2018年10月
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御正体山(標高1681.6m)

日時 :平成25127()

参加者:越前屋さん[CL]、内田さん[SL]、田子さん[記録]、蝦名さん[会計]、関さん、井上()さん、池上さん、高柳さん、大嶋さん、牧部さん、郷間。 計11名。

コースタイム:道坂隧道800着~稜線915着~岩下ノ丸(ケンカ沢)1005着~白井平分岐1130着~1315御正体山頂着

~山頂出発1340~峰宮跡1410~御正体登山道1515着~御正体入り口16:15

(by 田子さん)

山行報告文 

山梨百名山のひとつ、道志村と都留市にまたがる道志山塊の主峰、御正体山へ行ってきました。

大月で中央本線から富士急へ乗り換え、都留市へ向かいます。出発時にSUICAで改札をくぐってしまったので、大月での3分間の乗り換えにヒヤヒヤしながら切符を購入しました。山方面へ向かうときは通用しないことの多いSUICA、次こそ気をつけようと思いながら、いつもつい忘れてしまいます。都留市の駅に着いたのが737分。予約の大型タクシーと普通型タクシー1台ずつに乗り込み、道坂トンネル入口で降ろしてもらいます。そこにはすでに準備を始めている先客がいました。猟犬を連れた猟友会の人々でした。彼らがいうことには、この山にはクマがいるから気をつけるようにとのこと。クマも怖いけれど、まちがえて撃たれやしないかとそちら方にも少しばかりビクビクしながら、午前8時頃、歩きはじめました。

のっけからなかなかの登り道。まだ半分眠っている体が強引に起こされる感じです。せっせと登って、左は今倉山、右は御正体山に分かれる道坂峠まで上がったころにはずいぶんと体もあたたまりました。そこからはずっと、細かいアップダウンを繰り返しながらの、なだらかな稜線が続いてます。

空気はひんやりとしているけれど風は無く、明るい日差しを浴びて、左下に道志川と川べりにたたずむ道志村の集落を眺めながらの、気持ちよい稜線歩きです。前方にはこれから向かう御正体山と、その後方に真っ白な富士山も見え隠れしてます。雪はそれほど積もってはいないけれど、所によってはけっこうな深さがあります。こまめに休憩をはさみ、その途中でスパッツを装着。勾配がなだらかとはいえ、ズボリと埋まる柔らかい雪道が体力をすこしずつ確実に消耗させているようでした。

御正体山はなかなか近づかないと思いながら、かなりの時間を歩き、やっと白井平分岐に着いたのが1130分。そこからいよいよ御正体山山頂に続く最後の登りです。無雪期だと45分ほどで山頂へ着くようです。もうひとがんばりだなあ。お昼ごはんも近づいてきたぞうと喜んでいると、ちょうどピストンで下山してきた登山者が。そして、ここから山頂までが大変だよ、と教えてくださりました。私はそのとき、ここまでの道のりも十分に大変だったと感じていたので、その言葉に少しおののきながらも、そうはいっても山頂はもうひといきでしょ、となるべくその言葉を信じないように気を持ち直して登り始めました。

けれども、その方の言葉どおりで、それからの登りが大変でした。雪深く、柔らかく、一つ上に足を踏み出してもズザザザと埋まって上へ進めず、掴みどころのない雪と急登に四苦八苦。と、関さんからのお助け船。足を振り子にしてキックしながら歩くんだよとご指示をいただく。ふだん街中ではなにも考えることの無い、歩くということの行為、一歩一歩の足の動きに没頭します。井上さん~越前屋さん~田子さん~高柳さんが入れ替わって先頭をわっしわっしと頼もしく歩いてくれます。途中で凍結箇所が出はじめ、一同アイゼンを装着。雪山初心者な私はこのときがアイゼン初体験でした。それまではそろりそろ~りと歩いていた凍結箇所を、ガシガシと山を掴み取るように歩けるアイゼンの履きごこち、歩きごこちが楽しく、疲れを忘れることができました。ふと気づくと、すぐ横を私たちと併行するようにウサギの足跡が。ちっちゃな可愛らしい足跡は山頂までずっとついてありました。

そうこうして白井平分岐より急登を標高300mほどあがりきり、ぺこぺこのおなかをつれて御正体山山頂に着いたのが1315分。一緒に登ってきたウサギの足跡も、登頂を喜ぶかのように山頂でくるりとターンをきめておりました。富士山の眺望は残念ながらありませんでしたが、山頂はほぼ無風で、とても快適でした。喜びもそこそこにすばやく昼食を済ませ、時間もおしているので、全員で写真をパチリしたあと、1340分に下山開始。やっとのことで辿り着いた山頂ですが、別れるのはあっという間です。

下りはじめて少し経つと、忘れかけていた富士山がどぉーんと眼前に現れました。真っ白な山肌にキラキラした光をたっぷり浴び、神々しくその存在感に圧倒されます。ゆっくり見とれてたいけども、そうもいってられないので歩を進めます。

下りは雪深い北斜面です。数日前についたらしいワカンの踏み跡もありましたが、先頭をゆく越前屋さんが未踏のまっさらな雪上をルートに選んでくださったので、ふかふかの雪の中をザザザ、ザザザと楽に気持ちよく下っていけました。ふと後ろを振り返ると牧部さんが転んで豪快に大回転をきめてらっしゃいましたが、気持ちよさそうでむしろうらやましくもあり。ふだんの山下りは膝への負担強かったり、ゴツゴツした石や木の根など、足元に気を揉んだりなどあって、どちらかというと苦手なのですけれど、ふかふかの雪の中での山下りはとても快適でした。

1515分に登山道を終えてアイゼンを外し、そこから整備された林道歩きとなります。雪中の下りに慣れた足に、アスファルトの道下りはしんどく、しかもわりと長くて、弱った体に鞭うちながら下りました。その道すがら、朝方の猟友会の面々に再会。その日は結局ボーズだったとのことで残念でした。でもおかげでぐったり横たえたクマなどを眺めることなく済みましたが。

三輪神社で待っていてくれたタクシーにありがたく乗り込んだのが1615分。無事に明るいうちに下山することができて良かったとホッとし、暖かいタクシーの中で疲れた体を座席にゆだねて安らぎました。大月まで乗せていただいたので、帰りの岐路が楽でした。

ところで雪山超初心者の私がひそかに反省したこと。雪が嬉しくて道すがら雪玉をにぎにぎしながら歩いてしまい、気づくと手袋がびっしょり。替えがあったのでセーフでしたが、キーンと手指が冷えることによる肉体的、精神的打撃の大きさを知ることに。それともうひとつ。登りの際に、すでにある踏み跡をたどればよいものを、柔らかい雪を踏みしめて歩く感触が楽しく、まっさらな雪の中を始終ズボズボと踏み抜きながら歩いていた為、疲れがわりと早く訪れました。今回、雪にはしゃぎすぎてムダな動きが多かったなあと身にしみて反省しました。

御正体山、登りがいのある大きな山でした。天気もよく風もなく、たくさん歩き、雪とも戯れ、とても充実した山行となりました。 (郷間)

<2月会山行・秩父四阿屋山>

花と水団とレスキュー訓練

2013225() 晴れ。

6名=大野(CL)、山﨑(SL)、内田、竹下、桑原、池上。

西武秩父807~お花畑821=三峰口841/バス921=小森940→桜本コース→駐車場で地元係の方から登山道が凍結しているので気を付けてとアドバイスを受ける→ロウバイ・福寿草園1030→展望休憩舎で食事(すいとん)(ロープワークの練習)11001210→両神神社奥社1220→通行止めルートに入る→四阿屋山山頂12501255→両神神社奥社1320→鳥居山コース上で救助・心肺蘇生訓練13501445→薬師堂1510~道の駅(休憩)~バス薬師の湯1540=三峰口16001615=お花畑1635~西武秩父(反省会)1730=帰京

下り気味の舗装道を行くと、ロウバイの甘い香りに包まれた。農家への降り口にみかんが置いてあり、Oさんが食後のデザート用に購う。道のどん詰まりで斜面が開け、まばらに植わったローバイの足元に福寿草がそこここに群生している。一同に歓声が上がった。

Photo

「花全体が黄色いのがソシンロウバイ。ソシンは『もとのこころ』(素心)と書くようだよ。ふつうのロウバイは花の中心が茶色っぽい、ほら」

花博士のKさんの講釈を聞きながら、園地の斜面を登っていく。振り返ると、武甲山、熊倉山が雄々しく立っていた。少し風が冷たい。

「すいとんというものはうどん粉をこねるだけでいいの」

「あら、お姉さんのは手がかかっているのよ」

「小麦粉に卵と牛乳を練りこんだの」

「市販のすいとんはつるっとしているから白玉粉が入っているね」

「うどん粉だと腹持ちがよさそうだ」

 市販のすいとん種とOさんの手作りのと両方が入ったすいとんをすすりながら、ひとしきり昔の水団談義がはずむ。みなさん、そういう世代だった。にんじん、しめじ、ごぼうの香りがたっていてGood

アクシデントに遭遇して、真っ白になるのはやむをえない。大事なのは次に何を考え、どんな手が打てるかだが、そこで不断の訓練が試されることになる。滅多に使わない技術だからと疎かにしていると、いざというときに錆びていて使い物にならない。真っ白のままフリーズしないために、直面する不測の事態にいつでも対応できるようにしておきたい。仲間をサポートできることは、自分がサポートされることでもあるから。

救出訓練山行は毎年行われるが、会山行にセルフレスキュー訓練を織り込むのは初めての試みのようだ。四阿屋山の行動時間は3時間あまりで、調理に凝り、湯に浸かったとしてもなお時間に余裕が見込まれた。そこでかねてからの構想である「ふだんの山行のなかでレスキュー訓練」を実行に移してみた。

訓練は三峰口駅前から始まった。小鹿野村営バスを待つ間、全員簡易ハーネスを着け、バスストップを支点にロープをセットし、この日の救出訓練のあらましをおさらいする。異な光景ではあるものの、月曜山行ゆえにほかに登山者の影もなく、人通りも皆無だった。

次の訓練は展望休憩舎のランチタイム。三峰口でシートベントの怪しかった人は重点的に反復練習、さらにムンターヒッチによる懸垂下降の手順を確認する。

本番は、鳥居山コースの430m無名ピーク。

人が倒れている! といっても全国連盟からお借りした人形の太郎君だ。

「私は北多摩山の会のYといいます。応急手当ての訓練を受けたことがあります。どうしましたか?」

手袋をして近づき、知らない人なので名を名乗って様子を見るが、息がない。

「Uさん、胸骨圧迫って何回やるんだっけ」

30回でしょ。そして人口呼吸2回が1グール」

「人がいれば2分で交代するとテキストにあった。胸骨圧迫は1分間で100回。では一人5クールだ」

「胸骨圧迫30回を始めます!」

 いままでの消防署講習で、5クールを経験した人はいなかった。順繰りに交代する。山にAEDはまずない。回復するか救助されるまで、助けたいとの意志のあるかぎり、心肺蘇生の手が休まることはないのだ。

「こりゃ、きついぞ」

ノルマを達成して思わず人形の胸に手をついたまま息をつく人、交代するときあわてて人形の頭を蹴ってしまう人…。胸骨圧迫の回数は、やっている本人では分からなくなることがあるからと、途中から周りで声を出して数えはじめると、リズムも一定に保てるようになった。

幸いにして息を吹き返したので、回復体位をとらせる。傷病者の腰のあたりに膝を立てて座る。傷病者の手前の腕を45度くらいに開く。反対側の膝を立て、その膝と肩を持って手前に引く。上側の腕を曲げて顔の下に入れ、顎を軽く突き出す。

「人口呼吸はRESACOの関係もあるので、担当を決めておいてもいいんじゃないか」

「記録を採る人を決めておくこと」

他にも、ケータイが通じる場所を見つけて119番通報をする人、近くに小屋があればAEDを取りに行く人、緊急連絡書を書く人…、役割分担がいろいろとあった。

続いて転落者の救出を行う。

Yさんが登山道から10mほど林の中へ転落して動けなくなった。ただちにKさんが懸垂下降でYさんのもとに下りて行き様子を確認する。意識があるものの負傷していて自力では登り返せない。Kさんが介助しながら登山道まで引き上げようということになった。KさんはYさんに簡易ハーネスを着けさせメインロープを掛ける。続いて自分とYさんのハーネスをスリングでつないだ。

上の登山道ではTさんとUさんとで三分の一引き上げシステムを構築、「せーの」と引き上げが始まった。OさんとIさんが引き、Tさんがプルージックの位置を下げる。マッシャーが効いて、ズンズン上がる。KさんはYさんの腰をつかんで押し上げるのだが、斜度がきついので自分自身がずり落ちてしまう。そこで二人をつなぐスリングを直接ロープにセットして振り分けとし、二人同時に引き上げてもらう。思いのほか短時間で引き上げられた。

Photo_2

成功の秘訣は、5ミリと4ミリのロープスリングだった。8ミリの補助ロープに対し7ミリのフルージック用スリングでは効きが悪い。打ち合わせになかったこの秘密兵器は、逆流防止のマッシャーも折り返しのプルージックにしても、一発できまった。訓練が手際よく進んだのは、もちろん三峰口駅前から始めた予行演習により、各人が何をすべきかイメージをつかんでいたせいもある。

セルフレスキュー訓練はトータル1時間、薬師の湯を犠牲にしてしまったが予定どおり終了した。

四阿屋山山頂へは一般のクサリ道ではなく、奥社から岩まじりの急峻な斜面を直登した。Iさんは目を白黒させ、「下が見られない。このルートはルール違反だ!」としきりに喚きぼやいていた。実は以前の地形図にはこの直登ルートしか登山道の記載がない。昔は正規の登山道だったのだ。反省会でのIさん、何のことはない、「楽しかった」とのたもうた。

その反省会は西武秩父駅構内の「下山祝いセット1000円」の看板に引かれて入った居酒屋。わらじカツを注文すると、わらじの単位が1足だからというわけか、一皿に2枚乗って出てきたのにはびっくり、少し感動した。

<費用>

武蔵小金井-三峰口往復1,390、バス三峰口-小森/薬師の湯230250、食材+みかん2,000

(文責・山﨑/記録・竹下)

<蝶ケ岳冬山合宿報告>

Photo 捕蝶記

山﨑公一

●山行期日 2013111日(金)~15日(火)

●メンバー 山崎(L)、内田、竹下

1/11(晴れ)高尾1403=松本1731(エースイン松本泊)

1/12(晴れのち雪)松本632=新島々702=タクシー釜トンネル入口750800-大正池ホテル900910-上高地10051020-明神11301150-徳沢1300(テント泊) ※歩行5時間

1/13(晴れ)徳沢640-小休止740750-急登抜ける8151時間毎小休止-長塀山1100-森林限界1200-蝶ヶ岳山頂12151240-徳沢1600(テント泊) ※歩行9時間20

1/14(雪)徳沢740-明神925935-上高地11151150(雪崩のためスーパー林道通行不能の防災放送有り)-大正池ホテル手前デブリ1310-大正池ホテル1335-釜トンネル出口14301440-釜トンネル入口1505(中の湯旅館泊) ※歩行7時間25

1/15(曇り-晴れ)中の湯送迎車830=釜トンネル入口845/バス925(ダイヤ855)=松本10401108=八王子1315

◆虫網の振るい方

正月登山として北ア蝶ケ岳へ最初に出かけたのは2009年末だった。上高地バスターミナルに閉じ込められ、元旦、無念と寒気に震えながら釜トン炒飯を食べて中の湯に下った。翌年はトンネルをくぐることもなく虫網を巻いてしまった。いわば3年越しの計画であり、今年こそはあらゆる事態を視野に入れつつ克服の策を練り、蝶を捕りに行く。

ポイントは上高地で例年の倍と伝えられる積雪に対抗するための軽量化だ。徳沢までのアプローチでもラッセルが予想されるが、行動6時間程度で午後2時には到達したい。そのために松本で前泊する。寒さへの備えを削るわけにはいかないとなると、軽量化の要は食料の簡素化だ。夜はペミカンにアルファ米、朝はエスプレッソパスタのみとした。アルコールは…、ムッムッ、持参しない!

二日目は徳沢BCから稜線のヒュッテ冬季小屋までとし、トレースを当てにせず長塀尾根との格闘に専念する。テントは上げない。シュラフを持ち、場合によっては森林限界付近でのビバークも織り込む背水の陣で臨む。ひたすら前進あるのみ、もはや時間切れ撤退の口実の立ちようがない。

蝶を手に入れたら、三日目は徳沢へ一気に降りてBCを撤収する。

出発直前になってさらに予備日を考慮、悪天による停滞日、あるいは下山日にあてるべく予備食として棒ラーメンを加えた。もはや登らずに帰る選択肢はなくなった。

横尾からではなくなぜ長塀尾根なのか、とはしばしば受ける問いだ。徳沢には営業小屋があり、森林限界を出てから短時間でヒュッテ冬季小屋に入れる。吹かれるであろう稜線の歩行距離は短い方がよいとの判断が大きい。もしラッセルに苦しむ状況となれば、いずれのルートであれ甲乙つけられないのではないかと思う。

もう一つ、山頂は横尾からの方が近いではないかという説がある。蝶は南北に羽を広げて北に三角点2664m、南に最高点2677mがあり、どちらも蝶ケ岳のピークに変わりなく、地形図も南北の長い稜線に沿って山名を表記する。そこでわれらは最高点に立って虫網を振るう、と決めたまでのこと。

◆予報は晴れのち大雪

出掛けに、HBC高層天気図をチェックする。

予想図では、14日にいきなり登場する南岸低気圧により列島全体にアミがかかり、予報支援図でも500hPaの 4000m等高線が降下してちょうど中部山岳にかかる。好天は13日までで14日は大荒れ。14日に上部に留まっている意味はない。蝶は13日ピストンで決着をつけ翌早々に撤退する、との心積もりでザックを背負う。

松本に向かう列車のなかで日本山岳会の予報メールを受信した。

「12日:はじめ移動性高気圧に覆われるが、夕方に寒気を伴う上空の気圧の谷が通過する見込み。このため、日中は晴れるが稜線では西寄りの風が強く、夕方には稜線は雲に覆われ、雪が降ったり止んだりの荒れ模様の天気になる恐れがあり、天気の急変に要警戒。」

「13日:大陸からの高気圧に緩やかに覆われる。このため、朝には天気が回復し、晴れ間が広がる。ただ、焼岳や飛騨側山腹ではやや回復が遅れる見込み。また、午後から薄雲が広がりやすくなっていく。風は午前は北西風が強いが、徐々に落ち着いていく。」

12日、徳沢には問題なく入れそうだ。13日はアタック日和。残る懸念は好天だった先週末以降の積雪状況だけだ。

◆穏やかな上高地

釜トンネルを出ると部分的にアスファルトが出ていた。暮れから正月三が日の荒天以降、この一週間では大した降雪がなかったと推測された。上高地バスターミナル付近の積雪はたしかに3年前の倍あり、年末年始はよく降ったようだ。

うす曇りだが風は弱く、焼岳も穂高の稜線も見える。

「半年ほど来ないうちに明神は徳沢寄りに動いたのではないか」

踏まれているのだが、雪道ではやはり明神まで夏時間では到達できず、悔し紛れの冗談がとぶ。静寂に沈む明神は猿の気配が充満していて気圧された。

明神を出て一本立てる頃には陽が差し、青空ものぞく。徳沢の手前、「落石注意」の標識のある山の端でデブリが出ていて、河原を迂回する。徳沢入りはこの日二番手のようで、テントは設営さなかの一張だけだった。

徳沢ではケータイが使えないので日本山岳会の予報を受信できない。16時、ラジオで天気図をとる。ルドナヤプリスタニ付近の低気圧の影響は北陸までで、明日は北海道に移動する。列島は太平洋上の高気圧と大陸にある高気圧との狭間にあって、安定した好天が期待できそうだ。ただし高気圧のゆるい鞍部は見方を変えれば気圧の谷。東シナ海あたりの等圧線はだらしなく弛緩しており、その隙間から今にも小ずるそうな低気圧が鎌首をもたげそうだ。

やはり速攻は揺るがない。取り付きを下見すると、立派なトレースがついていた。しかし万一の稜線泊の備えは崩さず、アタックザックにはシュラフカバーとワカンを加えようと決まる。天気図を仕上げてふとベンチレーターを見上げると、なんと外は雪。隣のテントがかすんでいる。しかし風に飛ばされてただ舞うだけの雪はほとんど積もらず、夜半には星空を仰ぐことができた。

◆樹林帯の登り5時間余

 すっかり明るくなった6時半に出発する。急登1時間で尾根に乗るところ、テントが3張、さらにその上で1張、いずれも頂上に向けて出たようで無人だった。長塀尾根へテントを上げていく計画を検討した経緯から、幕場を物色しながら歩いてきて、そこが最初の適地といえた。これより上で幕営の痕跡は見かけなかったので、この標高1950mあたりからピストンするのが一般的なのだろうか。

 道は東に向かったあと北へ向きを変える。それを何度か繰り返し高度を上げていく。紅く染まる明神や前穂の岩肌が、少しずつ下へ広がっていくのが樹間からでもうかがえる。この天気の続くうちに稜線に出たい。しかしこの樹林帯をたっぷりあえぎつくして後でしか、しかるべき山頂はあらわれない。それがこの尾根のしきたりだった。

 部分的に風がトレースを消していたが、明確なトレースが樹林を縫って続く。目印が次々目に留まる。昨春の杣添尾根での彷徨を思い出す。降雪直後、トレースがなければこの目印すら見つけるのが往々にして困難なときがある。ふと井戸を掘る人の労苦を思う。

◆頂上から360度のパノラマ

ヒュッテの冬季小屋の入り口の横、荷物置き場のように平たい木製の台で男女二人のパーティが休んでいた。小屋の建物群の陰になり、風をよけるのにちょうどよい場所だ。暗い穴蔵に入るよりはよい。

「もう出ますのでどうぞこちらへ」

「いや、冬季小屋をのぞきに来ただけですから」

二人組はハーネスを着けロープを手に北へ向かった。指先の感覚に若干の違和感があるとはいえ微風の部類、穏やかな冬晴れといってよいのだが、蝶の稜線の風はすごいとの触れ込みに転ばぬ先の杖を意識しているのだろう。雪道を走って下っても転ばない鍛錬をする前に、人は転ぶものという前提で杖の心配をする、この教条主義は疑いなく労山の仲間かもしれない。

あるいは同行者の体調が思わしくないのか。ふと少し前のUさんの言葉を思い出す。

「あとどのくらい?」

長塀山に立った時、Uさんの言葉に耳を疑った。彼女はいかなるときも判断の材料を保持し、いつだってみずから判断のできる人だ。頂上までどのくらいかを知りたければ調べるすべを知っているし、いや調べるまでもなく容易に確認できたはずだ。次第に歩くペースが落ちて遅れ気味ではあったが、困憊のレベルがこれで窺い知れた。

朝から抜けっぱなしの青空を背に、二人がピークで手を振っている。Tさんと頂上に立ったとき、Uさんはまだ森林限界あたりで動いていたのだが、今は360度のパノラマへカメラを向けるのに余念がない。雪が飛んでむき出しとなり固く凍った砂礫にアイゼンを刺しながら頂上に登り返し、ピースサインもそこそこに、妖精の池まで一気に下って大休止とした。

「何か持ちましょうか」

 するとUさんからただちにワカンが差し出された。

「いつ言い出そうかと思ってたの」

「私も持つわよ」

 Tさんも登りながらUさんの体調を気にかけていた。

見上げると頂上に向かう尾根上に顕著な樹木が目にとまった。この正月、風雪とホワイトアウトとで長塀尾根のこの下り口がわからず冬季小屋に連泊した人がいたという。尾根をはさむ2本の樹木は、ここがゲートだといわんばかり、ほとんど門柱のように空に向かって伸びていた。

日没までに徳沢の射程圏に入れればいい。明日は悪天、頑張るしかない。

◆デブリを越えて

道がない。トレースが忽然と消えてしまい、雪の堆積が山となって立ちはだかる。まだ大正池ホテルの手前だ。腰の周りの雪を掻き分け登っていくといきなり胸まで沈んで動けなくなる。先行パーティとは20分と離れていないはずなので、雪崩れたばかり、末端は道を越えて梓川に向け押し出ている。その下はスノーシューのハイキングコースだ。

ザックをはずし、まずはトレースを付けるべく泳ぐように進む。デブリは幅20mほどで、すぐ前方の森林帯に再び道が現れていた。トレースを付けて戻って今度はザックを引きづって突っ込む。続くTさんも体が半分以上埋まりもがいていたが何とか脱出する。白いチリは舞いながらわずかな時間で積もっていくので、いつふたたび雪崩れてもおかしくなかった。Tさんの後ろにUさんが続いていて、皆が団子状態でいたのではまずいとの思いが掠める。一刻も速くこの場を脱出しなければと気が急き、斜面を見上げて確認する間も惜しかった。上部の状況を見るのがおそろしかったのかもしれない。新雪の堆積はやわらかく抵抗が少ないぶん不確かで、もがいているわずかなあいだでも気の遠くなりそうな時間にひきずりこまれる。

夜半から静かに舞い散りだした雪は、数時間でテントの半分近くを埋め、横になった体にのし掛かってきていた。4時過ぎ、意を決して除雪する。それでも朝食後、撤収にかかるときには再びテントの周囲を掘らねばならなかった。上高地への下山では、少し先行する大部隊が新雪を固めてくれているはずだった。しかし足跡は踏んだ直後から曖昧になっていく。空には悪戯な小悪魔が跳梁しているようだった。

釜トンネルまでの間に、雪崩の直後と思われるデブリをいくつ越えただろう。幅10mほどのものから数mほどのものまで、5~6カ所は数えたはずだ。見上げる斜面のあちこちに、樹枝からの落雪や風の刺激でたちどころに落ちて来そうな亀裂が開いていた。

◆雪崩に埋まらないために

昔学んだ雪崩注意個所の通過のしかたが思いだされた。

メンバーは危険個所の距離やデブリの幅から判断して、一定の間隔を置いて離れて進むべきだ。後続の者は先行者の動向を、先行者は後続の動向を、それぞれ注視し監視を怠らない。ザックはすぐ体から外せるように、ザックベルトを外しておく。ザックを背負ったままだとそれが重しとなって雪の中に沈んでいく。

手首のストックやピッケルのバンドもはずし、すぐ手放せるようにして持つ。ザックのショルダーベルトをはずすときに邪魔になるのはもちろんだが、ストックやピッケルはアンカーとなって体を深く埋没させるといわれている。雪崩に遭遇した時には表層に留まれるように「泳ぐ」といい、実際に大して埋まらずに自力で脱出できた例が少なからず報告されている。

行動中には反省しきりだった。

呼子は、というとザックの中だ。音もなく落ちてくる白い流動物に呑み込まれようとしている仲間に、それをどうやって知らせればよいのだろう。ビーコンはない。雪崩紐でも垂らすべきだろうか、と思っても細引きはザックの底だ。

徳沢を撤収するとき、前夜からの大量降雪でタワシが行方不明となっていた。おおよその埋没位置の見当がついているにもかかわらず、結局探し出せなかった。いったん埋まったものを掘り出すのは容易ではない。ところがどうだ。雪崩地帯を通過しているというのに、肝心のスコップはわざわざ解体され厳重にパッキングされていた。

自分の間抜けさ加減を苦々しく思いながら中の湯に着くと、奈川渡あたりの雪崩でバスは全面運休となったとか、タクシーを待つ人たちがあふれている。タクシーは松本で立ち往生していて上がって行ける時間を約束できないという。これを奇貨として私たちはすぐさま中の湯に宿泊を申し込み、宿からの迎えの車を待つことにした。

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今年のスノーシューハイク

2月9,10日は、山の会のスノーシューハイクで北八ヶ岳に行ってきました。ここ数年、会のスノーシューハイクの担当になっており、裏磐梯に2回、北八ヶ岳1回、高峰高原1回と連続して担当してきました。今年は、目先を変えて「信越トレイル」を考えてみたのですが、これまで「信越トレイル」自体に行ったことが無く、またネットでスノーシューの記録はいくつも見るものの、土地勘のない所での冬のスノーシューには不安がありました。小金井からは交通の便が悪い爲、バスを仕立てる必要がありますが、そのために必要な人数も集まりませんでした。その結果、「信越トレイル」は次回の宿題とし、今年は未経験者も参加できるように、近場の北八ヶ岳でやさしいいコース設定のスノーシューハイクを計画することにしました。結果は、当初11名の参加予定が、最終的に経験者6名の参加になってしまいましたが、山小屋での宴会がメインのゆったりスノーシューハイクとなり、天気と積雪に恵まれたいいスノーシューハイクとなりました

最近、茅野駅から北八ヶ岳ロープウエー行きのバスが減ってしまい、早朝発で乗れるバスが10時25分発のため、その日は雨池経由で麦草ヒュッテに入る、3時間弱の行程としました。結果、小屋への到着が3時前と早く、ストーブの前での飲み会から自炊の夕食と延々4時間近い宴会となりました。小屋は結構な泊り客がありましたが、無雪期に比べ若い人が多く、平均年齢も10~20歳も若いように思われました。2階は大広間と個室になっていますが、我々の泊まった3階の大広間は、定員の半分程度しか泊り客が無く、ゆったりと寝ることが出来ました。敷布団、掛布団、それに分厚い毛布が2枚あり、室内では一晩中ストーブが焚かれて、「本州で一番寒い」八ヶ岳ですが快適な夜を過ごせました。・・・年を取るとこういう山行がいいな、とても冬のテント泊はできない・・・という心境です。行きの電車で一緒になった山の会の仲間が、阿弥陀岳を目指して阿弥陀南陵を登攀中で、今頃は立場岳近くのコルにテントを張って過ごしていることを思うと、何とも軟弱になってきている自分に、「これでいいのか」と言う自分がいたり、「これが自分相応なのだ」と弁明する自分がいたりするのでした。

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2日目は、茶臼岳~縞枯山~坪庭と縦走し、スキーゲレンデ脇の夏山道をロープウエー山麓駅まで4時間で歩きました。前回のスノーシューハイクの時に、山麓駅までの下山コースを間違え、尾根の林に入り込んて下り道を見失ってしまい、最後はゲレンデの脇を下るという情けない事になってしまいました。今回は道を間違えずに、と意気込んでいましたが、なんということはなく、ロープウエー山頂駅のすぐ脇に、「登山道」の標識があり、しっかりしたトレースが山麓駅まで続いており、取り付きさえ見つけてしまえば、ゲレンデとロープウエーに沿って下る、どうということのない道でした。地形図でも、最初はロープウエーの左側を下り、3分の1ほど下ったところでロープウエー沿いに下る登山道が記載されていますし、昭文社の「山と高原地図」でも登山道は、その道になっています。「アルペンガイド」でも「ひょうたん坂」としてこの道が書かれています。これが一般的な夏道、登山道だとわかります。

昔、夏山できたと来た時に、ロープウエーが定期補修で運休しており、麓から歩いて登ったことがあります。その時は、バス停脇の登山口から登りはじめ、広く開けた尾根をロープウエーから離れるように東に回り込んで登った記憶があります。地形図を見ると、そこには細い点線が記載されており、それは「指定地区界」の線のようです。その時登ったルートは、それに沿っていたように思います。その時の記憶から、前回は、ロープウエー山頂駅横のゲレンデを挟んで反対側にあった「登山道」の表札に従って下り始めたのですが、途中からトレースが不明瞭になり、尾根の林に中に迷い込んでしまったのでした。今回歩いた道とは全く別の道ですが、そちらの道でもトレースはないかもしれませんが歩けると思います。もう一度確認したいものです。

帰りもバスの便、JRの便が悪く、また、休日の今日も「ビューやまなし」が走っているものと勘違いしたため、1本電車をロスしたため、12時に下山していましたが、小金井に帰り着いたのは夜8時前と、宴会の時間がたっぷりの1日でした。ちなみに「ビューやまなし」は12月から2月の間は運行されないそうです。

 (記:合田)

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北八ヶ岳・スノーシューのコースタイム

            20130209()10()      記録:竹下

参加メンバー:合田(L)、内田(写真)、桑原、池上(会計)、新堀(食料)、竹下

<コースタイム>

2/9(快晴)

武蔵小金井618=立川643発=甲府838853=茅野1012

茅野/バス1033(1025)混雑2台=北八ヶ岳ロープウェイ山麓駅11151210

=山頂駅1215

山頂駅1220-縞枯山荘1233-林道1253-雨池13101320 

-小休止14051410-麦草ヒュッテ1440(泊)

2/10(快晴・風あり)

麦草ヒュッテ715-スノーシュー直し-茶臼山835845-縞枯山

展望台往復915930-縞枯山山頂940-縞枯山荘前1000

ココアタイム10151025-ロープウェイ山頂駅1040

山麓駅バス停前1140

バス1315=茅野駅14151522=小淵沢(ホリデー快速なし)1544

甲府乗り換え=高尾1907=帰宅

<費用>

武蔵小金井-茅野往復4,100(ジパング使用)、茅野-ロープウェイ往復バス2,100円、

ロープウェイ片道1,000円、麦草ヒュッテ素泊まり5,300円、食材4,000

◆ホリデー快速ビューやまなし号のお話

・運行日: 土・日祝

・運行時期により東京側千葉駅、山梨側茅野駅、上諏訪駅まで延長。

12月から2月は運行しない。

・小淵沢発1616-立川1825-三鷹1839・・・。

・普通車指定席51067号車、普通車自由席13810号車

紅葉の八甲田山と岩木山の旅

山行日   2012年10月8日~10日

参加者   越前屋(L) 桑原(SL) 内田 蝦名 竹下 土生 新堀

 八甲田山は行ってみたいと思っていた山の一つでしたが、遠い、そして費用も日程もかかると思っていました。会山行の企画で取り上げられたのを機に、チャンスだと思い参加を希望したところ、まさか担当をまかされるとは・・・

 早速、有名な酸ケ湯温泉に宿をと8月末に予約の電話を入れましたがすでに満員、休日を避けたにもかかわらず予約は取れませんでした。仕方なく近くの八甲田温泉遊仙を予約(結局、安くて良い旅館でした)

また、せっかく青森まで行くので八甲田山だけではもったいない!と思い、

岩木山登山も計画に入れ、登山口に近い宿を探し、新幹線、JR線の時刻調べ、タクシー、送迎バスの予約と何度もインターネットや電話で調べ、やっと計画書を作成、7名の参加者となりました。

 1日目は新青森駅から宿の送迎バスで八甲田温泉(遊仙)に直行、リュックを置いて田代平湿原を散策し、あとは部屋でゆっくりと山話に花を咲かせ旅の

気分を満喫、温泉が修理中でぬる~い湯でがっかりでしたが夕食は素朴ながらも東北色たっぷりのおいしいお料理で大満足でした。

 2日目、朝食はお弁当にして酸ケ湯温泉まで送迎してもらい早い出発としました。行程は酸ケ湯登山口~仙人岱~大岳~毛無岱~酸ケ湯温泉コース、

毛無岱あたりの紅葉はちょうど一番の見頃で素晴らしかったです。

また、下山後、念願の酸ケ湯温泉にも入ってきました。

そして予約したタクシーで新青森駅にでてローカル線に乗り、りんご畑を眺めながら弘前駅まで50分、宿の送迎バスで百沢温泉(あそべの森いわき荘)に到着、立派な旅館にびっくり。ここではゆっくりと温泉に入り、夕食は豪華な懐石料理、アルコールも進みます。目も舌も楽しみました。食後は津軽三味線のコンサートもあり本当に旅気分です。

 3日目、朝食もまた御馳走でしたが出発の時間がありゆっくり食べられずに残念、予約したタクシーで岩木山弥生コース登山口まで行き、1合目から登山開始、最初は雑木林の中の気持ち良いコースでしたがまもなく荒れた登山道になり藪こぎ、笹に掴まりながらの悪戦苦闘です。我々の外に登山者は誰にも会いませんでした。頂上は八合目から登った人達でいっぱい。

眺望は少し霞んではいましたが海も見え素晴らしい景色でした。

八合目まで下山し、バスターミナルからバスで弘前駅に出て新青森に戻り

海の幸を味わい帰途に着きました。

 岩木山は当初百沢コースを計画しましたがバスの時間の心配があり、話し合いの末、予定を変更して短めの弥生コースにしました。それでも時間がかかりそれ程余裕はありませんでした。変更して大正解でした。

 今回の山行は天気にも恵まれ、おいしいものも沢山戴き、温泉にも大満足、もちろん一番は八甲田山の紅葉のすばらしさでした。

皆さんお疲れ様!楽しい山旅でした。

                           (新堀 記)

初めての会山行「蓼科山」

晩秋の会山行は北八ヶ岳連峰・最北の蓼科山。避暑地帯にそびえる円錐形のなだらかで美しい女性的な山、と私の抱いていたイメージは幾分くつがえされ、岩のゴツゴツっとした、なかなかに逞しい山でした。天候にも恵まれ、二日間にわたって素晴らしい景色を満喫してきました。

といっても中央本線、高尾を出発してしばらくの眺めはどんよりとした曇り空。心配しつつも西へ向かうにつれてだんだんと色づいていく紅葉の木々や、たわわに実る柿などを見ながら話を咲かせ、やがて左に鳳凰三山、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳、右に八ヶ岳連峰が現れる頃には、どこへ行ったのやら雲ひとつなく吸いこまれそうなほど青く澄んだ空が広がっていました。

茅野駅からタクシーに乗り、ビーナスラインを経て女神茶屋にて下車。真弓の赤い実を愛でながらサクっと昼食をとり、登山口よりいざ出発。

しばらく笹っぱらを歩いた後、樹林帯の登り。たまに緩やかになったり、急な登りとなったりの繰り返し。何度か休憩が入りつつもなかなか手ごわい登りに息をきらせます。標高2100mを超え、平坦な林道でいったん息を整えてからまた本格的な登りが始まります。岩ゴロゴロの急登を夢中になって登り、気づくと辺りは特有の縞枯れ地帯。そして背後にくっきりと広がる八ヶ岳の眺望に時々目を癒します。樹林帯が終わって辺りが開けると最後の登り。ゴロゴロの大岩をわっせわっせと登っていき、遂に山頂。うっすらしたガスで見え隠れする穂高連峰の眺望に感動。名残惜しみながら山頂を後にし、この日のお宿・蓼科山荘へと向かいました。

山荘へ向かうこの下り道がクセモノでした。数日前に降った雪はもうほとんど残ってはいなかったのですが、うっすら残った雪が岩に薄く堅くはびこり、下山する足をつるりつるりと滑らせました。たどたどしい足取り、滑らないようにと気を張りっぱなしで、山頂から標高差200メートルもないほどの山荘までの道程が長いこと。着いたのは16時をやっと回ってからでした。

山荘に着くとまもなく炊き出しがはじまりました。今回は12人の大所帯。二つの鍋が用意され、頼もしき男女二人のシェフが仕切っての料理。どっしりと鍋前に構える東陣の将・Y氏。はたまた、静かにも一分の隙もないすばやい動きでフルコース料理を作る西陣の将・Nさん。東西、対決の火花がビチバチ飛ばされ…はせず、出来上がった料理は西に東に仲良く分け合われての賑やかな晩餐でした。この日は山荘の小屋締めの日でもあってスタッフ達は別部屋で宴会をしているようでしたが、その宴会場に運ばれる料理を覗くと、失礼ながらちょっとお粗末。圧倒的に北多摩シェフ料理の方が贅沢で魅力的なのでした。そこに種々のお酒が添えられていたことは言うまでもありません。お腹も満たされて酔いもほどよく回り、心地よい疲れとともに瞼も重たくなってきたころ、「星がとてもすごいよ!」との声に急ぎ外へ出ると、満天の星空。無数に輝く星屑、もやっと白い天の川、煌煌と輝く月の光。初めて見る絶景の夜空でした。

翌日は5時起床。気温は-6℃。優しいおじやの朝食をとってから山荘を発ち、昇りたての橙色の朝日を浴び、鳥のさえずりを聞きながら縞枯れの樹林帯を歩き始めました。やがてゴロゴロ岩まじりの下りを経て、大河原峠で一休み。それからまた少し登って辿り着いた双子山山頂にて眺望を楽しんだ後、紅葉も終わりかけのカラマツの中を歩き、雄池と雌池を有する双子池へと降りました。静謐な…はずの池のほとりを、テント泊登山者が連れた犬にギャンギャンけたたましく吠えられ、喧騒の中を通り過ぎて逃れるように入っていった先は、苔むした緑の深い静かな森。長い霜の降りる、陽の当たらないひんやりとした森の中には、岩や倒木にみっちり一面に生える苔の緑の風景が広がります。聞けばこのような景色は北八ヶ岳特有とのこと。しばらくここでゆったりしていたいほど神秘的な苔の世界でした。亀甲池で一休みした後、大岳は巻いて1時間半ほどの登りを経て北横岳山頂へ。

晴天の中、北横岳山頂は360度絶景の大パノラマでした。八ヶ岳、蓼科山、浅間山、白馬岳、鹿島槍、穂高岳、槍ヶ岳、乗鞍岳、御嶽山、木曽駒ヶ岳、北岳、仙丈ヶ岳、甲斐駒ヶ岳など、数々の名峰がズラリ。素晴らしい眺望に、ただただ感動。絶景を前に感動しながら、美味しく昼食をとり、坪庭まで下山しました。

ロープウェーで下りながら眺望の余韻を楽しみ、その後タクシーで茅野駅へ。小淵沢でホリデー快速ビューやまなし号へ乗り換えて2階ボックス席に一同座り、各自調達したビールや駅弁、御菓子などを手に、快適な帰路。八ヶ岳を離れて寂しくなってきたころ、「あれ、ニセ八ツだよ」と会長E氏。その由来は「昔、夜行列車で山へ向かうと、明け方に起きて寝とぼけて八ヶ岳とまちがえた」…からニセ八ツ。と愉快なお話。見ると確かに、その山容はどこか八ヶ岳の雰囲気が。それからここの山行中に急逝したという深田久弥氏の話から百名山の話、変わって、来年50周年記念の会山行は?などとりとめもなく話は続きました。立川1825分到着。天候に恵まれ、眺望、食事も最高の素晴らしい山行。充実の二日間でした。

ところで今回、北多摩山の会に入りたての私は、皆さまに色々とご迷惑をおかけしました。小屋泊まりも今回初めて、念のための雪用装備についてもさっぱり分からずの、あれもこれも分からないことだらけの山初心者の私に、辛抱強く接してくださりありがとうございます。山行前には一から装備の説明いただいたり、装備をお借りくださったり、山行中にも歩き方やパッキングのことなど要所でアドバイスくださったり、山の名や星のことを教えてくださったり、等々。皆さまのおかげでとても楽しく充実した山行となりました。入会して良かったとしみじみと感じております。小屋泊まりなのにシュラフを持ってゆこうとしていた私に前日すかさず訂正入れてくださったTさんいつもありがとうございます。では皆さま今後もどうぞよろしくお願いします。

                 (M.G.)

毛勝山・西北尾根

森 

2012年9月15日~17日

参加者 越前屋(CL) 関(SL) 井上汎 桑原 内田 竹下 蝦名 森

剣岳北方稜線、何とも魅惑的な響きを持っている山域。

毛勝山を意識して見たのは、白馬から雪倉への道だったか、それは旭岳の左に三つのピークを盛り上げている大きな姿だった。

残雪期 頂上直下の50度にも及ぶという急斜面を、一人で下る決心がつかず、先延ばしにしてきた、宿題の一ページ目に有る山。

片貝川に沿って走る車の中から、川の上に架ったとても小さな虹が見え、幸先好しと思ったのもつかの間、山間に入れば雨は勢いを増し、不安を抱かせる出だしとなる。

駅前にて調達した刺身を肴に、ビールのピッチもあがり、雨の中、電気まで有る片貝山荘に感謝の一夜となった。

翌朝3時過ぎ 朝食を済まし山荘の外に出ると、満天の星 西の空には山の端に沈みかけているオリオン、下の三ツ星までハッキリ見えている。

4時前に出発 途中僧ヶ岳への立派な登山口を過ぎ、余り登ってもらいたく無いとでも言いたげな、目立たない登山口へ入っていく。

標高差1700Mの内一番の急登300Mが最初にお出迎え、先頭のヘッドランプがすぐ上に見えている。

どこまでもトラロープの下がった、木の根が出た道が続き、たちまち汗が噴き出す。

周りが明るさを持ちだした頃、左手に僧ヶ岳が見え始めるが、まだまだ高い。

途中で前日の雨の中、急な下りを避けビバークしたのか、7~8人の雨具を付けたパーティーから、快晴の中登る我々に羨ましいとの声が掛る。

同じ山に登っても、あの人達とは全然違う毛勝山になるのでしょう。

1479M三角点 唯一現在地を正確に確認出来る所、3時間近く掛っている。

左に駒ヶ岳、右手に大明神山が見えるようになるが、道幅は細く、踏み外したり、滑ったりすれば、谷へスッテンコロリンの気の抜けない道が続く。

ようやく登りついたモモアセ池、イワショウブと綿毛になったチングルマの草原。

緊張感から解放され、気持ちよく歩く。                

2151M峰に登りつくと、目の前に毛勝山のピークがドーンと現れる。

クワガタ池の傍で休息、広域地図を見せてもらい、後立山の山座同定をするが、どうしても出来ない(この頃から判断力が低下していたと思われる)

ここまでで6時間半、あと250M  しかし急だな。

時間を気にしながらの最後の登り、下ってくる人がいるのに便乗し、道を開けて座り込んでいる。

11時半ようやく着いた、剣岳が思っていたより大きく見えている。

本峰に続いて八ッ峰 大窓・小窓・三ノ窓・池ノ平山が、何時もと違う角度から見る剣は、存在感に溢れている。

三角点の傍の小さな石の仏様も剣を見ている。

頂上下は広い草原、何時までも風に吹かれて、座っていたい所。

30分の至福の時を過ごし下りに移る。

モモアセ池までは順調に歩き、5時過ぎには降りられると考えていた。

そして、それは突然にやってきた、足に力が入らなくなり、視界も少しぼやけている。

ガス欠かと思い、しっかりと食糧補給をし、次のピッチは遅れずに歩くも、それが限界だった。

最後の急降下は、関さんのサポートを受けるも、呼吸が荒くなり、トラロープを掴み、ずり落ちていくだけ。

ランプを使わずに降りたいとだけ思っていた。

薄暗くなった中、降りついた林道、ようやく終わった、皆心配しているだろうな。

旅館で出されたこれでもかというご馳走、何時ものように、飲み、そして食べた。

一体何だったのだろう、やはり熱中症にやられたのか。

前日の雨を考えて、何時ものズボンではなく、表地がナイロン100%の濡れてもよいズボンを穿いていた。

通気性の無いズボンのせいか、登っている時、経験した事の無いような汗がズボンの中で出ていた。

もっと早く気付いて、着替えるべきであった。

ともあれ 大きな宿題は果たせたが、何時ものように新しい宿題が。

僧ヶ岳から残雪の毛勝山を見たらどうだろう。

僧ヶ岳なら標高差1100M、少し体力が落ちても大丈夫かな。

予定リストの後ろの方に加えておこう。 

毛勝山・西北尾根コースタイム

                                         (竹下・記)

 長い長い登りの末に、毛勝山山頂から眺めた剱岳はいつも見慣れた姿とは反対の形をした裏からの剱岳でした。周辺の北アルプスの山々も然り。新しく作られた登山道の急斜面はジグザグ道が少なくて、トラロープの連続に上り下りで苦しめられました。

でも、山荘での安くて美味しいお刺身三昧と料亭旅館のご馳走には舌鼓で大満足。

印象に強く残る山行になりました。

<コースタイム>

9/15(晴れ/雨)

池袋発高速バス富山行7:20=魚津IC13:55(約50分遅れで到着)/ジャンボタクシー14:05=富山の名水、スーパー買い物して14:55=片貝山荘15:30

9/16(晴れ/小雨)   【行動時間 14時間20分】

片貝山荘3:40 - 毛勝山登山口3:52 - 小休止10604:525:00 - 小休止6:006:15 - 三角点1479m6:38 - 小休止1600m7:227:30 - 小休止8:278:35 - モモアセ池9:20 - クワガタ池10:30 - 毛勝山頂上11:3012:00 - 小休止取りながら - 三角点15:2015:35 - 急下降前 - 毛勝山登山口17:43 - 片貝山荘18:00

片貝山荘ジャンボタクシー18:15出発=

魚津市

内よしのや旅館18:50

9/17(晴れ/富山フェーン現象で気温36度)

やしのや旅館9:45発=海の駅(蜃気楼)で買い物~10:40=魚津IC10:50/高速バス11:15発=関越道で渋滞/池袋東口19:20(2時間20分遅れ) 小金井方面は2020分ごろ帰宅。

<費用>

全費用26,600円/1

内訳 高速バス代(池袋=魚津IC往復)12,600円、旅館代8,000円+α(飲み代)

   タクシー代(片貝山荘往復、旅館・魚津IC)、食糧・飲み物代、他。

扇沢~針の木峠~蓮華岳~七倉登山口

                                                                佐藤

日 時:平成24年7月14日(土)~7月16日(月)

参加者:竹下 内田 関 蝦名 井上汎 桑原 合田 森 新堀 大嶋 佐藤

アイゼンが必要なところだそうだが雪渓がどういうものか知らないで参加した。スリンゲ、カラビナ等は竹下さんのお世話になりながら一式を揃えた。初めて自分の持ち物となった大切なものだからという意識で荷物の一番下に入れてきたが、扇沢を出発して大沢小屋に着いたとき「スリンゲをすぐ出せるように」と言われ、慌ててリュックの底をかき回すようにして取り出す。

いよいよ雪渓。下から見上げるそれは巨大な白い魚の鱗が果てしなく続いているようで、登ると言うよりも鱗の一枚一枚に片足づつ踏み込んで行く感覚だ。実際青や赤のミニ鯉のぼりが道しるべのように雪渓の所々に突き刺さっていて、単調な踏み込み作業を癒してくれるのだから魚とは無縁ではないのかもしれない。そんなことを考えながら進んでいくといつの間にか鯉のぼりが吹流しに変わってこの作業の終わりが近いことを知る。まだかなーと思う気持ちで下から見上げていた時は全然見えなかったのに、峠まで登りつめると呆気ないくらいすぐそばに針の木小屋が現れる。

そこから、アルコール燃料が切れたとかなんとか言う数人を残し荷物を軽装にして、針の木岳山頂を目指すが思った以上の残雪に阻まれ途中から小屋に戻り、思い思いのポーズで時を過ごす。通路のような廊下の突き当たりのような落ち着かない板敷きが私たちの居場所だ。そのうえ枕はA4サイズの半分ほどの大きさだし、隣の団体の笑い声は大きいし、と思いながらも夕食後の安堵からウトウトし始める。

笑い声が一晩中続いていると思っていたのは窓の外で暴れる強風であった。雨も降っている。朝食を済ませたものの霧が深いため予定を少し遅らせての出発となる。小屋を出て1時間弱の小高い広場のようなところで20人くらいの人々が強風に耐えて咲くコマクサに見入っている。その中の一人が「何も(標識が)ないけれどここが蓮華岳のようですよ」とこちらに向かって言っている。半信半疑ではあるが足元のコマクサはしっかり鑑賞してさらに20分ほど進むと祠が見えてきた。やっぱり山頂はこちらだったと結論づけて霧の中で記念撮影をする。

ここを過ぎるころから足が砂利の中にズルズル埋もれるような滑るような感覚になる。前を歩く人と自分の頭の高低差からかなりの急坂だろうと想像するが視界が悪くよく分からないままひたすら前の人に付いていくだけなので恐怖感はない。後方で大声がする。何事かと振り返ると白いコマクサを見つけ「あったぞー」と叫んでいるのだ。あーあ前の人の踵しか見ていない私とは大違いの余裕が羨ましい。「そこに山があるから」登ると言う名言を残した人もいるが数回の山行で思うことは、他の人は色々な花の名前を言い当てている。それ以前に、歩きながらよく見つけ出していることに驚く。「エイザン・・」「ハクサン・・」「ミヤマ・・」花だけではなく見晴らしのよいときにはあそこが「・・岳」「・・山」と語り合っているのが聞こえてくる。私が判るのは富士山と奥多摩の大岳山だけかも知れないと考えながら「蓮華の大下り」と呼ばれる坂を歩き続ける。

北葛乗越手前から北葛岳、七倉乗越までは岩場で鎖が連続しているので慎重な足運びとなる。やっとの思いでそこを通過して登り返したときに振り返ると、すれ違ったパーティーの岩に張り付くような姿を見て、夢中であったが過ぎてきた道の険しさを実感させられた。足場のよくなった七倉岳に着いてほっとする。その少し先には屋根が見える。あそこだ!もっと先だと言いながら緊張が解けた足は軽くなりずんずん進む。すると私たちを見つけ大きく手を振る人が、鐘を打ち鳴らしてここが船窪小屋だと合図をしている。この船窪流のおもてなしは、翌朝小屋を発つ時までスタッフ全員の変わることない心根で、例えば玄関前の野外テラスにリュックを下ろすのと人数分のお茶が運ばれてくるのがほとんど同時という心配りとなって訪問者を感激させている。

囲炉裏のある茶の間の奥のプリティな赤いギンガムチェックのカーテンで間仕切りした二段式の空間が今夜の寝床だ。「テントの時はこんなにのんびりできないわー、小屋はゆっくりできていいわー」と聞こえてきたり、荷物を整理したり、ダウンジャケットを着て夕日を見に外に出たりしていると560代と思われるご夫婦も到着。今朝、扇沢を出発して午後にはここに着いてしまったというのだから驚くほどのスピードだ。さて、いよいよ心づくしの夕食、その後のお茶会とゴールデンタイムが続いて本日も終わる。

3日目、さあ出発だ、ガンバ・ガンバ!と自分に声をかけて、到着したときと同じ鐘の音に送られてランプの小屋を後にする。天狗の庭付近で虫刺され予防のネットを装着する人、虫除けハーブの香りを分けてもらう人、下に見えるのは七倉ダムかと首を伸ばす人、昨夜の俊足ご夫婦の(奥様は下山して)ご主人が今朝向かった烏帽子岳の方角を確認したりする人等々、ゴールに近づく高揚感もありメンバーに柔らかな笑顔が広がる。

しかしこの後もハシゴで急降下の連続となり気が抜けない。そのうえ標高が下がるにつれて蒸し暑くなり不快感が増す。何度目かの休憩中、木の根に座って水を飲んでいると関さんから「重い荷物を出すように」と言われるが「? 大丈夫です」と答える。だってさっき通過した掲示板には七倉登山口まで1時間10分と書いてあったんだからもうひと頑張りなのに何故??と声を掛けてもらった意味が解らず荷物を出さない私に「何かあったら早めに言うんだよ」と言葉を添える。この時は、1時間くらい後にみんなで健闘を称えあう自分をイメージしていた。

目の前を歩く関さんの背中でT字になったふたつのリュックが揺れる。それを見ながら情けなくなって涙が止まらない。「気にするな、山は助け合いなんだから」返事が声にならずに「うん・うん」とうなずくのが精一杯の私。

あと1時間ほどの道のりを楽しむはずだったが、あれー、なんだか足が着地したという実感がない!よろけたのでもなく筋肉痛でもない。休憩直後だけれどちょっとだけ止まって自分の足の感覚を確かめたくなった。「早めに言う」とはこういう場合の事かと、さっきの言葉を思い出す。だから「関さん、止まりたい」と言った時は足を摩ってみたかっただけなのだ。だがこうなることを予期していたかのようにあっという間に、小分けの荷物は桑原さんと合田さんが、リュックは関さんが引き受けてくれた。空身になって歩きながら、どうしてあの時「はい」と素直に答えて荷物を出さなかったのか、従っていれば迷惑をかけなかったかもしれないと申し訳ない気持ちでいっぱいになる。あの時のあの言葉は私の限界を見抜いていた関さんからの指示だったのではないだろうか、自分の不調に気づかなかったのは未熟さで、経験も体力も不足している。指示に従うことの大切さを痛感した。

複雑な思いを抱えて到着した七倉登山口からタクシーで大町温泉郷・薬師の湯に向かい、汗も涙も疲れも洗い流して帰京。学ぶことの多い3日間となった。

夏山合宿 北ア・黒部川赤木沢

           201283日夜行・4()6()

メンバー:山崎(L)、関、内田、竹下         

8/34 池袋発高速バス富山行23:00

富山着5:30/地鉄5:42発=有峰口6:17/バス6:38折立行=折立7:35

8/4(晴れ)          【行動時間 6時間50(休憩含む)

折立7:50 - 展望開ける1870m9:25 - 五光岩ベンチ2196m10:25 - 太郎平小屋11:4012:05 - 薬師沢左俣手前13:25 - カベッケケ原14:15 - 薬師沢小屋14:40 

 折立から太郎平へのコースを歩くのは何回目だろうか。樹林帯を抜けると、強い陽ざしをさえぎる木陰が無く炎天下をひたすら歩く。左前方に大きく薬師岳、右には太郎山につづく稜線が見えてから長いダラダラ道を行く。右下に見える有峰湖を時々振り返っては、少しずつ標高が上がっているのを確認しながら歩く。今回は小屋泊まりなので背負っているザックの軽さは格別だ。テント泊の重荷に喘いで登った頃、ワタスゲとニッコウキスゲがもっと沢山あったのに・・・・と思うほど、今回は少ないと感じた。7月頃だったのかもしれない。それでも登山者の多さを相変わらずで、その中をそれぞれに自分のペースで歩く。Yさんは太郎平小屋の“生ビールあります”の旗に吸い寄せられるように歩が進む。人、人で溢れる太郎平小屋に到着して私も早速、高価な生ビールはやめて、缶ビールで喉を潤す。今日の行程は薬師沢小屋まで下るだけなので長めの休憩している間にも、薬師峠方面から十数人グループのツアーが到着する。薬師岳からの帰りだろうか。この太郎平小屋は周辺コースの基点としていつも登山者で溢れている。薬師沢小屋に向かうと私たちの他は、単独の女性だけで静かな歩きになった。時間も早いので、沢の出合で休憩、ベンチが有っては休憩していたが、小屋には早く着いたほうが良いだろうとなり、薬師沢小屋に14:40到着。受付では布団3枚に4人と言われる。12,3人のツアーが入っていたが、それほど混んでいる様子ではない。最終的には布団4枚分が宛がわれてゆったりと休む事ができた。テラスでビールを飲みながら、沢へのルートを山崎さんから説明を聞く。テラスに取り付けられた鉄梯子を降りて、そこから沢歩きが始まるので明るくなってからの出発と決まる。

8/5(晴れ)              【行動時間 12時間(休憩含む)】

薬師沢小屋4:45 - 魚止めの滝 - 高巻き - 赤木沢出合7:15 - 大滝9:00 待ち時間15分 - 大滝の上9:30 - 赤木沢終了10:1010:45 - お花畑・草原、雪壁 - 稜線・縦走路1:35 - 北ノ俣岳12:1512:25 - 神岡新道分岐 - 北ノ俣避難小屋13:2513:35 - 寺地山14:1514:20 - 鏡池14:35 - 飛越新道分岐1842m15:05 - 飛越トンネル16:45

飛越トンネル地鉄タクシー=富山18:30  ビジネスホテル泊

 4時起床。ツアーグループも同時刻に起きだして、テラスで沢支度する我々は仕度ながら、朝食を食べながら彼らの準備運動にも参加していた。早々に出発したツアーグループは昨日雲ノ平から降りてきて、今日は太郎平から下山という。ネパール人のスタッフがツアーに付いていて、昨日内田さんとお話を聞いたところだ。

我々も鉄梯子を降りる。予想以上に川床は暗い。ゴロゴロした大きな河原の石に足を取られながら足早に歩く山崎さんの後を追う。黒部本流の左岸を進みながら、右岸への渡渉地点となる。2年前に山崎さんがこの黒部本流の渡渉で川床の不安定な石に足を取られて転倒して左手指を脱臼したと聞いていたので、どんなに深くても水が冷たくても慎重に、水流を渡ろうと強く思っていた。まだ陽も射さない時間の北アルプスの沢水は冷たいだろうと覚悟していたせいか、膝上までの渡渉でも意外と冷たく感じなかった。一度濡れると緊張もとれて快調に進む。

 今日の赤木沢入渓パーティは4パーティという。沢の下流に後続パーティが見える。本流に目を凝らすとイワナが悠然と泳いでいるのが見える。幾つかの高巻きとへつりを繰り返して、右岸のイワナ止めの滝へ続くゴルジュで、山崎さんが荷物を置いて何とか突破したが、全員が通過するには時間が掛かりすぎるとの結論となり、左岸の巻き道を通る事にした。その間に後続の7人パーティも巻き道を先行して行った。

 写真で見ていた赤木沢出合のナイアガラの滝が目に飛び込んできた。そこから右の岩をへつると目の前に広がる赤い岩のナメ、赤木沢に入った!空の青、木々の緑、そして赤いナメとなんて綺麗な沢だろう。思わず歓声をあげる。しばし休憩の後、いよいよ赤木沢遡行開始。最初の滝は右から登る。滝の岩も赤味を帯びて階段状に流れ落ちる滝は、どこでも登れそうで自分で見ながら水流に入って登るのも楽しい。淵はエメラルドグリーンに光り、赤いナメ床を白い飛沫をあげて流れ下りる滝、自然の造形美に息を呑む。先行パーティが4段の滝上部の広くひらけた草付を、左右に散って歩く姿が小さく見える。前方の大きなザックの8人パーティに追いつく。彼らは黒部川上の廊下から沢中で泊って来たという。沢が右に曲がって先に30メートル大滝が落下していた。大滝の高巻きをロープを出して6人パーティが確保しながら登っている。7人パーティは待っていたようだったが、戻ってきて高巻きの更に右側の草付を登っていった。前後して登っていた男性2人もそれに続く。私たちは8人パーティの後ろに順番待ちすることにした。赤木沢に入ったパーティと上の廊下からのパーティ全員が集結したことになる。15分待ちで高巻き開始。潅木帯に入ると急斜面だが、木の根につかまり、枝を潜ってグングン登って8人パーティの脇を通って慎重にへつるように滝の落ち口に下りた。

 大滝の上の二俣は本流を進む。二つ目の枝沢の5メートルの滝を左から登って沢に入る。水量は少なくなり沢の上部であることが分る。それでも沢床の岩は赤茶で透明な水と気持ち良く登れる小滝が連続している。まだ先の草原に続く沢から目を転じるとはるか前方に緑の草原に乗るように稜線に沿って真っ白く残雪が輝いて見える。このあたりを赤木沢終了地点とする。1010分。

まずは水筒に水を補給して、渇いた喉を潤して沢装備をすべて外して、2メートルほど上がるとそこは花の時期を少し過ぎた高山植物の咲く、緑の草原だ。濡れた沢装備は重く、ずっしりと肩に食い込む。広い草原に私たち以外に人影もない。現実と幻想の区別か付かないような緑の広がりの中を、一歩ずつ重い身体を高みへ移動させる行為はまさしく現実のものである。傾斜を増して深い草に足を取られながら、ゆく手を遮る這い松を迂回しながら残雪を目指す。稜線上の登山者の姿が確認できる。山崎さんが残雪をキックステップで登って行く。私もしっかり蹴りこんでストックを突いて登りきると縦走路に飛び出した。そこから45分かけて北ノ俣岳に到着、疲労もピークに達している状態。この時点で1215分。4時間余りかけて神岡新道を下るか、このまま太郎平小屋泊りか問われる。正直な気持ちは小屋泊まりに傾くが、あの混雑した小屋に泊るのはやっぱり良しとはしない気持ちが強い。もう一頑張りして神岡新道を下ることに決定。携帯の通じるこの時点で飛越トンネルからのタクシーを予約して、1225分気合を入れて、コースタイム4時間20分の下山にかかった。

膝痛をかかえる私は、飛越トンネル手前の林道ゲートが17時で閉まるという情報に、何としても自分が足を引っ張って間に合わなくなっては大変と、必死の下山だった。途中心配したぬかるんだ道は、この晴天続きで全くなく、湿地帯が広がる中を木道が続き、赤い三角屋根の北ノ俣避難小屋がひっそり建っている。地元の若い二人パーティと前後して歩く以外に登山者に会わない、静かなコースをポイントごとに時間をチェックしながら順調に4時間20分で飛越トンネルに降り立った。12時間の行動を終えて富山のビジネスホテルで汗を流して、夜の街で名物の白エビ刺身などゆったり味わって何度もお疲れ乾杯の杯を重ねた。翌日特急・新幹線を乗り継いで帰京。

憧れの赤木沢は期待通りの美しく優しい沢で、むしろ黒部川本流遡行のほうが本気の部分があったように思う。沢を始めて1年余りで北アルプスの沢を登れたことに、日頃からの岩トレを指導してくれたリーダーYさん、Sさん、仲間として常に一緒に過ごしてくれたUさんに改めて感謝の気持ちでいっぱいです。

<費用>

夜行バス(池袋―富山)6,500 、地鉄富山-有峰口990 、バス(有峰-折立)2,400 、

薬師沢小屋(1泊夕食のみ)7,800 、タクシー(飛越トンネル-富山)5,700/1人 、

ビジネスホテル5,180 、富山-越後湯沢-大宮-武蔵小金井10,540 、食事等5,000

                                           竹下・記

<岩トレ2012>レポート⑨

       日和田山・始めての西面にチャレンジして・・・。

         201299日 参加者:山崎、関、竹下    

 721日の三つ峠以来の岩トレ。随分久しぶりだと思っていたが8月の1ヶ月が抜けただけだった。でもそれまで月2回に比べて長く間が空いた感じがするのは確かだと思う。今回は常連の内田さんが不参加、久しぶりの参加を期待した田子さんも仕事が入ってしまい不参加、竹下は始めて大御所2人とご一緒の岩トレとなって緊張と期待が高まる。

練習メニューは、懸垂下降、登り返し、引き上げ、引き下げ、自己脱出、アブミ、ソロクライムと盛りだくさん。ほとんどクライミングはしないで、基礎的な動作を中心に繰り返しの練習になるのだろうと勝手に想像していたが、男岩・西面を見に行った山崎さんが、ルートが空いているのでまずは1,2本登ってから始めましょう、と言うことになった。

今まで私は、西面はいつも見て通るだけで、難しいところという感覚でルートも良く見たことがなかった。右側の松ノ木ハングルートを、外人を含む5人グループが登っているだけ。山崎さんがリード、関さん確保で左側のルートを登る。頂上でトップロープをセットしてテンションで下りる。次に関さん確保、竹下が登る。下部は階段状の岩をどこからでも登れる。とは言っても傾斜がきつくなる中間部は右寄りのホールド、スタンスの大きいところを見つけて登る。核心の上部は右上にかぶり気味の岩があり、そこを越えると更に右側の岩を避けるように真上に抜けると頂上だが、最初のかぶり気味の箇所が抜けられず、テンションで敗退。次に関さんはスムーズにあっさりと登ってきた。2度目の山崎さんが右側のルートを見ながら登るがロープの流れが悪いので元のルートから降りる。私は今日の腕力は使い果たしましたと、言って見たもののもう一度挑戦することになる。下部ではなるべく腕を使わずに例のかぶり気味のところでやはり詰まってしまう。下のお二人からクイックドローを支点に掛けて、足りなければもう一つかけてと指示が飛ぶが、残念ながら敗退となる。クライミングはもう十分デスの気持ちになっている。そこでもう少し右側にトップロープの支点を移すために、関さんが登って行って支点を移動後、シングルの懸垂で下りてくる。次に竹下が登る。最初は左から登って中間はロープ通しに!と声が掛かり真っ直ぐ登る。かぶり気味辺りから右に移動してやっと支点に到着、テンションで下りる。今日始めて登りきってやはり気持ちよい。山崎さんが下部のクラックから登る。竹下が登りきれたので、2度目の竹下がアブミ架け替えの練習のためにトップロープ支点を左上部の重箱ルート上に移動する為に、バックアップ用のロープを引いて登る。支点は移動しないで新たに造ることになり、久しぶりの支点構築なので横の支点をチラチラと見ながら構築。関さんが脇道から登ってきて支点構築のチェックをしてくれる。すでに12時を回っているので懸垂で下りて昼食にする。

 午後からのアブミの架け替え練習は、人口登攀だけではなく、午前中の竹下が登りで詰まった時などに何としても突破する為のテクニックの一つという意味合いが強いと思う。関さんの模範演技の後、山崎さんはクリア、竹下は一つ目のアブミから次の支点にアブミを掛けることが出来ずにまたまた敗退。巻き込み、立ち込み、クイックドローで上体の保持、足で壁を突っ張って三角形を作るなど、理解はしているのだが実際には難しい。

引き上げに移る前に、頂上のトップロープの回収。引き上げは実際に壁で動けなくなった事を想定して、クライマーがぶら下がる状態で、最初にクライマー竹下、ビレイヤー山崎で行う。マッシャーかプルージックをセットしてATCガイドからテンションを移して、ロープを解除した後にプーリーをセットする時、テープスリングでは上手く止まらないと言うことでタイブロックを使うのが有効となった。狭い岩棚の上で3分の1システムの引き上げは山崎さんも汗びっしょりで大変そうだ。次に山崎さんと竹下が交代して実際にやってみるが、システムを忘れていて、関さんのアドバイスを受けながら引き上げシステムを作ったが、狭い場所での引き上げは、力を出せなくて思った以上に大変で、腕と腰がパンパンになった。何とか引き上げられたが本番の時に1人で出来るか疑問が残る。いつもの事ながら練習の積み重ねを痛感した。

今日の日和田山はとても賑やかだったが、4時過ぎに引き揚げたのは我々が最後で樹林帯に届く陽ざしも弱くなって、日が短くなったねえと言いながら高麗駅に急いだ。(竹下・記)