夏山合宿報告/南ア・白峰三山
風雨を突いて北岳へ
山﨑 公一
2009年7月18~20日、参加11名。
中高年は石橋をたたく
武蔵小金井の駅のホームで合宿参加者の誰とも出会わない。集合場所は高尾ではあるが、メンバーの半分は小金井から乗るはずだ。一本前の電車は早朝ゆえ20分も間隔が空いている。おかしい。軽いパニックの感覚。あわてて計画書を取り出して時間を確認する。共同装備を分担している者が集合できないとすれば、山行計画は崩れてしまう。今日私が持っているものは24センチのコッヘル。鍋がなければ「弾薬」は作れない。慌てふためいたところに、奈落からせり出すようにSさんがエスカレーターで姿を見せた。安堵はしたが、今度は計画書を確認しようにもメガネがないのに気づく。メガネがなければ時計も見えない。金の勘定もできないぞ。もう少し余裕をもって山の準備をしなければいけない。何てったって中高年なんだ、何事も昔のようにはいかない。だから常に一度振り返り、本当にそれでよいのか指差し確認をしよう。中高年は石橋をたたくからこそ本当は“堅実”“安全”なんだ。
「トムラウシ山って、弔いが怨めしい山かいな」「花がたくさんある所、という意味らしいよ」「まさしく浄土だね。大丈夫かよ、うちの中高年は」。前夜のこと、トムラウシの悲劇を報じるテレビを見ながら娘が聞こえよがしに叫んだ。「お父さんは別よ。ちゃんとしているから」。妻から信頼を寄せられるのは妙に居心地が悪い。何がちゃんとしているのやら…、ふっと、山登りを再開してすぐ山の会に入った賢明さかな、と思う。バランス講習会、日和田山岩トレ、雨で中止にはなったが読図山行、セルフレスキュー講習、それにアンチエイジングの実践の数々を目の当たりにして、入会からわずか3カ月間でずいぶんと勉強したものだ。山登りには困難や危険に対処するための技術の習得が不可欠だ。その昔は技術とは無関係に、山ではいつ何があってもしょうがないと考えていた。何の落ち度もない歩行者や、模範的な運転をする車でも交通事故に巻き込まれるように。山登り者の因果と応報をどこかで信じていた。不可抗力のトラブルの芽が無数に潜んでいる場だからこそ、山が面白くもあったのだろう。
ところが今、私は“遭難”する気がまったくしない。日々のトレーニングを通して自身の体力や技術の状態を否応なく把握している。“冒険”には相変わらず少しばかり色気を持つにしても、君子ともなれば基本的に危うきに近づいてはならない。そう、すっかり臆病者に変身しているのだ。そして安全を第一とするこの会を、当たり前ながら私は気に入りつつある。
トムラウシの悲劇は悪天候のせい?
高尾で合宿メンバー11名が集結。さすが中高年、皆さんは慎重を期して一本前の電車に乗ったらしい。甲府までの車内では、あちこちのボックスから「低体温症が…」とトムラウシ一色だった。「風速20~25メートルあったというんだから、体感温度は氷点下だね」「富士山頂より低い」「濡れて吹かれりゃ体温は一気に下がる」。対応力の鈍った中高年には苛烈だ。今回マスコミに氾濫した低体温症とは、以前は疲労凍死の一言で片付けられていた。「雨だけ、雪だけならまだいい。そこに風が吹くと嫌だね。風雨、風雪は最悪」。一行は前日、風雨にさらされ十数時間をかけてヒサゴ沼避難小屋に入っている。濡れたシュラフに包まって横になっただけだったと思われ、疲労の度合いが違う。会員のIさんがまったく同じこのコースに出発した9日以降、北海道の天気が気になっていた。このところ、北海道には3~4日周期で低気圧が通過し悪天候が続いていた。それでIさんはトムラウシを断念し、14日に帰京している。「ヒサゴからトムラウシに向かってはもうエスケープはない。突き進むしかなくなるんだな」「このコースの募集では『やや健脚』との表示だったらしいが、あそこはりっぱな『健脚コース』だよ」「北海道の山で北大のワンゲルと遇ったとき、9月で北海道は冬山装備だと言っていた。夏でも普通にもう秋山なんだよ」。
出発は見送って、小屋に停滞すべきだった。疲労の蓄積、風、体の濡れを予防的に判断すべきだった。やはりツアーの問題か。「毎日旅行のツアーに長年参加してきたけど、日程に余裕がないの。ガイドじゃ判断できない。お互い初対面で、参加者同士が親しくするのを警戒する雰囲気もあった」「ガイドはパーティの力量を把握していない。それでガイドの務めが果たせるのか。このコースは初めてというガイドがいたとか。てっきり地元の人間を使っているものとばかり思っていたよ」。夏の槍沢で50人ほどのツアーの隊列を見かけたことがあった。山慣れた感じの年配者を先達に、大学山岳部出とみえる30歳前後の女性がしんがり。さまざまな格好の中高年客の間を旅行会社の若い社員が旗を持って走り回っていた。そのとき以来、私はツアー登山に疑問を感じてきた。それはアクシデントへの対応能力であり、いわば危機管理の問題。トムラウシの事故は悪天候下に起きたから「気象遭難」ではある。だが遭難の原因を「想定外の悪天候」だとお天気のせいにできるだろうか。平地の予報を聞いて天気は午後に回復すると判断したらしいが、山はまた別ではないか。天候判断の誤りはまさしくガイドにあり、人の問題だ。「刑事責任は免れないだろうな」。車内の評定はきつい結論となった。
私説オロク考
われわれの心配も実際、この合宿の天気の具合だ。梅雨明けしたとはいえ予報はあまり芳しくない。合宿リーダーのGさんは「大丈夫でしょう」ときっぱり。だがこれは単に願望を表明しているだけなので、「天候判断」とはいえない。甲府が近づくとボッカ食料の分配があった。信玄公銅像前には予約していたタクシーが待っており、ジャンボに8名、普通車に3名が分乗して、8時に出発した。広河原はあたり一帯ねずみ色で、パラパラと雨。少し風もある。上の状況は推して知るべしだが、明日晴れてくれれば今日は許すぞ、という思い。吊橋の入り口に、残雪が多いので大樺沢左股~八本歯のルートは冬山装備で、との注意看板があった。広河原山荘前で身支度。上下レインスーツの人、片や小さな折り畳み傘だけの人と、雨対策は分かれた。沢沿いのアプローチでは風にあおられる心配はなし、手を使う場面もほとんどない、とにかく雨具は暑くてかなわない、という名づけて“縄文パラソル派”の合理性に一日の長をみた。
一本立てる頃には大樺沢に雪渓が現れた。「こりゃ多いわ」とEさん。二股直下、雪渓上に足をそろえた靴底が見えた。嫌な予感がした。銀色のサバイバルシートに覆われている。覗いている頭髪から判断すると、ああ、またまた中高年か。斜め2,3メートル上の雪渓上にザックがお供えのように置いてある。滑落でもしたのか? 融雪で出たのか? 「ほんの2時間前だそうで、登っていて、スーと崩れ折れるように登山道から雪渓に転げ落ちて行ったそうです。二人パーティであそこにいる人が同行者。傍にいるもう一人はたまたま通りかかった人で、付き添っているそうです」。OKさんがすばやく取材の結果を教えてくれた。「低体温症かな」と覚えたての言葉を口にしてみる。小声で交わす「オロク」をNさんが聞きとがめて、「どんな字をかくの?」。誰かが「むつかしい字!」と返事を返していたが、はて?どんな字だったか。
オロクとは山で死体を指す言葉として隠語のように教わった。辞書にはない。ネットでみると、「楽になってしまった=お楽、それが訛ってオロク」、または「南無阿弥陀仏の6文字でお六」とある。前者はおふざけが過ぎて不快感を覚える。後者のほうに説得力がありそうだ。しかし私は昔から何となく「ろくでなし」から来ていると思ってきた。山で死ぬのは本望だろうか。自分が山で死に、まわりに喜ぶ人はいまい。山で死ぬヤツは「ろくでなしの馬鹿野郎」でしかないからオロクなのだ、と。これではあまりに感情的か。同様の意だが、「愚か」が転じたというのはどうだろう。結論的にいえば、「ろくでもない」(不吉である=『新言海』)という意味から来ているのではないか、と思う。そうであれば漢字は「碌」(『広辞苑』には当て字とある)。確かにこの字はむつかしい。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090718/crm0907181933017-n1.htm「登山中に倒れ死亡 南ア・北岳」
天候判断は縦走断念へ
大樺沢二股でリーダー会議となった。ここまで行程を予定どおりに来た。今日は肩ノ小屋までだが、上は間違いなく暴風雨。この先3時間登って、天幕を設営できたとして、装備も体も濡れている。小屋に逃げ込む手はあるが、かなりの混雑と覚悟しなければならない。風雨の中の天幕生活はいい訓練になる? アクシデントをアクシデントとしないために行うのが訓練であって、悪条件の中あえて突っ込むことを訓練というかなあ。右手に分かれる白根御池へのトラバース道がなんとも魅力的に輝いている。小屋で酒が手に入るぞ。予定どおりに右俣コースを小太郎尾根へ上がっていくのか、今この場で判断しなければならない。稜線に出てから様子を見る考えもないではないが、2時間半かけて上って後、同じ高度を草すべりから御池に撤退するというのはいかにも愚かしい。会議の結果、今日は無理せず白根御池泊まり、と提案された。明日は農鳥までとなり、明後日の下りが長くなるが奈良田でバスの時間には十分間に合う。誰の脳裏にもトムラウシがあり、今オロクを目の当たりにしては、悪天候を突く潔さよりここは慎重論に分があった。
御池小屋へのトラバース道で駆け足の二人組とすれ違う。二股の現場に向かう小屋の人だった。「今日は流されないように固定するだけだろう」「ヘリを飛ばすには天気が悪すぎる」。しばらくはオロク収容の段取りについてかまびすしい。御池の雪田に出たところで、もう一人現場に向かう小屋の人に会う。救助方針は「御池まで遺体を背負ってくる」そうで、足早に岳樺の林へ消えた。御池でならばヘリでピックアップが可能ということか。小屋従業員に頭が下がる。あの場にいた人々の手で、せめて冷たい雪渓の上から引き上げてあげることくらいできたのでは、との思いが過ぎった。帰京して知ったが、天候が回復した17日、トムラウシ五合目の前トム平で救助を待つ遭難者の横を、多くの登山者がそ知らぬ顔で登って行ったという。山はいつからか下界以上の不人情世界になった。遭難対策は行政の仕事であり、悲しいかな、オロクともなればモノでしかない。
白根御池周辺は池の上部に雪田がベッタリ残り、わずかな地面を求めて登山道をまたいで張るテントまである。池のすぐ上でかろうじて天幕3、荷物用ツェルト1をまとめて張れた。もう少し到着が遅ければ雪の上しかなかったかもしれない。昼過ぎには天幕入りして一眠り、そのあとは小屋でアルコールを仕入れての小宴会となった。断続的に小雨。向かいの鳳凰三山の稜線や、頭上のボーコン沢の頭が見えたり隠れたりと上空は安定しない。16時の気象通報でSさんが天気図をとり、明日も荒天が続くと判断。Gさんが「明日は天幕をそのままにし、行動食程度をもって北岳を目指す。出発は6時。余裕があれば小太郎山まで行きたい」と発表した。これで白峰三山縦走計画の断念が決まった。残念ではあるが、小太郎山もいい。「雨が降らなきゃいいよ」と皆諦め顔。「気象庁は14日、関東甲信で梅雨明けしたとみられると発表した」との報道に小躍りした自分が情けない。やはり自身のアタマで判断すべきで、気象庁を信じてはいけない。とはいえ「最悪の場合」の想定が、いかなるときも行動を決定する最重要のファクトであってよい。この場合、あえて風雨にたたかれて3000mの稜線歩きをしても楽しくないよなあ…、ということだろう。夕食はHKさんの指揮によるカレー。外での調理と食事がその時間帯にかろうじて可能だった。まだまだ明るい17時半、早くも就寝態勢となった。
北岳に「来ただけ!」
翌19日、午前3時過ぎに起き出す。予想どおり天気は悪く、気分は暗い。朝食準備は湯を沸かすだけで、各々持参のもので簡単に食事を済ます。暗いうちから草すべりに“ホタル”の明かりが続く。バットレスに向かうヘルメットのパーティを見送りながら、「今日は滑るだろうな」とSさんがつぶやく。予定の10分前にBC発。数珠繋ぎ状態のなか、次々追い越していくパーティもある。草すべりの中ほどでにわかに強い雨音に見舞われ、全員が雨具を着ける。下りてくる人たちがすれ違いざま、化け物を見たように稜線の風雨の状況を恐ろしげに訴える。頂上を諦め引返してきたという人もいる。昨日肩ノ小屋は、到着が遅いと荷物を小屋に入れてもらえず、外に置くような悲惨な状況だったという。森林限界近く、二股からの道が合流するあたりのシナノキンバイの大群落は圧巻だ。歩きながら植物博士のKWさんとHKさんが高山植物の名前を次々に教えてくれるが、毎度のことながら私はその場かぎりで覚えられない。
尾根上に出たところが小太郎山の分岐。風雨が一気に強まった。OSさんがここまでとしてBCに下ることを表明、OKさんも同調して「別れましょう。登る人はそのまま行けばいい」。すかさず「パーティを分けることはダメ」と強く制する声が飛ぶ。膝の痛みがありWストックを使っていたSさんが「おれが一緒に下る」。合宿初参加のOKさんは、Eさんの「上に行ったほうがいいよ」との一言で翻意。下る2人、登る9人との間で30分毎の無線交信を確認した。尾根上には風の通り道があり、そこでは大樺沢側へ体を持っていかれそうになる。ときどき耐風姿勢を強いられながら、風の息を盗む。濃霧の中、30分で肩ノ小屋に着く。天幕はチラホラ。小屋の内外で多くの人がたむろしていた。ここでKSさんとOKさん、Gさんが小屋で待つという。登頂断念の雰囲気が漂うが、Eさんが「大した風じゃないね。行こうよ」とおどけた調子で促すと6人が手を挙げた。その状況をGさんが無線で下のSさんに伝えた。小屋のすぐ上の鎖場では上りと下りがガチンコして渋滞。悪天候のなかの行動で、譲り合う余裕が失われているようだった。ペースが乱れトップの姿を見失う場面もあったが、8時45分、北岳頂上着。何も見えず、まさに「来ただけ!」とEさんと苦笑い。バットレス側が不思議にも無風地帯だった。ザックを背負ったまま寒そうにしていたNさんがすぐに下るという。写真を撮っただけで、腰を下ろすこともなく下りにかかった。
ときどき突風が襲う肩ノ小屋の下で、御池で隣り合わせた千葉の女子高生の一行が大きなザックに小さな体を隠して登ってきた。おじさんは無条件に涙が出るほど「えらい」と思う。ザックカバーがはずれて風にもてあそばれている子を、KSさんが丁寧に直してあげて励ます。強風下、ザックカバーは案外に外れ易く、そうなると風を孕む帆となる。この日は何人も見かけたが、絶対に外れない工夫が要りそうだ。草すべりにかかる所で交信すると、下は土砂降りという。雨の勢いはこの頃がピークで、徐々に弱まるものの上がることはなかった。雨を突いて登る人に道を譲りながら、「どこまで?」「農鳥までは無理。北岳山荘止まりだな」「天張るの?」「すごい風だよ」とKWさん、KSさん、OKさん、Eさんたちが代わる代わる話しかける。問われてもいないのに、上部の状況をおどろおどろしくささやく息の合った掛け合いが、まるで脅して追い返すか、下山を促す山の門番のようでおかしかった。BCに帰り着いたとき、「やったね」とばかりにHKさんが手を差し伸べると、HSさんが握手しながらはにかむように「ご苦労さん」の笑顔を返していた。実にさわやかなご夫婦です。
耐風姿勢を学習する
今朝までかなりの数の天幕があった御池の雪田上に、疑いなく自然の悪意として岳樺の枝木が大量に散乱していた。事情はすぐに判明、昨日二股から収容されたオロクをヘリがピックアップに飛来したのだった。ホバリングで周囲の天幕のほとんどがとばされる中、なぜかわれわれの天幕だけは小屋の人たちが支えてくれていたらしい。その光景を先行下山組の2人が草すべりを下りながら目撃したのだという。午後は天幕内で昼寝したり、小屋で体を温めたり、またまた小宴会をしたり。夕食はNさん指揮による豚汁。この日も昨日と同様、早々とシュラフに入った。
稜線での風との戯れ。KSさんは「皆は風上に背を向けて歩いていたが、僕一人だけ逆で、ずっと風上に体を向けていた」。背に風を受けていると押されて楽に歩行できたりするが、この日の状況は部分的にまさにそれが有効で快適だった。「基本的に耐風姿勢をどうとるかだと思うけど、常に風上に体を向けるというのは違うんじゃないの」。何を勘違いしたのか、酔った私は不遜にもKS説に疑問を唱えた。以前、春の巻機山で二つ玉低気圧にあおられた状況を思い出していた。風の方向は一定せず、時に巻く。要はバランスを保つために、ピッケルを山側に挿し両足を軸とする三点確保の姿勢がとれるかだろう。さらには耐風姿勢をとるにあたって風をどう読むかだ。KSさんは「富士山の雪上訓練でそう教わったからね」。背後から襲われればのめりそうになり、バランスを崩しやすいかもしれない。正面から受ければ腰を落として踏ん張れるというわけだ。結局その場はEさんが「場合によるんじゃないかな。一概にはいえない」と引き取ってくれた。帰宅して見たモノの本によると、耐風姿勢は「風に向かって体重をかける」とあった。KSさんの言説は原則的で正しかった。
心残りの「おざら」
夜半、天幕をたたく激しい降雨があった。そのあとには風も。だが3時頃には満天の星。頭上に黒々とした北岳がモンスターのように覆いかぶさる。今日は帰るだけだが、HSさんが4時前には早々と前夜の豚汁の残りを火に掛けた。食事当番は置かず、だいたいHSさんが湯を沸かすなど先鞭をつけると、三々五々皆が集まってきて調理が始まるという感じ。やがて朝陽を浴びてバットレスが輝き、第4尾根のスカイラインが美しい。既視感の強い景色だが、よく考えてみると過去2度の北岳でもまったく晴れ間はなかったから、肉眼で見るのは実は初めてだったと気づく。Sさんがルート上の「マッチ箱」を指して、「だいぶ前だけど、あそこを登っている写真が山渓に載ったことがあるよ」。超ベテランのSさんなら「さもありなん」、私はお義理で“ヘエ”を少しだけ押した。雑炊の調理中に天幕を撤収、食後はただちに出発となった。
誰彼となくヤケ気味に、「帰る日になると晴れるもんだよ」。天気は良いが雲の流れが速く、ときどき北岳にガスがかかる。御池を出てしばらくのトラバース道で、ゴゼンタチバナをHKさんに教わる。4枚葉のものには花がない。中心に白い花が咲いているものは葉が6枚。葉が6枚にならないと花がつかないという変わりものらしい。よし、この花だけは今回覚えて帰ろう。
広河原山荘で休憩して、下界の装いに衣替え、湯道具を出す。9時前には約束のタクシーが到着した。途中、観音経トンネル手前の御野立所(おのだちしょ)で停車、青空に浮かぶ北岳と中白峰をバックに記念撮影したあと、南アルプス市営金山沢温泉へ立ち寄る。そしてタクシーの案内で甲府駅北口の「小作」に上がった。まずはリーダーのGさん、会計のOSさんを労って「乾杯!」。夏はやっぱり定番の「かぼちゃほうとう」派とタクシー運転手さんお薦めの「おざら」派との対決となった。「おざら」とは冷やしほうとうのことで、当然熱いかぼちゃ派は苦戦した。本合宿の心残りといえば、甲府でも限定メニューという「おざら」を賞味できなかったことか。午後3時前、蒸し暑い小金井に着く。
(2009.8.3)