2009年11月 6日 (金)

奥秩父縦走(雲取山~甲武信岳)

奥秩父縦走(雲取山~甲武信岳)                    

報告:高柳

日時          091031日~113(土~火)

計画     1031日(土)鴨沢→雲取山→三ツ山→飛竜山→(大常木山、竜喰山)→ 将監小屋(テント)

111日(日)将監小屋→唐松尾山→黒槐山→

   笠取山→ 雁峠→燕山→古礼山→水晶山→

   雁坂小屋(テント)

112日(月)雁坂小屋→雁坂嶺→東破風山→

  (西)破風山→笹平→  賽の河原→甲武信小屋(北多摩山の会8メンバーと合流)

113日(火)甲武信小屋→木賊山→(戸渡尾根、徳ちゃん新道)→西沢渓谷

鴨沢に6時40分に着いてストレッチをしてザックを担いだのは6時47分であった。

今日の山行を慌ただしい気分にしているのは山行予定が雲取山から将監小屋までのロングルートであるからだ。

歩きなれた鴨沢からのルートを休憩少なくして(気持だけは?)急ぎ、水場最後の奥多摩小屋で2リットル補充して小雲取山を息切らせて登り1050分に雲取山に到着。

避難小屋前で休んで1110分三条タルミに向かう。狼平から三ツ山までは気持ちの良い小道が続いている。北天ノタルには予定時間をかなり短縮出来て、この先を明るくしたがそろそろ体力が落ちつつある。

ここから飛龍権現までは、人に会わず、時間の読めないルートでの単独の心細さを一番感じたところであった。登り坂は荒くなった息を整えるための小休止が幾度となく繰り返される。登っては下る、また登る作業がつらくなって精神的にも余裕がなくなって考えることは悪いことばかり、“楽しく山行”を言葉にしても気力は余り出てこなかった。

やっと飛龍権現に着いたのは1320分。将監までは2時間と少々で4時までに着ける見通しがついた。

20kgを超えるザックの長時間の歩行で足が、腰が、心臓がネをあげている。

止まったら着かない、ゆっくりでも歩けばその分将監に近づける、こんなことを考えながら2時間・・やっと将監小屋の擦れた案内板が見えた。

着いた、やったア!1550分にテント地にザックを放る。

テントを張り、早速に夕食の準備、メニューを変えて餅ラーメン。家で仕込んだ野菜炒めと酢醤油(ラー油入り)、多めのスープが塩分と水分を補給してくれるであろう。

2日目。今日の歩行予定は6時間。唐松尾山へは台風の影響か、登山道が崩れていて巻き道で紆余している。

黒槐(エンジュ)山は岩場の迂回が分かりにくいルートで、見失うこと2回。

黒槐を越えると快適な道となり大きく下る。

気持ちの良い天気である。予報では今日は雨であったが一日伸びたようだ。

水干から広々とした雁峠に着きいよいよ、雁坂峠への道である。

目の前に燕山(ツバクロ)への急登が待ち構えていた。

順調であった、30分余で大きな登りを超えて古礼山に向かう。

古礼山に入る手前で横になって昼飯?を食べているとご夫婦が下りてきた。

もう直ぐですよ!の声に元気をもらう。“お気をつけて”の久し振りの会話がうれしくする。

古礼山から水晶山への登りは今日ラストの頑張りと鞭を入れた。

雁坂峠と小屋の分岐に12時半過ぎに着き、懐かしい(豆焼沢遡行以来)雁坂小屋には1240分に到着。

今夜の雨(9時過ぎから寒気がはいり雪、風が強まるとの予報)を考えて石でしっかりとテントを固定した。

4時過ぎからポツポツと降り始めた。

3日目。

小降り?になった天気に合わせ濡れたテントを撤収。

雁坂峠には15分で・・風雨でガスのかかった峠には楽しみにしていた展望はない。

早々に雁坂嶺に向かう、今日は登り主体。それでも4時間!

雁坂嶺には30分で着き、東破風山に向かう。ぐんぐん下がってその分また登る。

東破風山は想定通りに苦戦。東(破風山)を超えると間もなく西に着き後はラスト1時間であろう。

登りの汗で緩めた雨具の間から雨と風が入り濡れ始めた。

サイノ河原は展望の良さでこのコース一番であるが、今日の雨は最高の吹き曝しの場所に変えていた。雨が足元から巻きあげてくる。

1050分に甲武信小屋に着いた4時間を切れていてマアマアかな?)

愛層のない親父に予約のキャンセル確認をすると、“今日のキャンセルはない”とのこと。

濡れたテント地を見て素泊まりに変えて申しこむと、受け付けは2時からだから好きなようにしてくれとのこと?

一人お湯を飲んだり、記録をつけたり、ラジオを聞いたり、2階で横になったりで会のメンバーと会うまでの5時間は一見ぶっきらぼうそうな親父と打ち解けたし、小屋の兄ちゃんとも色々と話ができて情報仕入れには収穫多しであった。

(雁坂小屋の管理人とは同じ小学校の同級生とのことであった)

大陸の寒気団は雨を霰(アラレ)に、雪に変えて更に夜間は寒さも-11℃としたものの、ヌクヌクの夜となり今夜だけは小屋の良さを痛感させていただきました。

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2009年10月31日 (土)

月曜クラブ/御坂山塊・三ツ峠山

月曜クラブ/御坂山塊・三ツ峠山

千段の滝を賞でながら三ツ峠へ

山﨑 公一

期日  2009年10月12日(月)

参加  5名(楠田・大野・池上・井上汎・山﨑)

ケイゴヤ橋7:30-初滝8:50-御巣鷹山11:20-四季楽園11:40~12:30-三ツ峠駅15:15

6時01分高尾発大月行への乗車をもって集合とした。まだ暗いうちに家を出なければならなかったが、上に遅い時間に着いて、もう富士はお休みあそばされた、となるよりはよいだろう。前日までに参加は4名となっていたが、高尾でINさんが飛び入りで参加となった。INさんは前日、天神尾根から谷川岳に勇んで向かった。ところが悪天候で熊穴沢避難小屋の手前で断念、いわばこの不完全燃焼を解消するため、急遽この山行に加わったというわけだ。

大月乗り換えで都留市着は7時08分。下車したのは我々一行だけだった。駅前から宝鉱山までタクシーを使う。車から富士がチラリと見えた。五合目までもう白い。おとといの土曜に冠雪したと運転手。近年三ツ峠の登山ガイドで、およそこの北登山口の紹介を目にしない。今回参考にした文献も昭和49年版のアルパインガイド「丹沢」、1981年版日本登山体系「東京近郊の山」だ。運転手に、「裏から登る人はあまりいないでしょう」と尋ねると、「いや、結構います」とやけに突っ張った返事をよこす。事前に宝鉱山までのバス時刻を調べたがわからなかった。バス路線の運行停止に馴れっこで、廃止が噂されていた路線だけについになくなったものと判断した。そこで「バスも廃止されたようだが…」と返すと、「去年本数が減ったが今年はじめに復活した」そうで、路線そのものは廃止されていないらしい。

運転手はこのあたりのバス路線廃止の話を始めた。「都留から吉田へのバスがなくなりましてね。駅と駅との中間でどうしてもバスを使わなければならない所があり、みんな困っていますよ。一軒に車は何台もあるけれど、家族がそれぞれ乗って出かけてしまい、病院通いの人たちの足がない。行政の補助も限界、会社として採算がとれなければ、廃止はしょうがないんじゃないですか」と投げやりだ。私は、「採算がとれないといっても、バス会社は最近営業所ごとに分社化している。経営規模を縮小しておいて、採算がとれないという言い方がおかしいんだよなあ」と答える。そしてふと、タクシー運転手の詰所が駅出入り口の隣り、駅舎と同じ屋根の下にあるのを思い出す。「収益のよい事業もあれば、赤字の部門もある。富士急行グループは、電車・バス・タクシーを地域の公共交通として一体で考えるべきじゃないですか」。バス路線の縮小や廃止によりアプローチに苦労しているので、ついつい運転手に八つ当たりしてしまった。

タクシーはケイゴヤ橋まで入る。目の前がちょうど清八峠へ至る尾根から降りてくる鉄塔巡視路のようだ。トタン板に、千段の滝コースを曼荼羅風に描いた絵地図があった。バスの運行を確かめたかったが、バス停まで戻るのは見送る。橋をわたり、大幡川を離れて左手に大きく迂回していく林道を行く。やがて「三ツ峠北口登山道」の導標があり、林道と分かれて左手の登山道に入る。「オレが行こうか」とKさんがトップに立つ。Oさん、INさん、IKさんと続く。道は細いが踏み跡は明瞭。途中、八十八大師沢を横切る。樹林越しに見える最初にかかるナメ滝は、けっこう水量もあって見栄えはよい。まばらに少し色づく広葉樹林の中、尾根の末端を巻くように細々とした道が続く。右下に沢を見るようになると、道の正面に行き止まりのような岩壁を背にした「山の神様 水雲山」があり、右手に「初滝」を望む。おのおの大岩に上って撮影タイムとなる。このとき汗が吹き出ている私は帽子を脱ぎ、タオルを額に巻いたが、帽子をそのまま山の神にお供えしてきたことを後々になって思い出す。山の神は、あのモダンで汗まみれの帽子をどうなされたであろうか。

ここからが千段の滝コースのハイライト。道は山の神で左に折れ、針金に誘導されて岩壁を直登する。10  小尾根を乗っ越すと「初滝」は右下となり、眼前に「三段の滝」が現れる。ルートは岩場を右斜めに下りて、左岸へ移っている。滝の下の流れの向こう側に、何本ものトラロープがベタで固定されていて、その上方には赤い鉄の梯子が見える。道は斜面をがむしゃらに登っていく。まるで滝の巻き道といった様相だ。その先で再び沢に近づくと、木に「大滝」の看板がかかっている。大滝といわれるなりの落差があるように思うが、距離があるのと、木の間越しに望むので、全容が掴みがたい。さらに何段かに分かれて落ちる「七福の滝」。一つ一つを観察するとホールドは豊富で階段のようだ。Kさんが「IKさん、どう?」と声をかける。みんなの調子を確かめながら、着実に高度を稼ぐ。

沢を外れ尾根に取り付くような急登がしばらく続くと、危惧されていた土砂崩れの現場に出くわした。トップを行くKさんが逡巡している。見上げると、直上する道は傾斜がいっぱいになって左折、扇状の斜面の真ん中を7~8m横断し、支尾根の鼻を回りこむ。そのトラバース部分の斜面全体が、上部から何本かの樹木を根こそぎ巻き込んで崩落していた。フィックスされていたはずのトラロープの片割れが土砂に垣間見える。伊勢湾台風並みといわれた台風18号が本州中部を縦断して、まだ2日しか経っていないのだ。山が崩れ、道が消滅していても、何の不思議があるだろう。

いずれ尾根に乗るのだから、右上方へ巻き気味に尾根を目指すという手が考えられた。しかし崩壊の先に見えている道とは逆の方向となってしまうのが気に入らない。そこでテープシュリンゲ2本をつないでお助けひもをつくり、末端にカラビナ2個をセットする。少し道を戻り、崩落した斜面に下りて横たわる樹木と埋もれたトラロープを頼りに強引に上がっていく。Kさんが詰まった場所を見ると、道が宙に消えた状態で上部に手がかりもない。あたりに踏み跡らしきものがないところをみると、台風通過後に登ってきたのは我々が最初だったのかもしれない。お助けひもを投げる。まずINさんが上がってきた。すると次に、ちょうど下から姿を現した単独の登山者が「いいですか」と声をかけてくる。自分で崩壊現場を確かめず、ルートファウンディングもしないで、いきなりよそのパーティのルートに割り込んでくるこの人は?山登り失格だろう。「このルートが適当かどうかはわかりませんよ」と答えるが、すぐガレに下り突進してきた。樹木がさらに流されないか心配だったが、幸い、水は出ていない。大柄で口髭の似合いそうなこのあつかましい中年男性には、頂上で写真撮影を頼む姿をもう一度見かけることになる。ここは土砂に足をとられながらもみんな無事に上りきった。

千段の滝沢の向こうの尾根の斜面に、陽に映えてみごとな紅色が点在する。振り返ると都留市街、左手に鶴ケ鳥屋山、本社ケ丸が望める。やがて最後の滝だ。「白竜の滝」は、狭い沢床をくねくねと這う蛇のように水がほとばしって、生々しくも美しい。13 竜が昇天する姿になぞらえるのも、うべなるかなと思われた。Oさんの足が止まった。「先に行って」というこの一言でやがてパーティはバラバラに、というのがアクシデントのパターン。「ゆっくり、一緒に行く」のが基本だ。ちょうど尾根上に上がったあたりの森の中に、地元宝青年団の記帳所があった。一本立てると、「このコースはなかなかいい」としみじみとした口調でINさん。最後の登りにかかって、「腿に鉛の板が載っているようだ」とOさんの足取りが重い。崩壊現場での無理な上り方が痛めた原因だろう。足を止めるたび、「今までにこんなことは経験したことがない」と申し訳なさそうだったが、踏ん張ってほぼ予定の時間で御巣鷹山に這い上がった。

開運山頂上は、連休中でもあり、さすが天下の三ツ峠という人出で賑わっていた。静かな千段の滝から上がってくると、同じ山とは思えない。かつて泊ったこともある富士を正面に見られる富士見山荘が閉まっていたのには驚いた。四季楽園のテラスで屏風岩を眺めながら昼食。肝腎の富士はあいにく厚い雲の中だった。達磨石経由で下山する。久しぶりに見上げる屏風岩の斜度や大きさにいたく感動する。感動の度合いはそのまま自分の堕落の尺度でしかないのが悲しい。ここを再び登る機会は訪れるのだろうか。このまま「岩肌の」熱き血潮を触れもみで、ではやはり寂しくはある。カムやフレンズ、ヌンチャクなど、ギアを鎧のようにハーネスにまとっているのは、ロングルートの訓練だろうか。そんな若者が地蔵ルートに登山靴でへばりつくのを見て、「チョイ悪」ならぬ「チョイ岩親父」はちょっぴり嬉しかった。

※【月曜クラブ】月曜山行は、今年5月に黒川・鶏冠山、6月に雁摺・楢ノ木尾根とたまたま2回行いましたが、この三ツ峠千段の滝山行が、あえて月曜日に行くという月曜クラブとしての第1回の企画となりました。月曜クラブは、平日でもOKという“サンデー毎日”勤務の会員のために、また月曜日しか山に行けない方、月曜日にも登りたい方のために、月1回をめどに山行を計画します。ふるってご参加ください。(2009.10.29

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2009年10月27日 (火)

ビバーク山行(高尾山 一丁平)

ビバーク山行(高尾山 一丁平)

日時            09年10月17日(土)~18日(日) 雨、風、寒さで絶好の天候?!

メンバー        山崎、高柳

高尾山口駅の集合場所で待っている間に雨が降り出して今夜のツエルト泊が本格的に?なりそうな雲行きとなった。

今日のビバークは残念ながら2人だけであった。疑似体験としてのビバークだけに内容的には個々のビバーク設定を何にして、どう泊まるかは各自が決めるので5人でも10人でもそれぞれの内容が違い(甘いもカライも出来る)人数は問題ではなかったが・・疑似でもこの体験で何か得たものは今後にプラスになると期待したい・・

山崎さんが真面目に準備したので少し面食らったが大体同じ様な内容設定であろう。

・食料は普段のハイキングに使う行動食か、食べた残りの食料としたこと

・ビバークをどうするか、の相談はしないで各自の考えでやること

一丁平に着いた時間にはすでに暗くなり始めていた。

張り方は、山崎さんは(40年間愛用の特注)ツエルトを木と木の間に張り綱で張る何時もの方法。

私はポールを使用していたので適地の選択範囲は広くなる、が、夜間の雨を考えて樹の下を選んだ。

案の上、張り終えた頃には辺りは真っ暗となり、雨はその頃から深夜まで本格的に降り続け、雨がやむと風が吹いて状況的にはビバークには最適な環境を我々に与えてくれた。

夜間の感想等(高柳)

下着だけは乾いた長袖に着替えて着ていたフリースを、下は登ったままで上下雨具を着用。

パン3個と砂糖湯を飲んで夜食として、テルモスにお湯を寒さ対策で用意。

1.  貼るカイロの賞味期限に気をつけよう、二人とも?(カイロの)期限が過ぎていたもので期待の温度に上がらなかった

2.  夜に飲む暖かい飲み物は寒い体を予想以上に気持ちを落ち着け、温めてくれる。

3.  シート下からの冷えはかなり厳しく、眠ると寒くなってこの繰り返しでほとんど眠れなかった。

4.  冷えは腰に集中して身震いが出るほどでも腰への対策でかなり寒さ改善は可能。
(ダウンを使うと寒さはなかった、とのこと、私も所持していたが使用せず)

5.  ザックに足を入れて保温を図ったがこの効果は大きい。

6.  風や雨にはツエルトは有効であった、が雪へは期待(寒さ)は持てないだろうと感じた(下からの冷え)。

7.  ツエルト内の空間を広げる工夫は絶対に必要。張っただけでは濡れたツエルトに触れるなど体の保温に不要なエネルギー、作業が追加で必要とされる。

山崎さんの体験

1.とにかく寒い。文字通り一睡もできなかった。カッターシャツなど着てきたものは汗ばんでいたので脱ぎ、上衣はこの時期防寒具として携行するフリースと薄手のダウンに着替えた。その上に雨具上下を着用。上半身は何とかしのげるが、腰から下が冷え、まどろみも大きな震えにそのとば口で破られる。

2.日帰り用ザックは足先しか入らないのでマット代わり。足先が冷えるので靴は履いたまま。試みに上衣のダウンを腰に巻くと緊張が一時ほぐれるが、今度はすぐに肩が冷えた。ダウンのパンツが欲しかった。

3.後生大事に持ち歩いていたホカロンを腰に当てたが、結果として少し熱を発したくらいで役にたたなかった。帰宅して袋を確認すると「有効期限2000.6」とあった

4.蝋燭に手をかざす。気持ちは温まるが、暖をとるには至らない。3時間ほどで溶けた。

5.夜半に風雨が強まり、防水などの手入れを怠っていたツエルトの縫い目から、水滴が落ちる。

6.寒さしのぎに、残りわずかなガスを弱火で空焚きした。

7.寒さで体が硬直している。3時頃、残り三口程度の水を沸かし、コンデンスミルクをたらしてすする。甘くて美味。エネルギーが身体全体にしみていく。

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2009年10月26日 (月)

大雪山系(旭岳~トムラウシ山)縦走撤退記

大雪山系(旭岳~トムラウシ山)縦走撤退記

井上 汎

年賀状に記したひとことから、大雪山系(旭岳~トムラウシ山間)縦走のはなしが持ち上がった。相手は甲府の近くに住まう、昔の山友達で、ネパールトレッキングもそうだが、最近では、光岳や七面山など、思い出した頃に一緒に出かけている。

さて、北海道も、ツアーでの観光旅行なら気も楽だが、山に登ろうとすれば、それなりの準備が必要となる。日程の調整、ルートの確認、搭乗券の手配、宿の予約、装備、食料の調達、それに、燃料のガスボンベは、飛行機に持ち込めないなど、気をつけなければならないことも出てくる。

まず、日程は、少しでも混雑を避けようとという意図から、学校が夏休みに入る前の7月9日(木)から7月15日(水)の7日間に決めた。北海道には、梅雨はないという常識?を信じながらも、念のために2日の予備日を用意して、2泊3日の縦走日数に加えて、北海道滞在期間を5日間とした。行動日程は、次のように計画した。

7月9日(木)羽田~旭川~旭岳温泉(泊)

7月10日(金)旭岳温泉~白雲岳避難小屋(泊)

7月11日(土)白雲岳避難小屋~ヒサゴ沼避難小屋(泊)

7月12日(日)ヒサゴ沼避難小屋~トムラウシ温泉(泊)

7月13日(月)トムラウシ温泉~白金温泉(泊)

7月14日(火)白金温泉~十勝岳往復~白金温泉(泊)

7月15日(水)白金温泉~旭川~羽田

※13日、14日の予定は、縦走が順調にいったときの案として記した。

結果として、今年の北海道の夏は、例年にない異常気象で、農産物の収穫にも大きな影響が出たことがニュースになっていたが、我々の山行計画も初日から崩れてしまった。

以下、日を追って行動の概略を記す。

7月9日(木)曇り

同行者と、羽田空港のロビーで落合い、1305発のJAL1109便に搭乗。旭川空港1445着後、バスで旭岳温泉へ向う。この日は、民宿風の宿、大雪山山荘に泊った。話好きの女将のお陰で食堂が賑やかだった。夜は早々と床についた。

7月10日(金)強風雨

6時始発のゴンドラに乗るべく、5時半に宿を出た。すでに小雨が降っていた。宿を出るとき、挨拶ついでにこの日の予約状況をきいてみたら、満員だといっていた。ゴンドラの入口には、すでに行列ができていた。同じ思いの人たちがこんなにいるのだ。ロープウェーの上の駅の標高は1600m。雨が降り、風も吹いている。支度をしてともかく歩き始めた。ザックが肩にくい込む。先が思いやられる。前にうしろに登山者が続いている。頂上直下の金庫岩の脇まで頑張ったが、余りの風雨の強さに撤退を決めた。が、きょうの宿の予約はない。仕方なく前夜泊った、大雪山山荘へ直接行って頭を下げた。幸いにも、女将は受け入れてくれたうえに、部屋に備え付けのストーブをたいてくれた。有難かった。

7月11日(土)

テレビの予報では、くもり、晴、晴となっていた。しかし、この日も前日よりは、やや弱かったが、雨が降り、強い風が吹いていた。始発のゴンドラに乗り、同じ道を登り、何とか頂上までは到達した。しかし、ガスが濃く2030m先は何も見えない。この条件の中、先へ進むのはどうかと話し合った末、撤退することに決めた。下山後、バスで旭川の街へ出て、レンタカーを3日間借りた。クルマで登山口まで移動して、ピストンで、十勝岳、トムラウシ山に登ろうと計画を変更したことになる。このあと約50キロ走って、望岳台にある十勝岳の登山口になる大きな駐車場に移動、クルマで一夜を明かした。

7月12日(日)晴

この日、北海道に来てはじめて青空を見た。望岳台は十勝岳の溶岩台地の末端に位置している。はじめその台地の上に登山道は、ゆるやかに登っている。途中ゴロゴロした溶岩の部分もあり、砂礫のところも出てくる。十勝岳は、火山なので緑のない荒涼とした風景が続いた。約4時間で頂上に達した。天気がよいので頂上は10数名の登山者で混み合っていた。下山は、美瑛岳経由で望岳台に戻った。すぐ準備をして、次の宿泊場所トムラウシ山短縮登山口のある林道終点に向った。走行距離約150キロだ。幸い途中に道の駅があり、ここで夕食をかねて充分に腹ごしらえをした。道路は、幹線道路をはずれると、滅多にクルマに出会うことがないほど空いている。駐車場にはすでに十数台のクルマが停まっていた。今夜もクルマでの泊りになる。

7月13日(月)小雨

4時前から8キロ下の東大雪荘に泊った人たちが大型バス2~3台で運ばれてきた。我々も軽く腹ごしらえをして出発した。

樹林帯の中の道はぬかるんでいて歩きにくい。何とかこまどり沢までは頑張ったが、ここでまた本降りになってきた。ほぼ半分の地点だが、登頂をあきらめて下ることにした。この日は東大雪荘に予約してあったので、温泉に入って布団にねることができた。

7月14日(火)晴

何と皮肉なことに快晴となった。再挑戦したい思いだったが、レンタカーを返却する日になっていたのであきらめて旭川へ戻った。途中望岳台に寄って昼食をとる間、前日濡れた雨具などを地面にひろげて乾かした。宿はビジネスホテルを探した。

7月15日(水)雨

旭川発1430発、JAL1106便で帰ってきた。

以上

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西穂高・ジャンダルム・奥穂高岳

西穂高・ジャンダルム・奥穂高岳

大熊 一義

日時:平成21813日(木)~16日(日)

参加者:古矢(リーダー)・井上秀子・長岡・内田・井上汎・

        大熊(6名)

行程 :

8/13(木) JR高尾614(電車)→松本934→松本BT10:25(バス)→上高地帝国ホテル前1150→上高地帝国ホテル1230→西穂山荘1620(泊)

8/14(金) 西穂山荘550→独標700→独標710

           西穂高岳840→間ノ岳1005→間ノ岳1010

           天狗の頭1125→天狗ノコル12:00

ジャンダルム下1430→ジャンダルム往復1445

奥穂高岳1710→穂高岳山荘1800(泊)

8/15(土) 穂高岳山荘500→涸沢700→横尾940

           横尾1000→上高地1300→上高地BT1520

           (バス・電車)→松本1714→松本1721(電車)→東京

井上汎・大熊

8/15(土) 穂高岳山荘600→北穂1030→北穂1100

         南岳1600(泊)

8/16(日) 南岳600→横尾1030→横尾1100

         上高地1400

今回の山行を総括して

 812日に出発予定が台風10号の為1日遅れで出発となったが雨の心配は残った。いつもの高尾発614分の各駅停車で出発となる。松本駅まではうす曇り程度で雨の心配はないと出た。新穂高経由か、上高地で行くかの選択となったが上高地は雨は無しとの情報により一路上高地へと向った。順調にバスは走り鎌トンネルを抜けると空はいっぺん、雨空となりぱらぱらと来た。なお進むと激しい雨となった。

 下車予定の帝国ホテル前ではリュックを頭にのせ駆け足状態だ。そこで一服して雨具を装備しての出発となった。悲しいかな雨は西穂高岳山荘までは一日中止むことは無かった。田代橋を渡ると小さなお宮さんの山門をくぐって登りとなった。まさかこんな小さな山門が西穂高岳登山口とは露知らず数人の散策者は雨宿りをしていた。出発して約3時間半は登ったろうか。西穂山荘と焼岳の分岐に着いた。辺りはボツボツ樹林限界とみえ草原帯では高山植物の綺麗な花が見え隠れして来た。まもなく西穂山荘の赤い屋根が見えて一日はこうして終わる。雨具の乾燥に皆、余念が無い。814日の朝は山荘を4時出発と決まり睡眠に就く。

 朝、4時に起きてみると霧雨が降っている。予定は変更6時に上高地を下山となった。だがこの2時間がさいわいとなりジャンダルムに向かえる事となった。6時には霧がはれ空は抜けるような青空となった。さあ、出発だ!独標・西穂高岳と高度を上げていくと足元はすっかり岩だらけ。行けども行けども前に見えるのは自分より高い山ばかり。間ノ岳ピークより急な下りを過ぎると次は天狗の岩壁が見えるが、皆で鎖を頼りに這いつくばって登った。次はジャンダルムの登りだ。(後日NHKで見たが田部井さんとNHKの内田さんが813日に登ったとのことだ)我々も全員ジャンダルムの頂上に上ったが先にはロバの耳、馬の背、奥穂の稜線が見える。ジャンダルムの頂上は午後230分だ。馬の背はスリル満点だった。馬の鬣に成るところは30cmぐらいの幅を跨って登った。足場はそれなりに付いていた。奥穂岳に着いたのはすでに5時を過ぎていたが空には雲ひとつ無かった。6名そろって元気に穂高山荘に着いた。女性陣の根性と足腰の強さに感服した。又、リーダー、井上汎さん、皆に多大な援助とご指導に感謝します。

 815日は古矢リーダーと女性組(井上秀子さん、長岡さん、内田さん)の4名は涸沢、横尾、上高地と下山した。井上汎さんと大熊は涸沢岳、大キレットと進んだ。涸沢岳を下り、念願の北穂岳より見るキレット越の槍ケ岳が素晴らしかった。2人は穂高山荘を出て慎重に8時間をかけて南岳小屋に着く。天気は本日も快晴だった。明日は上高地へ下山の予定である。朝は6時発となるが天狗原では池に映る槍ケ岳をカメラに収め2人は上高地へと歩幅を伸ばして行った。

 

初日は1日雨の出発だったが後の3日はよい天気に恵まれ西穂→奥穂→南岳の山行であった。

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2009年10月24日 (土)

白馬岳(2932.2m)―栂海新道

個人山行  白馬岳(2932.2m)―栂海新道

3,000mから0mをつなぐやまなみ(山脈)の道~登山者の憧れ栂海新道を踏破して~

参加者:越前屋・井上(秀)・大嶋・長岡・蝦名(記)

コース:

 9/18 夜行バスにて白馬駅へ

 9/19 白馬駅=(タクシー)猿倉

猿倉6:307:35白馬尻小屋7:558:20大雪渓-9:25岩室跡―

13:15白馬岳頂上宿舎―15:00白馬岳―白馬岳頂上宿舎(泊)

 9/20 頂上宿舎5:005:45白馬岳5:506:15三国境―735雪倉

     岳避難小屋7:558:50雪倉岳―12:10小桜ヶ原―12:45水平道

     分岐-13:45朝日小屋(泊)

 9/21 朝日小屋4:155:15朝日岳5:405:50照葉ノ池―6:20

        長栂山―750黒岩平―12:05中俣新道分岐―8:20黒岩山

     ―8:55文子ノ池―9:55サワガニ山―10:40北俣ノ水場-12:05

    犬ヶ岳―12:20栂海山荘(泊)

 9/22 栂海山荘5:406:55黄蓮ノ水場7:207:40菊石山―8:05

       下駒岳―9:15白鳥ノ水場―9:37白鳥山―11:15坂田峠―12:40

       尻高山―13:55入道山―14:50親知らず登山口->日本海へー

    糸魚川市 割烹魚がし(泊)

 誘われて、栂海新道のなにものたるかも知らずに、とにかく一日の歩行時間が89時間であるとの説明のもと、体力と脚力だけが心配で参加した山行だった。

その栂海新道を踏破できたことも大きな喜びだが、栂海新道を切り開いた小野健さん(山の世界でアルピニスト、オノケンの名を知らない者はないと言われているらしい)にお会いして、栂海新道の開設とその半世紀にわたる苦労話だけでなく、山のあれこれを伺うことができたのは思いがけない収穫だった。

 

一日目:白馬岳へ

  新宿から出発した夜行バスは以外に快適で、朝早く白馬駅に到着した。タクシーで猿倉へ向かう。白馬尻小屋から歩きだし、雪渓末端にとりつく。雪渓をわたる風はさすがに冷たい。ストックだけで登って行くが滑る心配はなさそうだ。まいてきたガスの合間から見える削られた斜面やクレバスの荒れた景色に、数年前の落石事故が頭をよぎる。雪渓の終端付近では季節外れのウルップ草が一輪、空色の花を咲かせていた。村営白馬岳頂上宿舎が遠くに見える頃にはすっかり良い天気になり、杓子岳・白馬鑓ガ岳が左手に姿を見せる。宿舎で少し休み、明日向かう白馬岳山頂をめざす。良い天気に頂上からの景色は文句なし、剣岳が見えた。宿舎の夕食タイム。なんと肉・魚・デザートありのバイキング。Nさんの情報により村営宿舎にして正解だった。本日の行程:約7時間

 二日目:朝日岳へ

  朝食をお弁当にして早めに山荘を出る。白馬山頂で記念写真を撮る。稜線をたどりながら三国境を経て、ざらざらしているが歩きやすい山道を雪倉避難小屋へ。花ざかりの時期ならばどんなにと思うお花畑を通るが草紅葉のはしりに満足する。雪倉岳を過ぎ、朝日岳と遠くに朝日小屋らしき赤い屋根が見えてきた。燕岩の下の水場で、これからの行程で抜きつ抜かれつ同行した男女3人組に会い、その後も何度も言葉を交わす。明るい黄色ののんびりした小桜ヶ原の木道を歩き、水平道のアップダウンを過ぎて朝日小屋に到着。

  朝日小屋の夕食もすごかった。食前酒、おそば、お刺身風、小屋名物のぶた天の他,名果“栂海新道”の切れ端までついていた。この夏の天候不順を補うかのような最高の人出に、小屋のおねえさんは大張り切り。本日の行程:約9時間

 三日目:いよいよ栂海新道へ

  朝まだ暗いうちに出発。いきなりの急な登りに閉口しながら、方位柱と丸太を

 組んだ標識のある朝日岳山頂へ。ガレ場を下り千代の吹上に着く。はいまつの間からツガミと赤ペンキで書かれた標識が見える。それほどの高低もなく、リンドウの群落をみながら、照葉の池・アヤメ平と思われるところを過ぎる。朝の光にまっすぐ続く木道や草紅葉が美しい。文子の池ではUさん依頼の倒れた標識を起こすのはとても無理で、“倒れていました”との証拠写真だけ写す。

  北又の水場に到着。今夜宿泊の栂海山荘には水がないので水の確保。犬ヶ岳の登りをふうふう言いながら越えて栂海山荘に早々と到着。昨夜の朝日小屋の混雑振りと天候の懸念から、この先の白鳥小屋に向かった登山者もいたようだ。

  ここで栂海新道の生みの親、小野健さんにお会いする。あまりの人出に小野さんが出張ってみえた由。Eさんは小屋番に早変わりし、テント客からもしっかり料金を徴収する活躍のおかげ?で、その夜小野さんの自室に招かれ、貴重なお話を伺うことができた。

  小野さんは今年76才。“一本の道を切り開く”夢に向かって邁進してきた。

 栂海新道の開設は、職場の慣例で登った黒姫山山頂から眺めた長大なやまなみに心を奪われ、その山々が未開の北アルプスの末端で、3,000mを0mにひとつにつなぐ日本海までの唯一の連なりと思い立ったことによる。「私は山男ではありません。所属の会(さわがに山岳会)も藪刈りの会だった」「こんなに人が訪れるとは隔世の感がある」と話された。

  並大抵の苦労ではなかったその開設と維持については、“「栂海新道の伐開とその後」小野健”として“山と人”2009春号(白山書房)に詳しい。(Eさん所蔵)また、一人での元旦山行をずっと続け、還暦には剣岳、古稀に槍ヶ岳、その翌年に北岳、今年の50回目の行先は丸秘で、その時には半世紀を振り返りたいとのことである。その他、若かりし頃の遭難の話、若田飛行士と共に宇宙を飛んだ糸魚川市のバイオささゆりの話と豊富な話題に私たちは傾聴するばかりだった。さわがに山岳会が48年、ウェストン祭や新潟日報のカレンダー作成が20年と「継続は力なり、人のつながりにただ恵まれた」と話すその風貌は、強靭な意志と体力を持つ偉人の顔だった。本日の行程:約8時間

 四日目:日本海へ

  栂海山荘から黄蓮山を経て黄蓮の水場で一服。水場にはブルーシートがあり、

 例の3人組は白鳥小屋をあきらめ、ここで野営した由。紫に煙るやまなみを振り返り、眼で辿る。今更ながら小野さんの慧眼に恐れ入り、その半生を思う。

 白鳥山避難小屋に着く。パラパラと雨が落ちはじめ、行く手の悪路を心配する。

 金時坂の厳しい急坂を降り、坂田峠に出る。小野さんはあのお年でこの坂を上がってこられるのだ。長旅の終りに近く、膝はガクガク、足も痛い。同行の皆さんは疲れも見せずに歩いて行く。しばらく前から道標は“日本海”とのみ記され、目的地はなかなか現れない。ついに親知らず登山口に到着。栂海新道と書かれた看板前で写真を撮る。観光ホテル横の階段を下りて0mの実感に向かうが、これが最後の難関だった。日本海の水に手を浸し、皆で万歳をして労をねぎらう。その後、糸魚川の宿で無事と踏破を祝ってお魚三昧の夕食を堪能し、私達の旅は終わった。皆さん、お世話になりました。本日の行程:約9時間。

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2009年10月19日 (月)

竜ヶ岳の富士山

竜ヶ岳の富士山

 

河口湖発の始発のバスが9時40分と遅い時間のため本栖湖に着いたのが10時20分、登山開始が11時となってしまいました。

 普段の山行ならもうとっくに頂上の着いている時間、やはりマイカーの人が多いようで駐車場はたくさん車がありました。バスでの登山者は3組だけでした。

 樹林帯を40分ほど登るともう富士山の全容が姿をみせてくれました。2,3日前に初冠雪したばかり、絵にかいたような富士山です。私は3回目の竜ヶ岳でしたが同行者は初めての山、 この景色を見せることが出来てほっとしたところです。501_3

頂上には12時45分到着、けっこう賑やかでした。ぞんぶんに富士山を眺め、3時には下山。バスの時間が4時55分と時間が有り余ってしまい、のんびりと本栖湖でウインドウサーフィンを眺めたりして、バスを待ち渋滞のなか河口湖駅にもどり遅い帰宅となってしまいました。 505_2 近くて遠い山行でした。

(平成211011日  新堀)

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2009年10月16日 (金)

ビバーク山行計画

ビバーク山行計画の提案                高柳 幸夫
ビバーク山行を実施したく参加者を10月21日の例会で募集します。
会山行を含めて疑似体験は直面した時に何らかの役立ちになるかと
思います。
高尾山の一丁平(幕営禁止でしょう?)で夜間にかけて行いたく!
高柳さんから寄せられた計画は以下の通りです。詳細は直接問い合わせてください。
'’09年10月24日(土)~25日(日)   高尾山口15:30分集合
 目的の山域山名  高尾、陣場山域    高尾山 → 一丁平
パーテイーで行動中、はぐれて単独(若しくは2人)になり、下山途中で日没が予想されてビバークを決意。
持参のツエルトで急遽ビバークの態勢を整える、、、、ことを想定して、の山行を企画実施。
ツエルトは各自(2人に1つ)持参。 行動食、湯を沸かすなどの最低装備は持っていることを前提。   
シュラーフ、シュラーフカバー、個人マットは持参しない。
登山基本装備の雨具などの通常ザックに入るもので夜を明かすことで安全安心な一丁平にて疑似体験。
★ツエルト持参できない時はご遠慮願います。
10月24日
(土)
15:30  各自高尾山口集合(時間厳守) 
16:00  高尾山口→高尾山
17:30  高尾山山頂着    
  18:30  一丁平着  
  19:00  ツエルト設営完了 ( → 確認)  
   20:00  行動食喫食後 各ツエルト毎、自由行動
10月25日(日) 3:30  起床後ツエルト撤収(食事なし)  
4:00  一丁平発(暗い中の行動)  
5:00  高尾山山頂    
6:00  高尾山口着     
6:30  解散(→個人行動に)  

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2009年10月12日 (月)

和名倉山(2036m)

和名倉山(2036m

日時                    091010日(土)~11日(日) 

メンバー            高柳

天気                    快晴、富士がすっかり雪化粧していました・・・

剱岳が8日の午後から冷え込んで雪山となって一般登山では山頂に行けない、との早月小屋のご宣託を受け、素直に中止にした。

・・・同じ日に富士山も雪化粧したとのこと(将監小屋の親父さんから!!)

ザックはすっかり準備できて山を待っている。このまま、ザックを解すのは寂しい。

5月に林道の崩落で諦めた和名倉山に再度行くことにした。

将監小屋に電話して林道の様子を聞くと台風(18)の影響もなく平気、とのこと。

9時に家を出て11時半頃に一之瀬のシャクナゲ荘に着き、車を預け、登山届を提出。

今日は将監小屋までの歩きだが途中誰も歩いている人はいない。連休だが人はやはり少ないみたいだ。

小屋までに小雨は降りだす、雷は鳴るはで心中穏やかでなかったがたいした濡れもなく将監小屋についてひと先ずは安心する。

テン場には先着のテントが一つ(ホっとする)・・塩山からタクシーで入ったとのことで、出費1万円が痛い、と言っていた。

翌朝は4時半起床、真っ暗な空にキラキラとたくさんの星が見え今日が晴れを確信する。テントはバリバリ、今年の初霜だったとのこと。

6時の時報を背に聞きながらテン場を後にして和名倉山に向かう。

20分で山の神土に着いた。

すっかりと200名山になって垢ぬけ?ていた。

笹で覆われた踏み跡は奇麗に刈られていて確かな道になっている!!

獣の匂いがしたように感じた道はすっきりした道に変わって歩くに迷いはない・・

1時間で西仙波に着いて、東仙波には小屋を出てから100分で到着。

富士山の美しい姿が望める、写真を撮るが大した写真にはなるまいと思いながらも やはり被写体として良い姿をカメラに撮りたいのは人の情。

東仙波からは急坂を降りる、岩場っぽい道や不明瞭で、いかにも和名倉山らしい箇所もいくつかでる。

この山の一番の良さは人手をあまり入れないことであろう、と感じる。

自然(獣)との調和を目指して、道の整備が十分されていないので倒木はそのまま、踏み跡も八百平付近から分かりにくい。

また、木材を切り出した頃のワイヤーロープが残って、いかにもその先は危険ですよ、なんて感じで踏み跡を塞いでいる、惑わされてはいけない!

八百平ではさすが道迷い?する人がいるようだ(案内でも気を付けるようと注意あり)。

広場になっていて行く方向が?消えて(見えなくなる)しまうのである。方向はわかっていても踏み跡が見えない。

ご多分にもれず私も2回戻ってやっと確認ができた。 (行きで唯一人出会った40代の男性も同じく迷ったとのことであった)

山は静かそのもので、すべて一人で判断しないと駄目(単独だから当たり前だが・・)。

標識は2か所くらいか?

あとは踏み跡とテープと地形図(GPS)、磁石、高度計が頼り。

「奥秩父山岳会」などにより適度に付けられた道案内用の赤テープが有難かった。

しかし天気が良いので尾根筋は明るくさわやかで、紅葉には少し早いものの奥秩父らしい山の雰囲気が雲取山とは違う山歩きとしている。

この山を紹介した「原全教」のころはもっと野性的な山であったろう。

川又の分岐を過ぎて、倒木を跨ぎながら登るとヒョイと和名倉山(白石山)に向かう二瀬分岐にでた(秩父湖方面との分岐)。

案内では25分になっていたが実質15分くらいか、一人やっと抜けられるコメツガの間からひょっこりと拍子抜けするほどの感じの小さな広場が山頂であった(840分)。

帰りはルンルン、でもなかった。やはり道を見失しない周りを見てやっとこさ踏み跡を確認したりで東仙波までは気を引き締めて慎重に歩いた(1010分着)。

小屋には1115分に着いた。

小屋の親父さんといろいろと和名倉の話をした。

こんないい天気には仙波でゆっくりと景色を眺めてのんびりするのが一番で、和名倉はそうした山なんだ! と教えられたが、急いだわけでもないし景色を見ないわけでもなかったが、“当たり”であろう。

気持の余裕が楽しむことを不足させたかも知れない。

やっぱり藪山をこよなく愛した「川崎精雄」ではないが紅茶を作ったりするくらいの気持ちが出来るようになったらもう少し和名倉を知ることもできるであろう。

人の少ない山歩きの素晴らしさを改めて感じた今回の和名倉山であった。

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2009年9月20日 (日)

登山は自己責任?

登山は自己責任?

関 哲夫

7月に大雪山山系のトムラウシ山でガイドを含め8名死亡の大量遭難事故があり大変衝撃的な悲しい出来事でありました。詳細な検証等は進められていくことと思いますが、当時の報道等からは当日、かなり厳しい気象条件の中で行動されていたように思われる内容でした。このようなガイドツアー登山で参加者の自己責任というものはどう判断されるのか考えさせられる遭難事故でありました。登山行為そのものは個人が楽しむものであり、山での事故は原則自己責任だと言う教えを受けてきた自分にとってはいささか難問に突き当たってしまった。

近年、登山事故の内訳を見てみると約80%がいわゆる40歳以上の中高年登山者層で発生していると言う現実があります。そのような中で特に山岳会無所属者に発生率が高いと言うデータもあるようです。

登山者を取り巻く環境という面を見てみると、交通手段が整備されて登山経験の少ない登山者(個人の判断で難しい)でも標高の高い山に安易入ることができるようになってきていること。確かに天候に恵まれれば3000m級の高山の登頂も可能であります。しかしそこには時期により残雪もあり、岩場の歩行・鎖場・梯子・ヤセ尾根であったりと技術を必要とする箇所が多々あるコースもあります。

また、沢山の登山雑誌が店頭に出回っており、多くの情報を提供されているがあくまでも参考資料として見るべきだと思います。案内書で例えば西穂高の冬などは初級となっているが、独標から先は冬山の技術を習得した経験者のエリアになるのではと思います。初級というレベルの線引き判断が難しいところでする

さらに、登山者への指導体制はと言うとヨーロッパのように国立の登山学校が確立しされていて指導者の育成が確立されているなか、子供達に対しても登山の基本技術の指導がなされているなど自然とのかかわりが承継されているようだ。日本でも文部省登山研修所(富山県にあり現在改称されセンタかも)が登山者のリーダを対象に技術指導を行って普及活動をしているが、一般登山者との距離があるように思う。

次に登山者個人の側面からの取組みについては、自分の体力を正しく把握しているか、年齢と体力レベルにあった、そして余裕のある登山計画を立てているかなど取組むうえで考慮しているか。近年登山そのものが身近になってきて簡単登山への傾向にあるように感じますしかし自然の厳しさは今も昔も変わっていないし薄らいでいないのです。山岳遭難の実態から登山必携とも言われている地図・コンパス・必要量の食料・ヘッドランプなど持っていない傾向が伺えるとも言われている。また登ろうとする山への事前準備不足、ルートの確認、危険箇所のチェック、エスケープルートの調査、対応した装備の準備など登山を行う最低限の確認事項が欠落したまま行動していることあるとも言われています。

先に記したが登山事故者で特徴的な傾向として、山岳会無所属登山者に対してどのようなアプローチ方法があるのかを考え遭難対策と言う点からも是非一緒に行動ができるような取組みも急務であると考えます。登山事故は、家族はもちろんのこと周りの方々へも多大な影響をおよぼすこととなります。各個人は自分が当事者にならない取組みが必要である。自己責任という前に遭難しない登山者になってもらうための指導体制の強化を図り確立していく必要があります。

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2009年9月11日 (金)

北アルプスの山旅

北アルプスの山旅

― 平成21年8月17~20日 ―

大野

 深夜バスにて早朝新穂高駅に下車、一瞬にして肌寒さを感じる。思ったより登山者が多く追いつ追われつ笠新道入口まで来ると数名の人たちがたむろしている。この場所は水が出ていると思っていたのが、何と一滴の水も無くそれぞれ少し戻り沢水を汲む人が多かった。

 先に進みわさび小屋で小休止、なんと同じ業界の人たちと偶然に、今日は双六小屋までと言うことで互いにエールを交わし左俣谷より小池新道に入る。晴天に恵まれたのは何よりですが石畳の歩きやすい道であっても暑さには勝てず秩父沢までの遠く感じた事と、シシウドガ原の冷水の美味しかったのにホッとする。鏡平近くの池糖の点在する場所に来ると私の天敵が現れ始めた。「蛇、蚊」。小屋名物のかき氷を頂くも、何と氷は大盛りでも少々のシロップにはがっかり。

 弓折岳分岐からの稜線は思った以上のお花畑が広がっていたのに感激しつつ双六小屋に。

 二日目、夜明けのご来光は燕岳方角から昇り今日の天気も保証された様だ。のっけからの急登で息が上がりつつ双六岳の頂に立つ。槍、穂高の山並みを見ながら三俣岳~山荘に立ち寄る。二度、三度と寄った楽しみの小屋です。「コーヒーブレイク」です。目の前の鷲羽岳の勇姿を見ながら最高です。黒部源流に下り岩苔乗越へ登り上げ高天原を目指し急降下するとハクサンフロウ、くるまゆりの群落に出逢う。岩苔小谷を渡った所で雷鳥の親子に。一度は行きたいと思っていた高天ヶ原温泉に足を運ぶ。小屋は予想外で数組のツアーでごったがえしていた。一段落するのを待ち、ヘッドランプを持って温泉に。

 三日目、昨日下っただけ登り上げなければ「きつい」水晶小屋前で大休止、ここも人人の波です裏表銀座コース野口五郎岳を見渡すと遠くに感じますが行かねば。東沢乗越まではザレ、岩稜帯を慎重に。夜にはこぼれそうな星空、流れ星も見れ、また人工衛星を見るラッキーな一夜でした。

 四日目、五時四十分頃小屋を出るが風が強く寒いが日が昇るにつれ気温も上昇。稜線歩きの醍醐味で北アルプスの山並みを一望のもとで遥か遠くに富士山も望め、三ッ岳まで来ると花の女王のコマクサがまだまだと咲き残っていました。烏帽子小屋で大休止、縦走最後で急坂のブナ立尾根を下る。これでもかと思う程下り切ると濁沢~トンネルまでジリジリと照り付けられつつ大町温泉で汗を流しフィナーレとなりました。

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2009年7月 2日 (木)

倉沢谷(奥多摩 日原川)

倉沢谷(奥多摩 日原川)

☆日時                  0906.27(土曜日、快晴、気温30℃オーバー)

☆メンバー           青柳、高柳(2名)

今年初めての沢登りは前から挑戦したくネットで情報を得ていた倉沢谷とした。

倉沢谷は蕎麦粒山直下に入る沢で水量も多く(泳ぎの沢)、短時間(2時間半余)で登れ、山頂に達せるレベル1級(初心者用)の沢である。

このところ膝の調子が良くない状態(痛み、腫れ)が2か月余続いて残念ながら山は遠くなるばかりであった。

それでも治すに日常生活はアイシングを朝・晩毎日行い、膝負担を減らすのに好きなランニングを中止、負担の多いスクワットなどもやめたことで回復の兆しが自覚されつつあった。

今日は沢には最高の天候。

雨が降る心配はなく、気温もこの夏一番の30℃を超える正に沢日和。

奥多摩駅行きのホリデー快速に国分寺805に乗って奥多摩駅には915着。

931の東日原行は臨時バスも含めて満員状態で、雲取山方面もたくさんの登山者。

川苔橋でほとんどが降りる。逆川にいく人たちも少なからず見られる。

「倉沢谷」はわれわれ2名が下車しただけ??? で拍子抜け!!

バス停の近くの道路わきで沢の支度を整え、林道の柵から急斜面を木にすがりながら倉沢谷に降りる。

明るい沢、澄んだ水、水量も多く素晴らしい沢歩きが期待できそうである。

この沢をトップで歩けることも気分良くしている。さっそく現われたS字の短い淵。

胸まで水に浸かって通過。ザックが浮き袋になってふわ、ふわ??

ヒヤッとした水の冷たさもこれから現れるナメとゴルジュに期待と興奮を抱かせる。

しばらくは何でもない河原歩き。

透き通った水の中を歩く久しぶりの沢歩きを満喫しつつ・・・

20分ほど歩いたか、岩にのって川底に横たわる石を見て軽く飛び移り、正面の大石に左手を着けた途端、痛みは全くなかったが、指間接の外れるパキッという嫌な感覚を持った。

すでに手を見なくとも指の異常は知れた。

左手薬指が70度左横に折れて小指と交差している。

青柳さんに指の異常を見せ、沢の中止を決める。

沢を下るより林道めがけて登ることにしてズルズルの急斜面に取りつく。

右手だけで登るのは厳しいが上に出ないことにはどうしようもない。

歩けるだけでも「良」としよう、林道に出るまでの時間は長く感じたがマジ真剣であった。

できるだけ手を使わないで上がれるルートを見つけながら‥であった。

林道を下りながら倉沢バス停付近で事情をお話して車を捕まえ、奥多摩病院に直行しよう、と決まった。

沢支度を解く前に直ぐに車=タクシーが来た。沢靴は泥で真っ黒。

青柳さんが事情を告げて、また車内が汚れることも気持ちよく了解いただき、荷物は青柳さんにお願いして乗り込む。

タクシーも奥多摩町までの下り道をかなりのスピードで下ってくれた。

奥多摩病院に着いて窓口で整形外科をお願いしたが土曜日で宿直医師は内科の先生だけであった。

診れない、とのことで断られる。これも仕方ない。

そこで近くの整形外科の病院紹介と、今からの治療ができるかを確認してもらう。

(土曜日で午前中だけが営業時間?)

古里診療所が“大丈夫“なことを連絡で知って、再度タクシーで古里に移動する。

その前に奥多摩病院で(お願いして)ビニール袋に氷を入れていただき、アイシングしながら移動とした(この早いアイシングが腫れを抑え、内出血での見た目も良くしたので良い判断であった)。

古里診療所ですぐに先生(皆川医師50歳前後)に診ていただき、待つ間隔も少なく短時間(1時間)にレントゲン、麻酔注射、曲った指の矯正、指の固定を行い、治療は終わった。

1週間はできる限り指を動かさないように、など諸注意をいただく。

古里診療所は内科、外科、整形外科があり、万が一の事故には心強い診療所である。

沢を終えたら風呂とビール!!!がミンナすっ飛んでしまった。

痛めた指が治ったらこの沢にリベンジ!  否、再度挑戦させていただこう!?

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2009年6月23日 (火)

日本百名山「祖母山」

日本百名山「祖母山」

大野 征子

 念願であった最後の一座、祖母山。 一週間前から九州地方の天気予報が気になる日々であった。 ラッキーな事に梅雨期と言うのに梅雨明けと思う様な天気に恵まれた山行でした。

 羽田を発ち熊本に降り立ち、レンタカー利用。まず「ガス」を手に入れなければと、場所を聞き「少し走った所にありますよ」と言われても、知った都会とは違って少しがけっこう遠くに感じます。

 車は高千穂五ヶ所という地を目指し走ります。目的地はさらに狭い林道を奥へ奥へと、登山口に。

 今日は、山頂直下の避難小屋利用なのでのんびり登り出す。合目ごとに指道標があるので気分が楽。千間平、三県境「大分、熊本、宮崎」国見峠は、潅木に囲まれた広い台地で、お地蔵さんがポツンと置かれ、登山者を見守っているかの様。

 山頂へはU字にえぐられた登りにくい道を、九合目小屋に。十七時でも太陽はるんるんと輝いているので山頂を目指す。

 ついに最後の一座祖母山の頂に立ち、踏破できた達成感を味わう事が出来ました。山頂はあけぼのつつじが、歓迎をしているかの様に咲きほこっていました。

 九州は日暮れが遅いとは知っていましたが、夜八時十五分を過ぎてようやく暗くなり、朝日が昇るのも五時頃なのにはびっくり。

満天の星空、御来光を見れた喜び。六時、小屋を立ち,来た道を下る。

車は阿蘇山を目指して走る。

水仙峡から登り、中腹あたりで砂千畳方角でガスがでた警報が鳴ったが、水仙峡は大丈夫と言う事で阿蘇高岳までピストンで行ってくる事ができた。

麓のかんぽの宿で格安料金で汗を流し、一路熊本空港へ。

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2009年6月21日 (日)

「バランスの良さは安全登山のカギ」

「バランスの良さは安全登山のカギ」

  都岳連主催・バランスアップ講習会参加レポート

                                                                                       正田 篤男

1、日時;6月13日(土) 13:00~17:00

2、場所;八王子労政会館ホール

3、参加者;約80名 / うち北多摩山の会 15名

     

4、内容; 都連関係者の挨拶に続き、全国遭難対策部の鳥越章夫氏による机上講習と実技講習が行われた。

  (古矢さん他連盟遭対部員スタッフの応援指導)

     講演要旨

1)、年々山岳(遭難)事故の発生は増加し、とくに中高年は80%強を占める。事故原因の中でも転倒(滑落、転落を含む)が約1/3と多い。(他は道迷いや病気等)

2)、では、どうしたら転倒防止ができるか? ⇒ 歩行バランスを改善することである。

・・・姿勢を良くし、重心を内側にかけて歩くこと。

即ち、上りでも下りでも背筋を伸ばし、前傾姿勢にならない。

体重は踵(かかと)に掛けずに両足の中心に落とす(親指と人差し指で軽く地面をつかむ感覚)。

腰の位置が体の中心に保たれる。

腰が引けたような歩きはしない。

こうすれば、体重が安定し、疲れにくく、スリップが減り、捻挫(ねんざ)も防げる。

・・・日常生活でも常にバランスを意識すること。

(自分の中心はいまどこに置かれている?など。靴底の減り方を見ればよくわかる。体重が外に逃げている人は、底後部が外側から先にすり減る。)

     実技講習

1)ストレッチング

2)片足立ちによるバランスチェック

3)バランスボール、平均台歩き、斜面歩きによるバラ   

   ンスチェック

  

☆ Q&A

斜面歩行でストックの使い方、雪道下り斜面の歩き方  

など

5、感想

   講師は豊富な例示と分かり易い文章、それに手馴れた話  

  し方で、よく理解できた。

  

  バランスの大切さは云うまでもない。問題は登山の全行程

  でバランスが保っていられるか?

  

  軽登山ならよし、長時間しかも重い荷物を背負っての歩行 

 (縦走など)、脚力も弱ってくる。

  

  足が弱り、疲れが増すとバランス維持も覚束無くなろう。  そこでまず、日頃の脚力鍛錬が必要になってくる。足腰を鍛えておこう。さらに気の緩みにも注意。

  

   また、雪の下り斜面では踵からの着地はダメというが、

  緩やかな雪の硬い斜面ではアイゼンの爪全面でシッカリと

  つかみ、下るのは当然として、急で軟らかい雪斜面ではど

  うする?斜面と雪質を考えた臨機応変の対応が必要であろ

  う。

更に、エクササイズにて、太い竹を使ってのバランスチェックがあったが、丸竹は滑りやすく、適当でないと思う。(平たい板を使うべき)          

                             

       以上

 

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2009年6月 8日 (月)

山行報告:大菩薩/雁ガ腹摺山~楢ノ木尾根

山行報告:大菩薩/雁ガ腹摺山~楢ノ木尾根

雨でこそ、藪山は楽しいのだ!

山﨑 公一

2009年6月1日(月) ガス、昼過ぎから本降り。

大月駅着7:41-TAX7:50大峠着8:25(7280

大峠8:30-雁ガ腹摺山9:25~9:40-大樺ノ頭10:15-1597mP鉄塔10:50~11:25-2つ目の鉄塔11:45-コル12:30-泣坂ノ頭12:45-大峰13:00~13:05-1298mP13:20-上和田分岐(水無山)13:55~14:00ち-上和田バス停14:50

富士急バス上和田発15:13-猿橋駅着15:45

参加5名(合田・大野・井上汎・内田・山﨑)。

4月末の小金沢連嶺の会山行のあと、小金沢連嶺から東方に伸びる尾根を一月足らずの間立て続けに歩いた。すなわち牛の寝通り、長峰(ながね)、そして今回が3本目の楢ノ木尾根で、これで自称<三部作>の完成となる。このルートは雁摺のピークに始まり、適度のアップダウン、最低コルから泣坂の登りとほとんど縦走の気分が味わえ、一番歩き甲斐があった。大峠からの雁ガ腹摺山はファミリー登山向き。ビューサイトは名だたる雁摺以外では、1597mPと1298mPの二箇所のみ。尾根筋は基本的に樹木に覆われており、大樺の頭から水無山の間はあらかた藪の中。ただし踏み跡は明瞭で、要所に大月市の標識がある。

夜来の雨のなごりで空気はひんやり。車窓から時折青空が垣間見られるものの、まだまだ雲は厚く、忙しそう。だが山行予定を一週間延ばした甲斐あって、天候回復は約束されているはず、だった。

「ギアをローにしてやっと。やっばり5人は重い」

大峠に向かうタクシーで、運転手が独り言のように嘆いた。湯ノ沢峠口を過ぎてからは車のあえぎ方が違う。高度が稼がれる分、なぜか後ろめたさが増す。峠は肌寒く、気温7度Cとのこと。上がり口で登山届けを書く。歩き始めて数分、道の脇に立派な水場がある。ガスっていてもあたりは明るく、ゆっくりペースで進む。樹林帯を抜けるあたり、吹切尾根出口を確認した。藪に埋もれてはいるが下道はきれい。そのすぐ先、一見石積みと見まごう規則的な割れ目の大岩を捲くと頂上直下の原で、坂の上方、樹林を背に憩う人たちの姿が望めた。このときにわかに日差しが強まった。一気にガスを払って目の前に富士…、との期待はあっさり裏切られて眺望はゼロのまま。

「せっかく内田さんが五百円札を用意していたのに!」

「いま流通していなくとも有効なはずだろう」と八つ当たり気味。

頂上では絵柄の説明板をむなしく眺めるばかりだった。

雁ガ腹摺山から北へ深い樹林のなかの踏み跡をたどる。ガスが一気に濃くなり、煙幕にあったように暗く目が霞む。こまめに赤い杭の道案内がある。比較的起伏の少ない尾根道からロープの下がる急な下りへ。少し上り返したあたりで大野さんが立ち木に鋭い爪あとを発見。目の高さ、2~30センチほどの長さで幹がえぐられているさまに、一同戦慄しつつ見入る。ここはもうプーさんの世界なのだ。彼のストレスに同情しながら、いざという時の呼子を握りしめる。ひららかな道の途中、切り開きに出ると「大樺ノ頭」の標識を見た。

長峰よりはるかに短いが、背丈をはるかに越すスズタケの群叢を、体重のまま落下する。笹の花をあたり一面に飛び散らしながら、掻き分けたり、頭から突っ込んだり。笹が雨水をまだたっぷり抱えており、すぐにびしょ濡れ。気分の良い小笹の広場から少し上ると鉄塔だった。高度計が1597mピッタリを示した。ガスはまったく晴れない。それでもコース中数少ないビューポイントゆえ、景観を“心眼”で捕らえながら中食をとる。

小ぶりの第二の鉄塔の少し手前で、道が右背後から上がってきて尾根を越して左手に下がるのを見る。そして数十メートル先ですぐまた左手から道が上がってきた。いずれも送電線巡視路か。小刻みのアップダウンが続くなか、ロープやワイヤーの下がる箇所があった。12時10分、雨が音を立てて本降りとなり雨具をつける。それから10分下ったところで、しばしば井戸の底にたとえられる特有の地形に降り立つ。長峰から望んだ楢ノ木尾根の最低コルだ。

 泣坂ノ頭は深い樹林につつまれ展望なし。15分で、同様に小さな祠があるだけの大峰に着く。雨にけむる祠を囲み、立休み5分。深城のダムに向かって下りる北尾根の踏み跡は明瞭で、道標が「水無山⇒」と示す右手急下降していく道の方が心もとない。雨脚は衰えないが、藪山では道が川になったりぬかるんだりしないところが良い。しっとりした道を、断続的に潅木の藪に突入して高度を下げていく。いったん藪に潜れば、横殴りの雨か、全身シャワーか、選択は自由だ。

上和田への下降路が、2万5千の地形図では1298mP手前の尾根につけられているがその分岐らしきものは発見できなかった。地図の誤りだろうか。尾根の明瞭さからすれば、何らかの道が付けられていておかしくはない。

「ウワァー、すばらしい景色!」

1298mピークの刈払いに出たとき、乳白色の虚空に向かって皆で声を上げ、思わず顔を見合って苦笑い。天気は回復に向かう気配だが、雨は止まない。このあと雷鳴を二度ほど遠くに聞く。尾根左側は自然林で、右手南面の伐採跡側に道が踏まれている。伐採から年月が経っているのだろう、ちょうど人が没する程度の潅木の藪が続き、時々飽きて注意力が薄れると踏み跡を失う。一瞬ガスが切れ、眼下に矢竹の集落が望めた。すると西方に雁ガ腹摺山がひときわ大きく立っているのに気づいた。

1139mPの水無山も樹林の中。戻って手前の標識で左折し、植林と自然林の混じる尾根上を、上和田に向かい脇目を振らず一直線に下降する。膝への負担を少し感じる頃、道は尾根末端のジグザグを切り、農家の庭先へ。家々を抜けていくと、陽がためらいがちに差すなか、ちょうど最後の一降りがあり、ガスが向かいの山肌を追い立てられるように這い上がっていった。

(2009.6.6)

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2009年6月 1日 (月)

奥多摩の登山事故から学び「自分の弱点を強化しよう」

奥多摩の登山事故から学び

「自分の弱点を強化しよう」

関 哲夫

東京のアウトドアのメッカとも言われております奥多摩は、雲取山をはじめとして休日には多くの登山者が楽しんでおり、年々増えている傾向にある。

私たちもホームグランドとして日頃からお世話になっている山々でもあり、慣れ親しんでいる山域でもあります。

この奥多摩において登山愛好者の増加に伴い山岳遭難事故の発生件数が右肩上がりの傾向を示しているとのこと。

奥多摩における山岳遭難事故から私たち登山者自身が一人ひとり何かを学ぶこと大切であります。そのことが今後の登山活動に生かされていけば安全で楽しい登山が出来るものと思います。

奥多摩における平成20年に発生した山岳遭難事故発生件数(救助隊資料)

原因別

原 因

件 数

人 員

 道迷い

11

15

転倒

8

8

転落

8

8

病気

6

6

滑落

2

2

不明

1

1

受傷別

程 度

人 員

内  訳

死亡

5

不明1 滑落1 病気2 転落1

重症

10

転倒7 転落3

軽傷

8

無傷

17

年齢別遭難者数について一覧にしていませんが、全国的な統計によると登山事故の中高年登山者(統計的に何歳からを対象にするかにより差が出る)がしめる数は約80数%以上とのデータもあるようですが、奥多摩においては50歳以上を対象にすると52%と半数以上が中高年者による事故となっております。

奥多摩における登山事故の特徴として

     登山に必要な体力、持久力の不足により、下山時に石につまづく等、転落する事故

     急変する山の天気等、自然の脅威に関する知識不足による事故

     道に迷いビバークの際、サバイバル技術の不足による事故

     何事もリーダーまかせの「他人依存型登山」による事故

山岳救助隊からの資料を参考にさせていただきましたが、私たち登山するものにとって少しでもこの中から自分にとって参考になるものがあり、何かを感じ取っていただき、そして、何かの行動を起こしていただければきっとこれからの登山活動が楽しいものになっていくものと思います。

危ない登山者と言われているのは、お客様タイプ「連れて行ってもらえれば・山にいければそれでいい・リーダーは案内人」 自己中タイプ「私は事故など起こさない・私は危険なところには行かない・ 山の技術など面倒くさい・自分が楽しければそれでよい」など危ない登山者にはならないように。

奥多摩の安全登山のため

低い山だから

日帰りだから

今まで大丈夫だったから

みんなと一緒だから

自分は大丈夫

自分に限っては

と言った安易な考えは捨て、しっかりした計画で楽しい登山をしましょう。

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尾瀬ぶらりハイク

尾瀬ぶらりハイク

  哲夫

日 時  21年5月22()23

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参加者   4

   電車・タクシー利用

宿   山小屋利用

   晴・小雨・晴

コース ・タイム

沼田→鳩待峠(11:00)・・・山ノ鼻・・・牛首分岐・・・ヨッピ吊橋・・・赤田代(16:00)

  赤田代(7:00)・・・見晴・・・沼尻・・・三平峠・・・大清水(15:30)→東京

前の職場メンバーと一泊2日ののんびり山行してきました。

以前から泊でのんびりと山行をしてみたいとの相談もあり、景色と花とメンバーの力量を見て安全に、比較的気軽な山を検討、時期的にも混雑前の尾瀬を計画少し気になっていたのは雪の状態でしたが、今年は早い雪解けとの情報。

東京を早朝にたち沼田からタクシーで鳩待峠へ、運転手さんが今年は例年より雪解けが゙早く、水芭蕉も咲きはじめているとのこと。鳩待峠付近は少し雪が残っているが登山道には影響がないようだ。峠の駐車場は規制前と言うことで10台位駐車しているが、ナンバープレートは関西・北陸・東北までの広範囲でさすが尾瀬国立公園・特別天然記念物と言う感じである。

天気も雨予報から回復してうす曇、山ノ鼻に向かう途中の湿地帯には水芭蕉が咲きはじめ2025cm位の小さな水芭蕉が沢山出ている。思わず足を止めてしまう。登山者も少ないのでのんびり鑑賞ができる。何回か水芭蕉を見に来ているが咲き始めのきれいな水芭蕉が見れるとはラッキーである。

山ノ鼻には小団体グループと他は本当に数えるほどのハイカー達で少ない。

小屋の方ものんびりムード。

山ノ鼻から牛首の分岐まですれ違う人も少なくどこでも休憩オッケー状態、正面には雪の被った燧ケ岳を、バックには至仏山と写真の好きな方にはたまらない景色のようだ。この景色を堪能しながら所々の湿原に水芭蕉が顔を出しており、また草モミジの原っぱもすばらしい景色である。

牛首分岐からはさらに静かなヨシッ掘田代へコースを取る。貸切りコースであるこのコースやや山裾コースのため樹林帯にはちらほら残雪が目に付くヨシッ掘田代の水芭蕉もわれわれだけのものである。15時近く東電小屋に到着ここからの眺めも良い。小休止し赤田代へここがまたすばらしい、びっしりの水芭蕉で感激、そこに小さなかわいいザゼンソウも加わりがなんともいえないすばらしさである。16時に今日の宿、元湯山荘に到着しなければならないのに皆の足が前に出ないほどの群落エリアで皆のカメラがフル回転している。

数十分の行程で山荘に到着、宿泊客も小人数の5組ぐらいとのこと静かな一夜になりそうだ。雨もふられず一日のんびりと歩けすばらしい景色が堪能できたことに感謝し皆で食事までの間ゆっくりとくつろぐ。明日の計画では三条の滝を往復し尾瀬沼経由で大清水までの比較的長いコースの予定、雨天の場合は状況判断とする。入浴後、夕食、山小屋の食事も他の小屋と比べてかなりボリームがある(他のメンバー談)とのこと。

翌朝は予想通り雨、三条の滝をあきらめ尾瀬沼を目指すこととする。

雨の赤田代もまたすばらしくおすすめコースのひとつです。見晴十字路に着くころには雨もほとんど上がる。ここからはブナの樹林帯にはいり白砂峠へ登る。しばらく歩くとちらほら雪が顔をだしはじめる。幾つかの沢を渡っていくと登り斜面になり、白砂峠が近づいてくると付近はすっかり雪のルートとなり、ところどころルート不明なところもありひろって歩く。また急斜面のルートもありキックになれていないメンバーはスリップして苦労していた。運動靴を履いたハイカーにもすれ違ったがスリップして苦労しているようだ。峠は雪一面で少し寒いくらいである。

峠から白砂田代へは急な下りになるため、踵キックでの下降方法を伝い何とか白砂田代に到着、ここには沢山の池糖が点在し非常にきれいな湿地帯である。ここから尾瀬沼は近いが樹林帯のため雪上歩きが続きルートがやや不明なとこが何ヶ所かある。沼尻付近でやっと木道が顔をだし沼尻湖畔の小屋で小休止。ここから南岸にコースを回る、このルートはほぼ全ルートが雪に埋もれておりトラバース気味に歩く。スリップすると沼にドボンとなる箇所があり少々神経を使う、雪上歩行に慣れていないメンバーには非常に疲れるようなので途中で一本とる。このコースも後半には数人の登山者とすれ違う。やっと三平峠入口に到着、ここは沼山と大清水からの入山コースのため登山者もやや多い、暖かい飲み物などで昼食とする。小屋の周辺は除雪されているが付近はだいぶ雪が残っている。少しの休憩で三平峠を目指す、このコースも雪上歩行で所々斜面が急になっていたり、少しでもルートをはずすとひざ上まで雪にはまってしまうほどである。ほんのわずかで峠に着く。

峠からは下降ルートとなり、しばらく下ると雪も消え時々太陽も顔を出し、周りは新緑のすばらしい景色を提供してくれる。遠方には日光の山々も見えのんびりと楽しむ、ここでは途中すれ違う人もほとんどなく、いつもの混雑した尾瀬の風景とは一味違うことを感じる。時期を少しずらして計画すれば静かでこんなにすばらしい山行ができるものかと感じた。

沢沿いのルートとなりまもなく一之瀬休憩所が現れるここからは広い車道を大清水のバス停まで下る。楽しい・のんびりの山行でした。

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2009年5月18日 (月)

大菩薩嶺 長 峰 尾 根

       

 平成21年5月16日(土曜)曇

 CL 合田 譲、井上 汎、山崎 公一、楠田高敏 4名

 高尾6:43 甲斐大和8:02 バス(栄和交通)8:10 木屋平8:53

  木屋平9:00─→石丸峠~牛の寝尾根分岐10:05─→長峰尾根分岐10:1310:20─→

 1300㍍圏11:37─→白草の頭12:2012:45─→深城へ道標12:50─→カケッネの頭

 13:00─→山の神13:27─→深城トンエル14:13─→小金沢公園14:2514:45

 小金沢公園(タクシー)猿橋駅15:15  猿橋・東京行き15:28

 4月26日の小金沢連嶺縦走から今回で4回目の大菩薩である。良くも同じ所に来るものだ、我ながら感心する。今日は夕方から雨の予報。土曜日のせいか木屋平下車は我々4人だけだ。山の上はガスが垂れ込めている、何とか一日持ってもらいたい。

 石丸峠では西南の風、雨が来そうだがまだ降らない、尾根を超え東側に入ればガスは消え、薄日が差してくる。

 長峰尾根分岐で一息、長峰分岐の道標には道不明瞭ヶ所有りとある。

 いよいよ急な笹の中へ突入。笹に掴まり木に掴まりしてもの凄い急な下を、ただただ尾根から外れないよう注意して急な下りが続く。分岐の1800㍍から約30分程で1500㍍圏あたりでは、笹が刈り払われ歩きやすい道になった。笹に覆われた尾根と思っていたので、少々期待はずれの感である。

 これといった所もなく、尾根上を進み、時には尾根の南側を巻く、白草の頭も南側から回り込んで唯一の三角点に到着した。昼食タイム。

 白草ノ頭から尾根は真東に下る、カネッケの頭の手前でこの尾根初の道標が木の幹に括り付けられ、深城まで1時間とある、本当かなと思った。ほぼ平らな道を落ち葉を踏みしめただただ進む。

 カネッケの頭を過ぎ途中、笹の穂に花が咲いているのを見つけ、始めて見る笹の花、記念に写真を撮り、サンプルに2・3本採取。本当はいけないことだが、どうせ枯れてしまうものと、持ち帰った。

 約30分で山の神。この手前の杉林の中から、左下に松姫湖の湖面が認められる。

 山の神から左へ下り途中から右にトラバスし、車道に下り切る手前で斜面が崩落し危険な個所があった。

 全コース5時間15分で車道に降り立った。雨にも遭わず、懸案の尾根の走破を済ませた。思えば眺望を全然望めない何てっいうことも無い尾根だった。 

 翌日、多摩森林科学園に電話で問い合わせ、やはり笹の花で間違いないと教えて頂いた。自分自身、山形へ疎開した終戦前後、近所の人に連れられ、笹の実を取りに行き、食糧が無い時で特に美味しく食べた思いがあります。

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2009年5月11日 (月)

初めての会山行

恐るべし、洟垂れ小僧

小金沢連嶺09.4.26-

山﨑 公一

森の中の小沢に沿ったゆるい坂、という印象を追っていた。陽だまりの峠の原では、ちょうど飲み頃となった凍結ビールが振舞われて、寝不足の神経を心地よくしずめてくれ、季節はずれの蝶のようにふらふらと熊沢山を越えた。

「大菩薩嶺まで行っても何もないから」

天候が悪いわけではない。だれが言い出したのか、言い訳を山のせいにして介山荘を左折した…

遠い昔の自堕落な山行の思い出は、不意の

(

あられ

)

に打たれ潰えた。小屋平でバスを降りてすぐの笹原の急登に喘いでいる時だった。純白の結晶が音を立てて足元にこぼれ散り、みるみる積もっていく。

「かき集めてもって帰りたいくらいですね」

「傘を出そうかあ」

パーティが止まった。ザックに傘を忍ばせていても、私は山中でついぞそれを開いたことがない。様子をみて、多少の雨は雨具なしで凌いでしまうことがほとんどだった。むろん面倒だからであるが、傘はアプローチでこそ差すものの、山に入ってからはなぜか抵抗感をちょっぴり覚えるのだ。私は家から羽織ってきた防寒兼防風兼の雨具のままでよしとした。白浪の男よろしく次々と傘が開かれるのを見て、大げさにいえば、これが「山の会」カルチャーの最初の目撃かもしれないと思った。

霰が収まり、はるか金峰に差す陽がみとめられた。甲斐駒、北岳も遠望できる。しかし気まぐれのようでいてときどき悪意をみせる風。それと結託するような激しい雲の流れ。等高線沿いに石丸峠に達する道や笹原には心覚えがあったが、この日の峠は風の通り道となって長居を拒んでいた。

旧峠に来て「一本!」の声がかかり、風下の小菅側に寄った。

「さすが標高が二千メートルあるだけのことはある」

「気温は百メートルで0.6度下がる。この風で体感温度はもっと下がるね」

「気温は現在5度」と報告された。強烈な二つ玉低気圧が本州を抜けたばかり。寒気を送り込む気流が天空に唸り、主稜線上は日がな寒風が収まらなかった。手先は冷たく、上りでも体が温まらないので自然と足は速まり、休憩も短い。いつの間にかメンバーみんなが軍手を着用している。出掛けにコンロとともにザックから取り出し置いてきた場面を、一生の不覚とばかりに反芻する。ひとりズボンのポケットに手を突っ込んで歩く私は、いかにもふてくされの悪童だ。しかし冷気は容赦なかった。

 小金沢山から、大岳山、三頭山などが眼前に望めた。奥多摩湖の湖面まで確認できたのには少し驚いた。牛奥ノ雁ガ腹摺山で中食休憩となったが、飯を摘む指も凍えてそそくさと腰を上げた。富士には7合目あたりから上に分厚い雲がずっと居座っていて、そこだけ風がないかのようにまったく動く気配がない。

「五百円札を持ってきて確認したかったなあ」

「五百円札の雁ガ腹摺山はここじゃないよ」

私の知ったかぶりはメンバーに即座に否定されてしまった。

川胡桃ノ頭から黒岳にかけての樹林帯では鹿の食害が目立つ。黒岳の下降途中、草原の左方に白谷丸への道があり、陽気さえよければのんびりしたいと思った。湯ノ沢峠の小屋は、避難小屋とは思えないアットホームな雰囲気が漂う。

 旧林道から焼山沢林道に出会うところで、黒岳頂上から電話で呼んでおいたタクシーが待っていた。甲斐大和駅に戻ると、終焉の地として甲州市が主催する『武田勝頼公まつり』がちょうどお開きとなったところ。ちなみにこの日、ドラマ『天地人』でも勝頼自害で武田家が滅亡した。奇しくもというべきか、NHKもなかなか芸が細かいというべきか。

3時半にはおのおの缶ビール片手に列車に乗りこんだ。

「さすがですね。メンバーの脚がそろっていて快調なペースでした」

「私は今年七十…なんですよ」

「え、今何とおっしゃいました? 十歳、違いませんか」

「いや、本当です。ほかにも彼は昭和十…年生まれでしょ。確かあの人が…」

いやはや何とこの一行8名のなかで私が最も若輩と判明し、驚倒する。

実は入会にあたって、私は年齢に難色を示されることを予測した。そんな意識の根っこに自分の年齢への甘えがあったことに気づかされ、妙に恥ずかしさがこみ上げてきた。会社勤めをやめると同時に、人生をも知らずリタイアしていたのかもしれない。山は人生の余白や昔の杵柄だけでは登れまい。アンチエイジングの達人諸氏の姿に接して衝撃を受けると同時に、翻って自らの貧弱な脚力や体力を思い知らされ、今後に不安を覚えた。いや、自身の生きる姿勢に疑問符を突きつけられる思いがしたといってもよい。入会で問われたのは、“現役”であり続ける意志だと思った。

初めての会山行のビールはほろ苦かった。

六十、七十は洟垂れ小僧」

百歳を越えてなお創作意欲が旺盛だった平櫛田中はそう言い放ったという

洟垂れ小僧、結構ではないか。洟垂れ小僧は侮れない。恐るべし、洟垂れ小僧!

私の山は、この小金沢連嶺の山行から新たに始められることになった。

(09.5.10)

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2009年4月27日 (月)

笹尾根を歩く

笹尾根を歩く

  大野

平成21年4月13日(月)

 低山と言いながらも歩きがいのある山であった。

 天気快晴、五日市駅でバスに乗り笛吹下車。笛吹峠への道標を確認し歩き出す。のっけからの急な舗装された道を登って行くと小さな集落になっている。今が見頃と桜がさきほこっている。

 

 民家軒下から登山道となり、かたくりの花がチラホラと見られた。ジグザグの杉林の登りで汗が流れる。ほどなく笛吹峠でホット一息付く。

 笹尾根を生藤山まで足を運ぶ。名の通り笹がさぞかし多いのかと思いきや、小笹が所々に生えている位で、とても歩きやすい道である。尾根上、小棡と言う集落に下る道が数ヶ所、見受けられた。

 土俵岳でランチタイム、先が長いのでのんびりもしていられない。山岳マラソンの練習らしき若者と出逢う。熊倉山の裾でカタクリの花の群落に出会い疲れもいやされる。

 一気に生藤山山頂に立つが、かすみが出て展望はすっきりしない。甘草水の場所は桜が満開でした。スキップでも歩ける様な道を佐野川峠より鎌沢の集落に下る。かなり急な生活道路をバス停に。藤野駅に出る。

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2009年4月11日 (土)

表妙義山

表妙義 山行記録(白雲山

1103m)

日時:                  09年4月4日(土)晴れ時々曇り

メンバー:           関、楠田、内田、高柳

ルート:                            妙義神社→天狗岳→相馬岳→バラ尾根(茨尾根)→ホッキリ(堀切)→中間道→妙義神社(815分~1430

白雲山は天狗岩、相馬岳を総称しての山群のようであるが「コンサイス日本山名辞典」(三省堂)では相馬岳と白雲山とは別名表現になっている。

しかし、実際に登ってみると「白雲山」は存在しなく「天狗岳・相馬岳」であった。

インターネットHPでも随分この間違いで記録されている。

6時に武蔵小金井駅に集まり、楠田さんの車で松井田妙義に向かう。

言わずと知れた関越高速は1000円設定で、所沢~松井田妙義は1650円と随分安い料金に変わった。

松井田妙義で降りて妙義神社前の「道の駅」の駐車場端に車を止める(0800 無料)。

ゆっくりと支度をして815分に駐車場をでる。

妙義神社は089月の台風で裏山の山林が大きく損傷して、本堂も被害を受けて現在は修復の真っ盛り中。

修復中の神社も、山肌に無造作に倒れたままの大木も(樹齢1000年の杉もあるが・・)片付作業に追われていた。

本堂の脇から白雲山への登り口表示が出ている。この、上級者ルートとされるルート全体には地元有志であろうか、標識や表示が丁寧にルート案内を行っており、ルートミス防止が徹底されている。それでも遭難事故は多いのであろう。

白雲山にむかう途中で「大の字」の見晴らし台で景観を楽しみ、休憩をとる。

大の字を過ぎた先で、中間道に降りる道と白雲山に向かう分岐(辻)となり奥の院への方向をとる。

このルートに入ると道はバリエーションと云われる山歩きとなって鎖はついているが岩登りの経験がないと厳しいと思われる。

こんな感じです

奥の院を見て、いよいよ鎖場。この妙義山の岩はホールドが多く至る所で勝手に掴まれるので見た目より多少は・・・・

それでも斜面は急で、場所により足元がスッパリと切れているので落ちると大きな事故になることは必死でスリリングでもある。

木の根もうまい具合にルート上にある。

これらを適当に利用しながら玉石を通過・・「大のぞき」に出て妙義山全体の奇怪な山容を満喫。

玉石から天狗岳、相馬岳へのルートは全般に大きく迂回する方法がとられている。

このルートを開拓した先達の苦労が偲ばれる。

天狗岳から相馬岳に行く途中でルート確認の時間を多少要した。

相馬岳は見えているのだが双方の山が大きく切れているのでルートが反対方向に進むかのようでその確認が必要だった。

玉石当たりで先を譲った単独行者が相馬岳へのコルを歩いているのが見えた。

時間をロスしても標準時間内で歩けているのは力がそろっているのが要因。

相馬岳への上りは堆積した朴の落ち葉?が滑りやすくしている。

北側斜面には所どころ雪が凍って残っている部分も見えた。

相馬岳山頂着1130。ちょうど腹も空き、疲れも出ているので昼飯とする。

相馬岳で先ほどの単独行者に写真を撮ってもらった。われわれの前後になっている2人の若者(社会人4年目、上尾住民)も後から来た。元気のいい若者であった。

昼飯のわずか20分ほどの休憩でも体が冷えてくる。

山頂を離れてバラ尾根からホッキリの分岐に向かう。時間は90分を予定。

相馬岳への途中で今日の山行中、一番の難所といわれる「鷹戻し→(金洞山」」をやめてホッキリから中間道に戻ることにしていた。

疲れで万が一に鎖から体が外れての事故を考えての変更だ。

相馬岳からの下りはすごい下り、下り、下り…でそれも荒れている。

滑りやすくて、急坂で、随所に岩場もあり慎重に木や枝や根っこに掴まりながらの下降であった。この急坂を越えると10mほどの土と岩の壁が塞ぐように待っていた。

ホールドが沢山あるので難しいのぼりではないが、後ろは切れ落ちて、落ちたら百メートル以上は落下するであろう。

天気を考えて今日の山行にしたとはいえ、天候に恵まれたことにも感謝である。

雨天時での歩きはこのルートを数倍難しくするであろう。岩は滑りやすく変わり、寒さで手が凍える、山肌の土は泥になり容易ではなくなるであろう。

  

          ホッキリ(堀切)で休憩(13時)。

ここから中間道までは15分であった。この直線的な下降も予想以上だった。

中間道に出ると家族連れのハイカーに出会ったりして今までの空気とガラリと変わる。

よく整備された関東ふれあいの道をゆったりと歩いて妙義神社着は1430分であった。

神社に着いて、山から引いた水で渇いた喉を潤すとやっと人心地がついた。

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2009年3月24日 (火)

タカマタギ山行報告

タカマタギ山行報告

関 哲夫

日 時 21228日~31

場 所 上越 タカマタギ山

参加者 高柳 内田 正田 関

ルート 土樽→尾根取付→JP→棒立山→タカマタギ(往復)

天 候 曇り一時晴れ

タイム 土樽(5:30)→尾根取付(6:20)JP(8:00)→棒立山(9:23)

→タカマタギ(10:05)JP(11:45)→土樽(14:00)

以前に雪洞山行計画案として検討されてきたが、なかなか実行できない山行のひとつでありました。

今回も雪洞を視野に入れ検討していたが、暖冬が続いていることから、積雪も少なく今回は残念ながらビストンでの山行計画となった。

この時期はまだ天候が安定していないことで、週間予報では日曜当日は曇りか少しの晴れ間が期待できるとのこと。

積雪は少ないとは言え、今年の天候の寒暖の激しさと雨があったりと雪山の条件としては雪崩に注意を要する気候変化である。雪の状態は一応落ち着いているようでしたが気を抜けないところです。コースは主に尾根ルートということ、樹林帯が多いということ等々考慮して取り組みました。

前日は土樽ステーシヨンにて宿泊、トイレ・電気・飲料自動販売機とフルセット快適なステーションハウスで(JRに場所を借用)夕食は内田さん特製の野菜たっぷりのナベ料理をいただき、この時期としては暖かく快適な一夜を過ごすことが出来ました。

翌朝4時起床し早速定番のうどんもちの朝食をとりテントを片付け出発の準備にかかる、同宿した北区から来たという青年は先行して5時ごろ出発していった。

我々中高年パーティも5時30分に出発、装備はロングスパッツでオーバーズボン等は着けない。外はまだ薄暗いが雪明かりと高速道路の明かりで足元には支障はない。

毛渡橋をすぎすぐに指導標に沿って左の登山道に入ると雪上歩きとなる。夜明けてかなり明るくなりトレースに沿って歩く。高速道路をくぐり、上越線をくぐり平標への分岐に出る。分岐を右にとり少し歩くと最初の尾根の末端に赤布がつけられている少し先の回りこみ確認してから取り付くこととした。かなり急登である。一汗で尾根に上がる、ルートは踏まれているが足元には少しブッシュが出ている。これも温暖化の影響ではと感じる。このルートは棒立山の稜線に突き上げる支尾根だがかなり一本調子の登りである。まだ、早朝で雪はしまっていて歩きやすい。上部に登るに従い積雪も多くなり雪庇も大きく口をあけているところがあり気になるところである。途中斜面がさらに急になってきたところでアイゼンを付ける、斜面の状況も軟雪と硬雪とがミックス状態となり歩行には気を使うところでもある。

稜線に突き上げるとなんと大型のテントが1張りあり多人数のパーティが入っているようだ、すでに頂上目指しているのか留守である。

ここまで来ると眺望もさらにすばらしく谷川岳の上部など1部雲の中であるが間近に見え圧巻である。一本とる。

若干の平行移動でさらに登りが続く稜線という事で眺望が良いのと天候に恵まれていることである。風もなく春山のような天候である。棒立山手前の斜面でテント泊のメンバー(我孫子山の会)に会い挨拶を交わす2時間前に行動を開始したとの事。棒立山直下の斜面はかなり急でエネルギー消耗が加速させられる。この斜面は樹木も少なく急斜面のため降雪直後の行動には雪崩の警戒を要する斜面でもあると感じる。トレースにルートを取り棒立山の頂上に立つ。なんと先行した青年が休憩を取っていた。小休憩しここからは少し下降する、前方にタカマタギ山がある。稜線と空のコントラストはさらにすばらしく冬山の醍醐味である。

いよいよ目前のタカマタギへの登りにかかる。ここもルートの選定に少々苦労させられる斜面である幸い先行パーティのトレースがあり利用させてもらい楽させてもらう。風もなく天候も時々太陽がのぞいてくれるなど絶好な登山日和を提供してくれている。

30分のアルバイトで到着、頂上は風が少しありさすがに冬山、やはり寒い、少しの滞在で頂上を後にする

少し下降した鞍部にて大休止しエネルギーの補給する。

太陽も顔をのぞかせ風が当たらないと春山のように暖かい。しかし、困ったことにアイゼンがダンゴ状態になる、棒立山を下降してから、練習もかねてワカンやスノーシューをつけて支尾根の分岐まで下降する。テントもすでに撤収されていてすでに先に下降している。谷川・白毛門・朝日岳の眺めは抜群の眺めである。絶景と言う言葉がぴったりの表現ができる。

温度も上昇しているようで、雪もベタ雪状態で下降には足元に負担がかかりやっかいな状態がつづく、電車の時間にも余裕があり途中休憩をはさみながらルンルン気分で登山口に到着。土樽駅には2時近くに到着。

満足した山行でありました。

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2009年3月 4日 (水)

タカマタギ1529メートル(ジャンクションピーク→棒立山→タカマタギ)

タカマタギ1529メートルジャンクションピーク→棒立山→タカマタギ)

□日時                 0931日(前泊土樽駅)

□メンバー             関(CL)、正田、内田、高柳(4名)

□山行タイム         登り3時間半、下り4時間弱(途中時間調整)

春の山行計画に何年か実行されないままの山名があった。「タカマタギ」である。

今年やっと、4名の参加者で「前泊(土樽駅)日帰り」の計画が実行される。

新宿駅で待ち合わせ。紅一点の内田さんは高崎駅で合流することになる。

高崎駅には15時着。4名全員が揃って土樽駅に向かった。

電車は真っ暗な中で裸電灯が灯った土合を過ぎるとまもなく土樽の駅に着(1649分)。

無人駅で切符の回収はなく記念にポケットにしまう。

改札口を出た駅舎の中にテントを張ることにする。飲み物の自動販売機があり、暖房が効き、水、トイレもすぐそばにある、快適な無料の宿泊施設であった。

関さんと私は予定通り、明日のタカマタギまでのルート下調べ。

内田さんと正田さんはテント設営と今夜の料理の支度にと分担作業にはいる。

関越高速下の道路を歩き、毛無橋を渡って平標山とタカマタギとの分岐の道をべた雪にあくせくしながら確認。往復で1時間ほどだった。

戻ると今夜のうどん、餅入りの野菜鍋がしっかりと待っていた。ほのかな柚子の香りの鍋は内田さんお手製の調味料。野菜にはまたまた自家製の正田さんの葱も入っている。

明日は4時起床、5時発の予定である。

4時に携帯のアラームが起床時間を告げる。テント内の個人装備などを片付け、昨夜の残りで朝飯をとる。

タカマタギへの取り付き地点に6時20分に着いた。

取り付き地点590メートル。タカマタギ山は1529メートル。標高差940メートル余。

笹と雪が混ざった尾根を足を取られながらも、関さんトップ、ゆっくりのペースで快適である。P3010008s

815分、最初のピークに立つ。その間1回の休憩時間を入れる。

最初のピーク前方に1410メートルの棒立山が立ちふさがる。

これから約400メートルを一気に上るのだ。まったく息を抜く箇所はない、急登だけである。

ピッケルを雪に刺してそれを支えに12歩と進みまた、ピッケルを刺し込む。

いくら登っても近づかない山頂との根比べである。

4人の足は揃い確実に、順調に進んで923分に棒立山に立つ。

5分余の休憩後の930分に棒立山頂を離れ、南西の方向にある最終のタカマタギに向かう。P3010011s

50メートルをくだって最後の200mの登りになる。切れ落ちた左の稜線から山頂が近づくにつれ冷たい風が吹き上がる。

見上げる空間の白い空、白い稜線、白い雪を踏んで登る3人の姿がモノトーンの映像のように見えた。山頂に1005分着。P3010018s

タカマタギの更なる前方に日白山(ニッパク)が稜線越しにつながっている。

念願のタカマタギに立ち、充実した気分に満ちた休憩の時間は、正田さん風表現になるとまさに“至福の一時”をもたらしてくれた。

取り付きに1時過ぎに到着。後は土樽駅までの歩きで今日の山行は終わり。

静かな雪山体験を通して得た各人それぞれの体験と充実感はまさに山に感謝、であった。

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2009年2月16日 (月)

高尾山、新?Y氏ルート

高尾山、新?Y氏ルート

今日は会を辞めたいと、というK君を誘って高尾山に行って来ました。
下山は酒の酔いでふらつく足、笑いっぱなしの山下り。

日時                    09年2月15日(日)快晴

メンバー            一年振り山行のK君、Y氏、高柳

9時に高尾山口の集合に5分遅れて駆け足で来て“遅れました”のK君、その後にやたら背の高いY氏は余裕の遅れである。

私は5分遅れなど気にしていない。それよりも遅れてきたK君の素直な態度が好印象・・・対照的なY氏とは違いフレッシュなのがいい。

Y氏がオールドということではない。でもオールドである。

稲荷山コースで高尾山を目指す。K君は高尾山に初めて、とのこと。

世界的に権威のある三ツ星ランクの高尾山に登らないとは!!心外であった。

よほど遠くに住んでいるかと聞いてみると小金井という、仕方ないか!小金井というと栃木ではないか?

否!国分寺の隣にある小金井という。大変貴重な、国宝的な人物であった。

ところが彼は34歳でマラソンやハーフの大会には参加していて、タイムも決して遅くはない、

脚力はあるのだ。若いから足の運びは軽く楽々と上りを越して行く。

今日の山頂タイムは910分発、山頂着10時半予定。

我々のペースは次々に後続に道を譲る、この精神が良い。

しかし譲る相手が我々と余り変わらない年代の人たちである。先頭のY氏にペースアップを要求する、ことをしない。

今日はゆっくり、ゆっくりのスローライフの山登り。

途中で休憩を取りたい声が聞こえるが、真ん中のK君のペースに合わせて先頭の声が聞こえない振りしてそのまま進む。

ゆっくりだが良い調子だ。我々を越した人が途中で越されてゆく。

山頂手前の180段の階段を同じペースで登るが、K君が階段途中でペースアップ。かなり痺れを切らしていたようだ。鞭をいれる。

いいぞ!

先に行ってもらってベンチの席を取ってもらう。

彼はこういうときに有用な人物だ。

日当たりのよいベンチに席を取って、3人で早速にビールの缶を開ける。

良い音である、喉越しが更に良い。

今日はビール、ウィスキー、焼酎(この用意は独りだけであった)。

飲むほどに話は弾む。

日本酒が山頂で!!買える喜び!!いくらでも飲める、

この飲める欲求を程よいところで制御する3人のすばらしさ。

それでも足元はやや、フラつき気味。

どのルートで降りようか、との思案の結果、沢ルートに決まる。

この高尾山の登り方を、高尾山初めてのK君に説明。

Y氏ルートということを縷々説明。

彼の理解はなかなかY氏ルートの意味がわからないらしい。

【説明】

稲荷山ルートで高尾山に登り、程よい酒の酔いと、ふらつく足元でも転ばずに沢ルートを下る天上の山登り、下りを達人、または匠で、の尊称ルート。

彼はこの理解に1時間余を要する。

疲れた!!ヤマに登るより理解させることの難しさ。

学校の先生の辛さがわかるというもの!

しかし、生徒であるK君はすばらしい素材の持ち主である。

足は強く、謙虚である、性格が良い!

それに比べてねえ、??

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2009年1月26日 (月)

初日の出山行あれこれ

初日の出山行あれこれ

関 哲夫

日 時 平成201231日~21年11

場 所 北八ケ岳 天狗岳

参加者 内田・桑原・関

コース 茅野・・・渋の湯・・・黒百合平()・・・天狗岳・・・黒百合平・・・渋の湯

・・・茅野

初日の出は山で迎えたいとの思いから、今回は比較的近間で積雪のある山と言う事で北八ヶ岳を選んだ。年末年始の週間天気予報では、太平洋側は良い日の出情報が、日本海側(長野方面も)は風雪との予報。まあ、天候が悪かったらテントの中で年始をしようと取り組む。今回高柳さんから雲取山日の出山行の誘いをいただいたが、出来れば雪の中で迎えたいと別パーティで取組むこととした。

31日の早朝立川駅に集合、途中乗継で茅野駅へ。八ヶ岳の登山口駅だが、登山者の数は予想よりはるかに少ない。バスも余裕で定刻に発つ。途中チェーンを装着する。林の中はかなりの積雪があるようだ。若干の遅れで渋の湯に到着。バス停前の駐車場は空きがかなりある、自家用登山組も少ない。バス組みは荷物の量からみてテント泊の登山者は少ないようだ。

登山口で計画書を提出し黒百合平まで約2時間30 分の行程を、天気も良く、寒さもさほどきつくなく時間もありのんびり雪景色を眺めながらゆっくり歩く事とする。積雪は4050センチくらいあるがルートは踏まれており、アイゼンをつけないで歩行は可能である。陽の当るところは暖かく、日陰に入ると少し冷え込、雪山の素晴らしさを感じる一時でもある。

途中休憩を入れながらのんびりと黒百合平のテント場到着。早速設営6張くらいしかなく年末始としては少ない。小屋もそんなに混雑している様子もない。以前の八ヶ岳周辺の正月山行はテントを張る場所の確保に苦労した程である。

時間があるので、設営近くの小ピークに登り眺望を楽しむが風が冷たい、北アルプス方面にはやや雲がかかっているが、南アルプス・八ヶ岳・秩父などの雪景色が美しい。

夕食は内田さん特製のナベを囲む、1年間の山行や思い出に残る山行の話に花が咲く年越しの宴である。お腹も満足したところでお開きとし、外に出で見るとなんと満天の星空である。冬の空は特に星の輝きが一段と美しい。寒いのでシュラフにもぐりこむ、冷え込みが厳しい静かな年越である。小屋では年末コンサートの催しがあるようで盛り上がっている。いつしか夢の中、ひと眠りして目を覚ますとちょうど年明けの時刻のようで小屋からはバンザイの声が聞こえた。その後かなり冷え込んできて夜中に寒から何度か目が覚めたが良く寝られた。

早朝周りのテントの声で起される。気温がマイナス22度との会話を耳にする。やはり寒いのか、確かにテントの中は全面凍っている。バーナーを焚くと一気に暖かくなる。新年を迎い雑煮で祝う。

日の出少し前に中山峠まであがる。雲ひとつ無い。東の空が少しずつ明るくなってくる。金峰山と甲武信の間からゆっくりと真っ赤な太陽が顔を出始める。日の出の光景はいつ見ても神秘的で感動と感激がある。今年一年また恵まれた天候のもと安全な登山活動を祈念する。なぜか寒さも忘れゆったりとした気分になれる。・

日常生活において感動や感激を身体で感ずることが年々少なくなってきている昨今、われわれは、登山を通して自然との対話をする中で幾つかの感動を得ることが出来ることは人生の宝とも言えるのかもしれない。

しばらく真っ赤に燃える太陽との会話を楽しんだ後テントに戻り、準備を整い天狗岳へ出発する。風が出できているようであるが、周りの景色を見ながら高度を稼ぐ、途中単独行者が目に付く、早出のパーティは下山にかかりすれ違う。少しの食料と防寒着でほとんど空身状態での登山のため約1時間で東天狗に、頂上には45名の登山者がいるだけで少ない。西天狗岳に行くパーティはいないようだ。

小休止後西天狗へ向かう。風は少しあるが、天気はほぼ快晴状態である。ルートは付いているが歩かれていない。途中の鞍部で一息いれ西天狗頂上へ、直下の登りは積雪が深く一汗かかせられる。誰もいない頂上は3人の貸切である。

いつ来ても賑わっている頂上に誰もいないことに何か不思議な感じがする。頂上からの北アルプスは少し雲がかかっているが八ヶ岳、南アルプス、中央アルプス、秩父方面等の眺望は抜群、のんびり過ごした後下る。

途中下降ルートで少しコースをはずしてしまったが、何とか一般ルートに戻りくだりはコースを変えて景色を楽しみながら本当にのんびりとした登山を楽しむ。天場に戻るとほとんどのテントは撤収されており、われわれもテントを撤収する。バスの時間までにはまだ余裕がありのんびり下ることとする。天気もいいし幾分荷も軽くなり途中で一息入れながら歩く、途中上がるパーティもいるが少ない。あっという間に渋の湯に着いてしまった。

バス予定の1時間前に着いてしまいタクシーでの相乗りも検討しつつ待つことにしたが、ちらほら下ってくる登山者はほとんど車利用者のようだ相乗りは難しい。やっとバスも到着乗客は少なく10名前後で余裕である。バスの揺れと暖房でうとうとしているうちに茅野駅に到着。正月山行での悩みは飲食店が開いてないことである。今年も同様で売れ残りの駅弁当を調達し電車へ乗り込む。途中小淵沢・甲府と乗り換え無事元旦の東京に無事到着。

今回は天候に恵まれたこと、かなり寒さは厳しかったが夜空のすばらしさと、きれいな初日の出が見られたことに感謝したい。テントの数も予想よりはるかに少なく、小屋への宿泊者も、そんなに多くはないとのこと。正月登山者が少なかったことに驚く。以前の正月山行のあの賑わいはどこへ、他の山地はどうだったのだろうか、気にかかる山行でした。また、天狗岳ということもあるのか、単独行の方が多く見受けられた、単独行を否定するものではありませんが、自然相手の登山、特に冬山では山のプロと言えども事故に遭遇します。

[反省]  ・冬山でルートをはずすと思わぬアルバイトを要求されるので慎重に行動すること。

・個人的には体調管理が不十分で、後の山行に迷惑をかけてしまったこと。

以上

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2009年1月13日 (火)

稲村岩尾根から鷹ノ巣山、石尾根、奥多摩駅に

稲村岩尾根から鷹ノ巣山、石尾根、奥多摩駅に

※奥多摩駅で16時4分の青梅行きの電車に、ほろ酔いの良い気分で乗っていると、いつものようにオッサン、おばさんのグループが缶ビールの栓を音立てて、ハイ(高)、明るい、周りの迷惑はあまり考えない?トーンで今日の山の反省会の話が始まった。

又かや!!まあ、マア、そういう調子や傾向は自分にもあるから仕方がない・・

しかしなんと!!

そのメンバーはわが師匠、唐牛さんが率いた軍団で、久方ぶりの再会で仕方なく?にぎやか軍団に参入するに至った山行が起承転結の“結論”部類になるのであろうか?

☆日時    09年1月12日(月)成人の日休日、晴れから曇り

☆メンバー  単独

☆山行    鷹ノ巣山(稲村尾根→鷹ノ巣山→六つ石山→奥多摩駅)

       登り9:15~11:55、下り12:25~15:35

東日原の停留所に着いたのは9時5分。降りた7人は皆、“鷹ノ巣山稲村岩尾根”。

停留所で今日の積雪状情報交換したり、荷の整理で出発は9時15分。

稲村岩コルへの途中であった若者に雪の状態を聞くと山頂の雪は30センチ、トレースがあるので問題なし!?との情報、であるがやはりこの尾根はキツイ。

早朝(午前4時半~1時間)トレーニングとして走りをしてから、スクワット、腿上げ、腹筋、腕立て伏せ(懸垂)を欠かさずやっていることで今日は少し自信があった。

前回のこの尾根は動くのがやっとでかなりの時間を要したが今回はまったく快調である。

雪は厳しい登りとしたがアイゼンは必要なし、と装着しなかった。

しかし雪で靴が滑ってそのエネルギー消費や体力消耗が大きいのに・・(面倒かな?)

山頂に届くに随分アルバイトを余儀なくされた。

山頂には12時着。すごい風が吹き上がってきていて休める状態ではなかった。

昼はラーメン+餅として用意したがとても火を炊く余裕はなかった。

山頂を外して退避しても寒さは厳しく(カメラがぜんぜん動かなかった)カロリーMと蜂蜜で軽く昼食としてそのまま石尾根を下る(12時25分)。

石尾根は更に雪が多く40センチはあり大きな、踏み抜きの穴が幾つもあった。

しかし、雪で覆われた山は本当に美しく清清しい。

足下で雪がキュツキュツと鳴く音を久しぶりに耳にする。

雪が緩衝効果となり膝への負担が少ないと思われてこの下りには有り難い。

石尾根は吹き溜まった雪が多く、トレースがないと倍の時間を要するであろう。

六ツ石山の辺で雪が降り出した・・・雪山らしい雰囲気===静寂、自分独りの足音、冷たい清澄な空気、単独の雪世界は今日の山歩きを良い気分にしてくれる。

しかし長い・・尾根だ。たっぷりと歩かされてやっと奥多摩駅に着いた。

着いての楽しみはザックに入れたウィスキー。

その前にビールを調達しようと駅前で探すが駅近くの店は閉まっていた。

今日は旗日であるが、人影が少なく駅前でも閑散としている、仕方なしか?

16時4分の電車に乗ることにして荷物の整理をしてホームに入っていた電車に早々に入る。酒の入った良い気分が今日の山行をゆったりと・・・※

高柳 幸夫

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2009年1月 2日 (金)

雲取山の”初日”です!!

雲取山の“初日”です!!

面白い山になろうと期待はそれなりにあった。

その期待にテントでの“おさけ”であることも確か!!

☆日時             08年12月31日~09年1月1日(水~木)

☆メンバー         正田、高柳、A氏

08年の最後の31日、AM8時過ぎに国分寺で合流、普段は混んで時間の読めない甲州街道、青梅街道は交通量が半分もない快適なひた走りとなった。

10時に鴨沢について20分後に気負いなく和気藹々と雲取山に向う。

富士が見えて、初日の出をしっかりと自分の好きな山で見れるなら・・・2名の参加者を得て日の出山行となった。

背中のザックはテント、食料、寝具、冬用衣料で何年ぶりの20キロを越える重さになっている。

実は・・・

この重いザックを担いで山を登るのを今回の“初日の出山行”のテーマにしていた。

これを単独でしないのはやはりテントを張った後の仲間との語らいだろう。

奥多摩小屋のテント地に15時に予定通り着いた。

設営後に西に沈む夕日を寒さに震えながら見てテント内に撤収する。

その後のテントは、正田さんの自家製の畑の野菜、小生が用意した肉、魚などを材料にした鍋で大いに飲み、食べ、話も弾みいっそう盛り上がる。

ふと、外はどのテントも真っ暗。19時半であるのに・・・

そこは良識のある3人、素直に周りの雰囲気を感じ取って8時にはシュラーフに潜り込む。

すばらしい天気は予報通りで、この夜も透明度のある夜空にタクサンノキラキラ星が・・

おやすみなさい・・・

翌朝、5時15分に起床。

寝ぼけ眼の薄ぼんやりの頭に誰かが“オメデトサーン“といっている。

その通り・・我々は山に、新年の日の出を見に来たのだ。

雲取山にいるのである!!

テント内を片付けて山頂に向う準備をする。

45分にテントを出てヘッデンが照らす暗い山の道に出る。

寒い、サムイ、   09年を迎えた早朝は零下9℃。

意外に雪はなく物足りないが、歩きにとっては嬉しいかぎりの雪である。

予定通り、6時45分に山頂に立つ。日の出3分前である。

山頂近くはテントと沢山の人で満杯・・・を予想したのだが意外、意外少ないのだ。

それでも初日の出を山で祈念したい山の好き人で正月らしい賑わいになっている。

若い人も多い、それ以上に我々オッサンも多いのはいつもトオリ。

6時49分、富士山を薄明るく輪郭を浮かばせながら、初めての陽光が雲を赤く染めてやがて大きな、まっすぐな燐光を見せて姿を現す・・・その感動!!

祈念する!!デジカメで撮る。

その後で3人でお神酒。

雲取山の山頂での日の出と、富士山が一段と裾を広げた姿を再確認しながらゆったりと時間を過ごす・・・ 山に登ったものだけが味わえる一瞬の幸せである。

新しい陽光は更に暖かくなり良き年、今日を、今年を感じさせるにピッタリである。

(今年は厳しい年になった非正規社員の多さの現実と、多少の矛盾が感じられた、のは残念である。その仲間にい