      に上部に目を向けておくこと) 

 

雪面休憩時の安全確保

(雪上斜面での休憩時は常に体・ザックは打ち込んだピッケル

   に固定することが基本 スリップ、滑落、落下防止のた

  め )

  

リーダーはメンバーの疲労度を常に把握し危険箇所通過時での

声かけする

  (疲労による注意力低下を防ぎ集中力を持たせる観点から必

      要である)

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2009年5月17日 (日)

春山合宿 唐松岳・五竜岳縦走記録

春山合宿 唐松岳(2,696m)・五竜岳(2,814m)縦走 

日時:200952日~423日)晴天~曇り

参加者:桑原・関・越前屋・井上・内田・長岡・蝦名()

コース:

5/2 白馬駅7:20àゴンドラ乗場8:00à八方池山荘8:30à3ケルン9:40à

丸山11:30à唐松岳山荘12::55 =テント設営= テント発14:00à

唐松岳山頂14:30àテント着15:00

    5/3  唐松岳山荘6:45à五竜山荘11:35 =テント設営= テント発13:20à

         五竜岳山頂15:10àテント着16:55

  5/4 五竜山荘6:30à大遠見山7:50à小遠見山8:30àテレキャビン10:15à神城10:30

 

五竜岳は以外に手強い山だったなという感想を誰かがもらしていた。私にとっては今までになく厳しい経験をした山だった。

一日目:白馬駅に早朝到着。立川駅0:20発ムーンライト信州81号で強張った体や寝不足の頭をほぐしながら、タクシーで白馬八方山麓駅へ向かう。これからゴンドラ・リフトを乗り継いで八方尾根に向かうのだ。あまりの晴天に、八方池山荘で雪焼け防御対策を施す人あり、サングラスをかける人あり。ここからアイゼンを装着する。左側には明後日に下山する遠見尾根が長々と伸びている。途中、八方池は雪に埋まってまっ白だった。白馬岳・杓子岳・白馬槍ヶ岳の後立山連邦がくっきりと美しい姿を見せている。S 丸山を過ぎ、夏道よりはるかに歩きやすいトレースを、小屋をめざして登っていく。雪の照り返しがクラクラと暑い。唐松山荘に着くと、テント設営後、カラ身で頂上へ向かう。登っていく後ろには五竜岳がガラガラした尾根を見せながらどっしりとそびえている。S_2

山頂からの展望は、鋭く伸びた不帰の険や遠く妙高や雨飾りの山塊、剣岳が見渡せ、晴天を山の神?に感謝しつつテントまで戻る。本日の夕食はカレーとサラダ。内田さんお手製の煮ブタとねぎみそに皆、舌つづみを打つ。テントは10張り程度、小屋もまだ人が少なかった。夜半は風が強かった由。

二日目:本日は唐松山荘を出発し、五竜山荘を経て五竜岳登頂をめざす。今朝も青空がのぞくよい天気である。最初から岩場が続き、緊張の連続である。アイゼンが邪魔に思えるほど岩稜が続き、大黒岳を登ったり下ったり。途中、何度かクサリ場を過ぎ、ガレ場で難儀する。関さん・越前谷さん・桑原さんの男性陣が、雪で氷りついた登山道にザイルを張って道を確保してくれる。Photo 写真で見てもちょっと怖い。力ある人は先に行き、その間、ザックと共にロープで確保されて、一人残る。岩場のわずかな足場に吹き上げる風がとても寒い。はるか下は見ないようにする。ザイルにつかまりながら無事に通り抜け、最低のコルと思われるところにつく。ここからは尾根道で、夏ならば快適な縦走となるところらしい。もうすでに神経が疲れきって景色を楽しむ余裕もない。白岳から遠見尾根への分岐の道標を経て、五竜山荘へ着く。途中、五竜岳頂上付近ではヘリコプターが何台もホバリングしているのが見えた。何かあったようだとの声あり。

 テント設営後、荷物を置いて五竜岳頂上へ出発した。女性はカラビナとシュリンゲで腰ひもをつける。私の力量からは無理かもしれないと思いつつ、重い足を運ぶ。雪の登山道を踏みしめながら、決して横は見ないようにする。左側は切り立った雪の崖で、滑れば確実にお陀仏である。突然、雷鳥が一羽現れた。繁殖期のオスらしく、羽毛は黒褐色と白が混じり、一年のなかで最も美しいとのこと。目の上には左右に赤い肉冠が見えた。その後、頂上付近でも一羽見る。 

傾斜が厳しくなってきたところで私が1-2mスリップした。形ばかりのピッケルを雪面に打ったがもちろん役にたたない。思いがけないスリップだったのでぞっとする。関さんが後ろで押さえてくれたようだ。キックステップが全然出来ていなかったのが原因か。 

その後の急斜面には長くザイルを張る。夢中で登ったので細部の記憶がない。五竜岳頂上では少しガスが出てきて、10分ほどで下り始める。下りもまた、緊張、緊張の連続。例の急斜面では、関さんが持ってきてくれた「滑っても途中で必ず止まる器具(名前失念)」をザイルにはめ込んで下りる。雪の坂道を下降していくが、恐怖で体が委縮してキックステップで作った足跡が全然見えない。体をもっと放せとの声に体が慣れてきたのは大分たってからだった。Photo_2 5時近くにテントへ辿り着く。とりあえず生還に乾杯する。夕食は井上さんお得意のちらし寿司とポテト・サラダ、おいしかった。 

 頂上のヘリはやはり事故だった。朝早く発った4人パーティのうち、女性が一人滑落死したとのことだった。

三日目:遠見尾根からテレキャビンで下山する。白岳には廻らず、小屋横のすり鉢状の斜面を降りる。先行のパーティが蟻のようだ。右に鹿島槍の南峰、北峰の双耳峰が大きく見える。長い尾根のあちこちには雪庇が張り出し、今にも崩れそうなものもある。途中、テント場を2回ほど通り過ぎ、大遠見山を登り上げ、小遠見山を廻り込んで、地蔵の頭めざして下っていった。振り返るとあんなにやっかいだった五竜岳も見えなくなり、八方で見えていた後立連峰がまた、美しく望まれる。雪もくさってきて、尻スキーで滑り下りる人もいる。皆、まだらな雪やけをお互いに笑い合いながら五竜のスキー場に到着した。

 山に登るたび、楽しくもあり、苦しくもあり、また怖い思いもする。今回は冬山の基本登山技術不足が私の反省点である。同行の皆さんのおかげで無事に下山したが、私にとっては難関の山だった五竜。思い出も深いと思う。感謝。

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2009年5月 7日 (木)

大蔵経寺山ハイキング

大蔵経寺山ハイキング

関 哲夫

日 時 412(日)

場 所 大蔵経寺山(山梨)

天 候 晴れ

参加者 西川 正田 牧部 池上 楠田 桑原 井上 内田 合田

 山崎 関 越前屋 

コース 石和温泉駅・・・山宮神社・・・大蔵経寺山・・・石和温泉駅 

                                        

公開ハイキングを、今年も桃の花ハイキングとして計画、交通の便、足回り、コースタイム、安全面等考慮し大蔵経寺山と石和温泉をセツトにして実施しました。桃の花の開花時期には地元観光協会や官公庁に問い合わせしたりしているが、なかなか天候等に左右され難しいのが現状であります。日頃登山・ハイキング楽しんでいる私たちですが、地域の方々にも楽しいハイキングに参加していただきハイキング愛好者の輪を広げていくこと、取組みの中で大切な安全なハイキングの普及を目指して行動することも私たちの大切な活動のひとつではとの思いなどから公開ハイキングを行ってきております。

今回も、地域ミニコミ紙のアサヒタウンズに公開ハイキングの掲載を依頼、当初20名前後の参加を予定して計画していたが、締め切りまでの期間が短かったにもかかわらず36名の方の申し込みがあり、急遽リーダが不足という事態になってしまった。幸いにして当会において多くの会員に協力をいただき何とか編成が出来ました。参加者全体を見てみると、やはり中高年者の参加が多く見られました。そしてまた、ハイキングの愛好者が多いことも感じました。

当日の一般参加者は24(家族の病気・急用等で不参加多数)の参加でした。

連盟団体は北多摩・むさしの・ドッペル・高尾の4団体で全体の参加人員49名となり大パーティの取組みとなりました。当日は4月とは思いない暖かさで、また快晴という天候に恵まれ楽しいハイキングが出来ました。そして体調不良や怪我もなく全員無事下山することが出来ました。

下山後石和温泉駅前で解散とし、それぞれ温泉で疲れを取る組、電車帰宅する組、買物等とに別れました。

一般参加者をサポートしていただいた会員の皆様には大変ご苦労いただきありがとうございました。

今回の、桃の花ハイクとしのコース設定には桃の花鑑賞という点からは、今後の取組みあり方に検討を残したように思います。

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2009年4月11日 (土)

会山行報告 倉見山

    山 (会山行)

 平成21年3月15日(日)快晴       

 CL桑原、関、越前屋、井上(岳)、榎本、内田、新堀、

 大嶋、楠田 (9名)

 高尾 7時46分 河口湖行き  富士急行 東桂駅 下車 8時50分すぎ

 東桂駅9:10─→登山口墓場前9:30─→境分岐844m10:10─→

 倉見山11:40─→見晴台11:45~12:30─→相定ケ峰(向原峠手前)郡・ 市境界尾根─→向原町14:05─→寿駅

 寿駅発15:05で大月へ 

 昨日の雨と打って変わって超快晴の天気。国分寺駅のホームには大勢のハイカーであふれている、高尾駅には新ハイの人たち約50人ほどが我々と同じ列車に同乗した。

 中央線・多摩川陸橋からの真っ白な富士山が綺麗に眺められる。

 倉見山からの眺めが楽しみだ。

 

 東桂駅から139号線の国道に出、西へ一つ目の丁字路を左折し約20分。広徳寺の墓地の真ん中からの登山道はしっかりしており、ほぼ標高150㍍の急登から始まる。

 844㍍地点には右からの登山道と合う、一息。左に折れなお登りが続く。時折、したの町の射撃練習場から銃の音が聞こえて来る。

 1080㍍を過ぎ鞍部に倉見分岐、右へ三つ峠駅方面へと指導票があった。少し急坂から平坦になり、倉見山への手前のコブを過ぎ本物の、1256㍍倉岳山へ。 

 富士山は目の前にあるが細い木々が邪魔しよく眺められない。もう少し先の見晴台へ。ここまで約2時間。富士山を眺めながら昼食タイム。

 南アルプスの南部が雪を被り綺麗に望遠できる。12時30分、下山開始。

 向原峠の手前で、相堂ケ峰というらしい所で、向原への道標に誘われ右に下る。地図上では破線が無く郡市境界線の尾根で、尾根は堂屋尾根と言うらしい。

 下った桜の公園展望台が堂屋○○であった。今日は一日中、富士山がよく眺められた。

 全行程4時間半、温かい日溜まりハイクであった。

 

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2009年2月17日 (火)

スノーシューハイク 裏磐梯

2月13日(金)の夜に小金井を発ち、裏磐梯へスノーシューハイクに行ってきました。

前日は、春一番が吹き暖かい雨模様の天気でしたが、14日の昼前には雨も上がり、予定を変更しての「五色沼」周辺のスノーシューハイクを楽しむことが出来ました。毘沙門沼から柳沼を往復する4時間ほどのハイキングでした。

S_5 S_6

翌15日は好天に恵まれ、猫魔スキー場からリフトで猫魔ケ岳への尾根まで上り、右手に雄国沼、左手に磐梯山を楽しみながら、広い尾根を歩いてきました。

S_2

尾根一杯に広がり、思い思いにスノーシューを楽しみました。

212_017s 212_022s S_4

一瞬でしたが、磐梯山頂にかかっていた雲も晴れ、磐梯山の全貌を写真に収めることが出来ました。

                                (記;合田)

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2009年2月 7日 (土)

赤岳山行報告(会山行)

赤岳山行報告

桑原 滋昭

日時  2009110日(土)~11日(日)

参加者 越前屋、池上、新堀、内田、蝦名、桑原

コース

 1/10  八王子(635)電車→茅野(937)バス→美濃戸口(1030)→美濃戸

1200)→赤岳鉱泉(1430

 1/11  赤岳鉱泉(630)→行者小屋(730)→地蔵尾根→赤岳(1005)→文三郎→

赤岳鉱泉(1250)→美濃戸口(1634)バス→茅野(1735)→小金井

110日 天気;曇一時晴

  交通の事情により普通と特急に3人づつ分かれて乗車、茅野で落合いバスで美濃戸口へ。やはり連休だけあって座れない人も何人かいた。荷物を整えて歩き始める。美濃戸で大休止し、腹ごしらえをする。登山者の車がたくさん駐車してあった。

ここからは、当初行者小屋に行く予定だったが、今年はなぜか閉鎖中とのことで北沢に沿って赤岳鉱泉に向う。特にトラブルもなく、予定通り2時半にと到着。思ったよりテントも少なく場所を捜すまでもなく設営。女性二人は小屋泊まりで、ならば自炊室を使おう。おかげでストーブのある所で手作りの鍋物をゆくりと味わう事ができた。翌日に備えて早々にシュラフにもぐり込む。

111日 天気;曇一時晴

  4時に起きて外を見ると雲もあるが星も見え、まずまずの天気だ。自炊室で朝食を取り、6時半出発。まん丸い月が出て我々を見送ってくれた。行者小屋まで行くと、ここでもテントを張っている連中もいたが、やはり少な目だ。

地蔵尾根の登りに入る。始めはそれ程ではないが、次第に急登となって来る。途中小さなお地蔵様が頭だけ雪から出ていた。なる程それで地蔵尾根と言うのかと納得。稜線が近づいてくると風が強くなってきた。小屋付近では風は殆ど無かったのにと思いつつ、稜線に出ると相当な強風で、雪が顔に当たって痛いし冷たい。突風が来ると体がふらつく程で、体の軽い女性達は歩き難く、また恐かった様だ。そんな状態で、足の運びも遅くなり、予定より遅れたが全員無事に頂上に到着。残念ながら雲が多く、富士山は見えたがその他の山はよく見えなかった。

天候からも時間からしても阿弥陀はあきらめ、早々に文三郎を下る。登る人、下る人が交差して歩き難い。しばらく下ると強風がうその様におだやかになった。行者小屋を経由して赤岳鉱泉に戻る。テントをたたんで荷物を整理して帰路に付く。昨日登ったルートを下り、雪をかぶり、氷の付いた北沢の流れを見ながら、美濃戸へ、そして美濃戸口バス停へは思ったより早く着いた。

ふり返ってみると、私も何年ぶりかの厳しい冬山を味わったが、全員無事に乗り越えて戻って来られてほっとした。参加者全員いい経験を積み、冬山恐れずに足らずと自信も持ってもらえたのではと思っている。茅野からは又特急と普通に3人づつ分かれて帰ってきた。

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2009年1月27日 (火)

御岳から馬頭刈尾根を縦走(会山行)

御岳から馬頭刈尾根を縦走

(会山行)

平成21125日(日)

参加者 池上(リーダー) 10名)

立川発7;05 = 御嶽着8:11

御嶽駅8:15 - 8:45滝本駅 = 御岳山駅9;15 - 11:10大岳山荘

11:20 - 12:00富士見台12:25 - 13:35鶴脚山14:05 - 14:05馬頭刈山頂14:15 - 15:15瀬音の湯16:17 = 五日市駅発16:47(ホリデー快速新宿行)

 今年2回目の会山行に参加しました。第一回目の会山行の八ケ岳冬山合宿は体調が本調子でなく参加できず、久しぶりの会山行でした。

 担当の池上さんの人徳か、天候は快晴、前日にちらついた雪で目指す奥多摩の山々は白くうっすらと雪化粧をしており、待望の雪を楽しめるのではないかと気分も高揚気味に、御嶽に向いました。

 御嶽のケーブルまでは足慣らしで歩き、登りはケーブルで楽をさせてもらいました。ケーブルを下りると駅前はうっすらと雪。北の方には日光の雪山が望めます。参道はさすがに雪かきがされ、コンクリートを歩かされましたが、山道に入ると3~4センチほどの雪ですが、しっかり地面を覆っています。10人のパーティーで一番最後を歩いたので、前の人たちの靴でひっくり返された雪と枯葉のケーキまみれの雪道を歩く事となりましたが、それでも冬山の気分になってきます。大岳山荘を目指し、芥場峠にさしかかると雪も10センチ近くに増え、立派な雪道となりました。211_012s_5

 1110分に大岳山荘に到着、雪の富士山が、いつもより大きく展望できました。

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展望台のテーブルや椅子にも10センチほどの雪が積もっていましたが、御前山で一泊してきたという人の話では、この雪は昨日から今日の未明まで降り続いたものだということでした。気温は1度と低く、少しくらいの日差しでも融けず、今日一日の雪山気分を演出してくれています。

 大岳山荘からすぐに馬頭刈尾根に向いました。

21_s_5

馬頭刈山に向うこの尾根にも結構雪が残っており、右手には富士山、左手には東京の町々を望みながらの楽しい尾根歩きですが、リーダーを務める池上さんの歩きの早い事、アップダウンや岩場もあって、汗をかきかきの縦走になりました。池上さんは、今回リーダーを勤めるという事で先週土曜日に下見に歩いたようで、3時過ぎには瀬音の湯に降り皆に足湯を楽しませたいということで、先を急いだようです。しかも、1月に入って毎週の山行で、足腰もしっかり出来ていたようでいつもと全く違った歩き振りでした。

 

高明神社を過ぎるとさすがに雪も消え、1535分に瀬音の湯に降り立ちました。この湯は人気があるようで、駐車場は一杯、浴場も満員のようで、我々は、無料の足湯で疲れをとり、バスで五日市駅にでて、ホリデー快速で帰途につきました。

 熱心なリーダーの周到な準備に天も見方をしたようで、東京の街を見ながらの雪歩きを堪能できたことに感謝したくなる山行でした。

(記;合田)

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