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登山届はもしもの時「あなたの身を守る」

1、遭難事故時、早急な救助活動が出来る。
登山ルート、メンバーなどの把握により、迅速な救助活動が出来、生存可能性を高めることができる。また、救助に要する時間の短縮やコストを抑えることが出来る。

2、二次遭難の防止や登山者の確認。
的確、スピーディな救助活動で同行者・救助者の二次遭難防止や救助費の負担軽減につなげることができる。また、大きな登山事故では登山者の安全確認を迅速に行うことが出来る。

3  登山中に事故があったら
警察は通報により場所、事故者氏名、負傷有無、リーダ、現場状況等など、詳細を聞きとる (持参の計画書等により対応することになる) 事故発生の確認により救助隊が出動する。 下山後、事情聴取される。ここで登山届けの有無が聞かれる。 もし、登山届けがなければ聴取に時間がかかる上に、お小言をいただくことは間違いないだろう。

4単独で、遭難したら
下山時間、日を過ぎても下山連絡が無い、在宅者が警察に連絡する事になる。 登山山域が分かれば、警察はまず登山道の入り口などにある届出ボックスを調べ、届けがあれば確実にその山に入っていることが分かり、迅速な救助活動が開始される。 登山届けがない場合、捜索依頼だけで、遭難したかどうか、警察は判断できない。依頼者等から日時、山域、コースや入山口等々など情報収集する、調査に時間を要し、救助活動開始が大幅に遅れる事になる。

5、遭難しなければ、登山届は不要なのか
登山事故がなければ、登山届は使われない(ただし近年データ集積などに活用が図られているようだ?) しかし、遭難届けがあり遭難者が発見できない場合、同じルートを歩いた登山届けがあれば、状況を聞くことができ、情報収集により捜索範囲を絞るなど捜索の手助けになる。                

<2014.11.5   関 >

山行計画書で確認しょう

山行計画書の作成は、安全な山登りの一歩、しっかりとした計画書で楽しい登山をしましょう。
                                                                      
1、 計画の山・山域を把握する。
ルート、コースタイム、危険個所、交通機関、更にルートにそった装備や食料となっているか、山行形態も含め適合した計画かの確認。 山は日々刻々変わる、日の出、日の入り、天候などを考慮した、行動時間の設定になっているか、特に下山の設定は適切か。

2、 参加メンバー全員がそれぞれの技術的、体力的に無理がないかのチェック。
日程、行程を把握するとともに、参加メンバーそれぞれの力量で安全に取組が 出来るか確認。

3、携行装備の漏れ点検  
計画書や装備表等を基に携行する個人装備・共同装備をチェックして、忘れ物を防ぐ。

4、 荒天・体調不良などでのエスケープルート確認
荒天時の対策、行動中のトラブル対策が忘れがちである。参加者で検討しておくことにより、もしもの時臨機応変の対応ができる。 併せて非常装備、非常食料の確認も行う。

5、 経験者からアドバイスを受ける事もできる。
経験者から山行形態に有った行動時間や装備、ルート上での情報や注意点など、アドバイスをしてもらう事も出来る。経験富な仲間から積極的に適切なアドバイスを受ける。

6、 山岳保険・新特別基金の条件である。
登山届の提出は山岳保険等の必須事項です。 登山届の提出が無ければ保険等補償はありません。

<2014.11.5 関>

明神岳主稜

明日はどっちだ

201496日(土)~8日(月) 


3
名=L山﨑(記)、竹下、高井。


6
日、晴れ、夕方から雨。武蔵小金井5:45=松本=上高地11:45No.7標識13:00~岳沢14:40


7
日、夜明けまで雨、曇りのち晴れ。岳沢5:50No.7標識6:40~Ⅴ峰10:15~Ⅳ峰11:45~Ⅲ峰12:20~Ⅱ峰12:40~懸垂2P終了13:30~明神岳主峰13:40~前穂高岳15:50~岳沢18:45


8
日、晴れ。岳沢5:50~上高地8:00=白骨温泉=松本。

 上高地の河童橋から北に向かって望む山は穂高と明神だが、それぞれの峰をしかと同定できる人は案外少ないのではないか。


  たとえば、奥穂のピークと南稜の頭の区別。岳沢の奥にバットレス状の壁があり、その上に三つの顕著な岩峰トリコニーが判ればその先の南稜の頭を奥穂高岳と思っても無理はない。実際の奥穂のピークはその左にあるが、河童橋からだと奥まった分控えめに見える。それよりもジャンダルムからコブ尾根の頭、畳岩尾根の頭が連なる山体の方がよっぽど立派なので、単純にこれぞ奥穂と勘違いする向きもあるだろう。


私自身、吊尾根の右端、明神からの山稜の向こうに前穂のピークを見出したのはわりと最近のことで、長い間見逃していた。さらに東へ展開する峰々が明神岳だと承知していても、詳細を尋ねられるとかなわない。明神は主峰であるⅠ峰から東南へⅤ峰まで、さらに最南峰とあり、がけ(岩)記号ばかりの地形図からそれらを読み取るのはむつかしい。


  そもそも明神岳へ登ったという人にとんとお目にかからないのはどうしたわけだろう。それこそ毎夏何十万もの人が見上げているはずの明神岳だが、どうして登ろうとする人がかくも極端に少ないのだろう。登山道がないからという言い訳はこの際認められない。


  いつしか上高地に行くたびに明神が気になって仕方がなくなっていた。気になりだすと登らずにいられない。そうして人を巻き込むわけだから、これはおそらく傍迷惑な性分に違いない。


  期日は万一のビバークでもさほど苦にならないであろう九月第一週、主稜線を行くのは七日とした。


  ヤマテン予報の北アルプス南部。アプローチの六日は「
夜になると本州付近の秋雨前線が活発化する影響で、雨が降りやすくなる」。肝腎の七日、「関東の東海上から四国付近へのびる秋雨前線は次第に南下していく。このため、朝には天気が回復に向かい、晴れ間が広がる」。七日午前六時の槍ヶ岳山頂は「くもりのち晴れ。気温:5度。風向:西。風速:9m/s」。何とか登れそうだ。前週に天候不良で中止した恋ノ岐川行の食糧をザックにそのまま詰め、いそいそと出かけた。

昼時の上高地は人出が途切れる。めずらしく閑散とした河童橋の真ん中で明神岳をじっくりと観察する。Ⅴ峰に連なる南西尾根がどの山襞になるのか議論するが特定に至らず、そもそも見えているいくつかのピークが何峰なのかも結局判らずじまいで、やはり行って確かめるほかない。


  明神岳南西尾根の取付きである七番標識までは梓川右岸の岳沢入口から三十分、天然クーラーの風穴の手前だ。記憶では岳沢小屋との中間点くらいに思っていたので、スタート地点の標高が一七五〇メートルほどとわかると少々残念、明日は岳沢をかなり下ることになる。


  岳沢小屋に入り、まずはジョッキをぶつけて恒例の入山祝い。

「明日は昼まで雨だよ。今日登ればよかったのに。今日は久々に天気が良かったからね」


  幕営申込書で行程を見た小屋番氏から声を掛けられた。私たちは一様に呆気にとられ言葉を失う。登ってきて早々、「明日は雨だよ」などとはあまり聞きたくない言葉ではあるまいか、よしんばそうだとしてもだ。たった今入山したばかりの客に向かって、変更不能の意味のない言葉を浴びせる無神経でデリカシーの欠ける人。しかも自信たっぷり断定的で、何で登ってきたの、今のうちに降りた方がいいよ、と言わんばかりだった。

「まったく、何て人だ」

「許せん!」

小屋を出たあと、高井さんがときどきプチッ、パチッと怒りを弾き出し、いつまでも消えない上等な線香花火を思わせた。ふだん「マー、マー、マァ。そういうこともある」が口癖で、「いやはや」と済ます温厚な人なのに。逆に私は、天気のことは明日の朝になって考えればよい、と心持ちを変えてみる。雨が降っていなければ登る、降っていれば下って白骨温泉にでも浸かりに行こう、単純な話ではないか、と。


  そうはいっても山小屋関係者のアドバイスや判断を軽々には扱えない。意識したくないと思うほどにのしかかり、どうしても気分は次第に暗く沈んでいく。せっかくの入山祝いが台無しになった。

「それにしても、許せん!」

 花火の赤い玉はいつまでも落下しない。


  岳沢のテントサイトは沢を越えた重太郎新道の右左に点在しているが、沢の手前、小屋のすぐ上に平坦な絶好のスペースを確保する。

「誰か予約しておいてくれたのかな」

テントのすぐ下の岩のテーブルで天気図を描いていると、沢向こうの住人がわが緑色のテントを見上げ羨望の眼差しで通り過ぎていく。それを、してやったりと優越の笑みでもって眺める。ほのかなソーラーランタンの灯りを点し、気分をあらためて宴を盛り立てる。


  飯の炊きあがりを報せる香りがしだした頃、突然雨が落ちてきた。すぐに雨脚が強まってくるので、急ぎテントに撤退する。

「降り出しが少し早すぎないか」

恨みがましく外を見やれば、雨はますます本降りの体をなし、エスパースマキシムのフライを叩いた。修理したばかりなのになぜか雨漏りがしはじめた。「夜、雨が降りやすく」がヤマテン予報だから、降雨じたいで動じるものではない。ただ「降りやすく」という表現のわりには雨脚が強いきらいはある。しかし問題はその先、ヤマテンが「朝には天気が回復に向かい」とするのに対して、小屋は「昼まで雨」。いったい、明日はどっちだ。明日の朝、すべては明日の朝だ、と念じる。


 激しい雨音は一晩中鳴り響き、眠りを妨げた。ヤマテンが勝つか、小屋が勝つのか。起床予定の午前三時、外の状況に変化はなく、様子見を宣言して不貞寝する。どこかで「昼まで雨だよ」と意地悪くささやく声がする。フン、小屋の勝ちか。四時出発の予定を変えてしまった敗北感でもう眠れない。


  高井さんが例によってガサゴソとモーニングコーヒーの準備を始めた。昼になって晴れるなら、それまでは合羽を着て雨のなかを我慢して登るか。まさかそこまでの執念があるわけがなく、痩せ尾根のⅤ峰の登りをそう甘くみてもいけない。コッヘルのなかで煮詰まる焼き鮭雑炊に分葱を勢いよく散らし、明るくなったら山を降りようと腹をくくる。

「ヤマテン予報とちゃうやんけ」

「濡れた岩でこけたりしたら馬鹿らしいし…」

高井さんがひとりごつ。

「じゃ、撤収ね」

「そうです」

「下るのよね」

「はい」

「じゃ、カレー用の肉は始末しないとね」

「すみません」

 私のとみこうみを見抜く竹下さんから再三念を押される。そのたびに取り返しのつかない重大な何かが失われていくようで、決心がぐらつく。


  五時、こころもち小降りになったかとあさぼらけの周囲を凝視する。止む気配は感じられない。一同、黙々と下山準備のパッキングを始めた。


 先にテントを出た高井さんは小屋へ情報収集に行った。外に出てみると、何と雨にさきほどまでの勢いがない。雲が切れ始めていた。岳沢の真上で薄く少しずつ剥がれ、明神の肩の上空へ消えていく。その先で、かくれんぼの終わりを確かめるかのような青空が、ちらちら見え始めていた。時間はまだ六時前。ヤマテンが土俵際で小屋をうっちゃった。

「おっ、こりゃ止むな。行こう、登ろうぜ。行けるぞ」

「えっ、登るの。もう荷物ができちゃったというのに」

 竹下さんがぼやいているところに高井さんが戻ってきた。

「このあと西に雨雲はもうない、と小屋で言っている人がいる。雨雲レーダーを見たようだ」


 大急ぎでザックの中身を減らし、ハーネスを着け、気分を登攀モードに切り替える。二時間遅れの出発だ。それでも岳沢がベースなら日没までには戻れるだろう、ヘッドランプの灯りでも十分降りられるさ、今夜あたりはスーパームーンのはずだ。南西尾根取付きまで速足で下りながら問答する。

南西尾根は末端で広がりがあるが、登るにつれどんどん痩せていく。積雪期のルート工作の名残りなのだろうか、フィックスロープが連続し、部分的にはロープに頼りたくなる厳しい個所も出てくる。森林帯なので高度感はほとんどない。とはいっても尾根は刃のようで、下の様子が判らないくらいに谷は深い。


 雨は上がっていた。しかし青空が見えたと思ったら、霧が立ち込めて白一色に包まれたりと、天気はまさに猫の目だ。今朝までの雨露をたっぷりと抱えた笹やハイマツがしなだれかかり、ズボンや肩口から袖のあたりをぐっしょりさせる。突然上高地が見渡せた。あのまま下っていれば、今頃は河童橋あたりからこちらを見上げてため息をついているのだろう、とぎりぎりの決断を喜んだ。


 残置のロープが途切れると岩稜帯が終わって狭いコルに降り立つ。取付きから二時間が経っていた。休憩を入れたいところだが、ハイマツの急登の先の岳樺の梢に陽が差していて見るからに温かそうだ。

「あのあたりまで登って一本立てよう」


 木立を透かして青空が見え、稜線が近い。左手の谷向こうで聳えるのがおそらくⅤ峰だ。


 尾根の端を回りこむと徳本峠方面の展望が視界に飛び込んできた。稜線に出るとハイマツはもうズボンの裾を濡らす程度で、ほとんど砂礫を這っている。梓川沿いの明神の宿が真下に見える。道形は薄い。最後の登りを前に、真正面にⅤ峰を望む平の窪地に二張分のスペースが見えた。再び霧が深くなる。Ⅴ峰へはこのあたりから左手へ巻くようにして尾根に乗るのがルートらしいと後に分ったが、私たちは僅かな踏み跡を辿って岩を次々越え、Ⅴ峰ピークに向かって直登していく。


 山頂で一休みののち、西へ少し降りてⅣ峰への道を探っていると、左手にきれいな道が目に入る。相変わらず霧が視界を遮断していてⅣ峰は見えない。方向に少し違和を覚えたが、その道のあまりの立派さに引きずられて一気に下った。そのうち右へトラバースするものと注意しながら行く。しかし右側の谷は深くなるばかりで目指すⅣ峰の方向とも明らかに違う。やがてさきほど目にしたⅤ峰直下の二張り分のテントスペースが霧の中に見えた。

すぐに踵を返した。途中、真横にリッジまでハイマツ漕ぎをしてみたが、その向こう側も背丈ほどのハイマツの海で道らしきものの気配すら見いだせない。Ⅳ峰への道が分らないので引き返して降りたというネットで見た記述が思い浮かぶ。同じ轍を踏んでしまったのか。Ⅳ峰へのルートが見いだせず敗退、というみじめな光景が頭の中でぐるぐる回り始めた。とにかくリッジを直登してもう一度Ⅴ峰直下へ出てみようと脆い岩場を登って行く。

「撤退しましょう。今から先に進んでも時間的に厳しいでしょう」

先に登り返していた高井さんが眉間に皺をためて強い調子で叫ぶ。

「このまま戻るわけにはいかない」

「あの痩せ尾根を下るのはいやらしいけど、進むより時間が読める分、いいでしょう」

「……」

「少しだけ偵察しておきますか」

「うむ」


 とんでもない、撤退など考えたくもない。敗退すればまた来なければならない。この次、いったいいつ来られるというのか。だいたいこの山行は始めからヒバーク含みで計画されているはずではなかったか。


 高井さんが立つ足元から、何ということはない、Ⅴ峰直下の岩壁の裾に沿って左方向に踏み跡らしきものが続いていた。下って行くと皮肉にもⅣ峰の影が霧に浮かぶ。ロスタイムはおよそ五十分、まだまだ時間はあるし、行くしかない。


 このとき、不意に右足のバランスを崩しかけて肝を冷やす。五・四のコルへの下降は急で、右側は上宮川谷へⅤ峰東壁が切れ落ちている。少しザレていて滑りやすく、岩角への靴の引っかけも怖い。登り返していきなりの下降なのでギアチェンジの間がなく、油の切れて久しい膝のバネが動かない。慎重に慎重を重ね、ほどなくコルに立って大きく息をつく。


 たった今生きているという事実が、奇跡のように思えるときがある。戦争があったわけではない。天変地異や火事に遭ったわけでもないのだが、今までに何度も死ぬ際で踏みとどまってきた。いや、今までに幾度か死んできた。それでもまた山に行く。因果な病に取り憑かれたものだ。

Ⅳ峰へは三十分の登り、さらに稜線に沿ってⅢ峰にも難なくたどり着く。この頃になると霧が晴れ、行く手の展望が開けてきた。ピークがくびれたⅡ峰、その向こうに明神主峰と前穂。さらに奥穂から西穂の稜線。東には常念山脈、足下に徳沢、新村橋が見えた。澄んだ空気、やわらかく降り注ぐ陽、おだやかに吹き抜ける風、山はもうすっかり秋のものだった。


 Ⅲ峰からは主稜線を外れ、岳沢側のハイマツ帯をトラバース気味に下って、ねじれ尖ったⅡ峰ピークを目指し登り返す。このあたりは道形がしっかりしていて比較的歩きやすい。天気が完全に回復して展望が効くようになったせいもあり、やっと明神主稜を登りきる目途が立ったという安堵感に包まれる。


 主稜核心のⅡ峰からの懸垂下降は、持参のロープが五〇メートル一本なので、二十五メートルと十五メートルの二ピッチ。高井さんが黙々とロープをセットするので先発するのかと思いきや、さあどうぞ、と譲られて拍子抜けする。ほとんど鉛直に下りてテラスで継続をセット、二ピッチ目もちょうど稜の縁のガレに下り立つことができ、部分的に宙をぶら下がるものの無難な懸垂だった。しかし竹下さんの顔にそれなりの緊張の色が見て取れ、降りてきた高井さんもまた息が荒かった。やはりゲレンデでの懸垂下降とは違うということか。


 二・一のコルから主峰まではわずかの登り。あとは前穂への登りを残すだけとなり、話題は岳沢着の時間の予測となった。奥明神沢を下降に使えれば、もっと早く着けるのではないか。良い考えだが雪渓があったらどうする、との意見が出てやはり前穂経由で行くことになる。


 主峰から岳沢側をクライムダウンしていくと、方々に懸垂下降に使った残置支点が目につく。一説によると、最近のクライマーはルートファインディングの力がないのですぐ懸垂をしたがるのだとか。ついひと月前、劒岳八ツ峰六峰Cフェースの頭から懸垂で三ノ窓雪渓側に誤って降りかけてしまった身にすれば、少々耳の痛い話だ。


 踏み跡を拾いながら行く。稜線通しに行くとけっこうな連続した岩登りとなり、かといって下から巻いて行くとガラガラと浮石ばかり、傾斜があると足元をすくわれる。結局前穂まで二時間ほどかかってしまい、黄昏の山頂にさすが人影はなかった。白出のコルが目の前にあり、穂高岳山荘が信じられないほど近い。


 紀美子平へ下る道標のある前穂の肩で、高井さんが持って来たはずのヘッドランプをどこかで失くしてしまったという。暗くなって足手まといになっては申し訳ないからと彼は一足先に駆け下る。西穂の稜線に腰掛けた陽がひときわ強烈な光を放ちまぶしい。日暮れてもいい、と竹下さんとゆっくり降りていく。


 重太郎新道を
ハイマツの尾根から雷鳥広場まで来ると岳沢のパノラマが広がる。わがテントを見下ろすようになってしばらく、緑色のフライのちょうど出入口あたりが、吹き流しを開けたのか黒っぽくなっていた。


 「高井さん、もう着いたみたい」

目ざとく気づいた竹下さんの指摘にもかかわらず、まだ時間が五時過ぎなので半信半疑。あとで聞くと、前穂を出たのが一五時五三分、岳沢に着いたのは一七時一五分だったという。所要時間は前穂から紀美子平までが十五分、そして岳沢までが六十分。それぞれ通常かかる時間の半分で、かつては「下りの○○」との異名をとったという竹下さんとともに、これはもう天狗の所業だと感嘆する。


 私たちはほぼ標準の時間で下りていき、最後の岩場を過ぎ
ダケカンバ林の九十九折れが始まるあたりからヘッドランプの世話になった。このとき小屋のテラスでは、ときどき光る明りに気付いた登山客が、こんな時間にまだ降りてくる人がいると騒ぎたてたらしい。


 深夜、テントの中が真昼のように明るくて目が覚めてしまう。外へ出た途端、月のあまりの大きさと明るさにたじろぐ。西穂の空から明神へ少しく厚い雲が流れているのだが、化け物のようなスーパームーンはそんな雲の存在を歯牙にもかけず、岳沢の隅々までも覗き込み、濃い月影をあたり一面にこぼしていた。

翌朝、色づき始めた岳沢を足取り軽く下り、さて見上げる明神は如何、と河童橋上に陣取る。


 取り付いた明神岳南西尾根は岳沢に落ちる最下端の山襞と判明し、そこから上りつくピークがⅤ峰。その左にⅣ峰、Ⅲ峰と続き、Ⅲ峰から派生する二五七六メートル峰の稜越しに、頭をひねって尖るピークがⅡ峰だ。結局明神主峰は河童橋からは見えなかった。登ってみれば、懸案もこうして難なく解決してしまう。ちなみに明神主稜のもっともすぐれた展望台は岳沢小屋のテラスだった。


 さてやることがなくなり、昨日行きかけた白骨温泉にもこの際行って見ようと一決した。


 白骨の公衆露天風呂は五百段ほど谷へ降りなければならない。案内所に声をかけると心安く荷物を置かせてくれた。白骨には、ある旅館が入浴剤で色を付けていたという騒ぎのときに来たことがあった。超人気の白骨の宿でも、あの時だけは正月の予約が一二月になっても取れた。そのときお世話になった「ゑびすや」さんは、案内所の話では白骨で一番の老舗だがいまは後発の大手旅館の傘下にある。白骨の人気はその後昔どおりに盛り返して客には困らず、どの旅館も儲かっているのだがいかんせん後継者不足の悩みをかかえている。後継ぎがいないためにすでに二館が閉めてしまったそうだ。

「旅館の経営は客商売だから、誰にでもできるわけではなく、大変なのよ」

風呂上りの竹下さんがビール片手に妙に物わかりよく嘆息してみせた。

南ア/荒川岳・赤石岳・聖岳 縦走

        竹下 淳子 

2014727()夜行~31()    

メンバー:内田(L)、竹下 

7/277/28(晴れ)

竹橋から出る「アルペン毎日」夜行バスは、4列座席で途中2回の休憩があってほとんど眠れずに予定時間の1時間早く、畑薙第一ダム臨時駐車場に到着。駐車場はすでに入山している人たちの車もあって満杯状態。東海フォレストの送迎バス停に荷物を並べて順番待ち完了。何もない臨時駐車場で登山者も多く並び始めた頃に、臨時便の受付が始まった。宿泊形式(千枚小屋・夕食)を告げて小屋代前金の3,000円を払って乗車する。29人乗りのマイクロバスに、受付を通らず駐車場から来て直接バスに乗った登山者がいて、人数が合わなくなり降ろされる場面があった。私たちも東海フォレストと井川観光のシステムがよく分からなかったが、下山時には偶然的に山小屋で情報を得て下山口から井川観光の無料送迎バスに乗車出来て、アルペン毎日バスが途中で立ち寄る日帰り入浴温泉まで先行して行くことが出来た。

 

長丁場の山行1日目は、寝不足ぎみで椹島を1時間以上早く出発することができた。

寝不足は、かなり歩調にひびく。1時間歩いて5分休むテンポが30分で5分休みになり、休んで座るとフーッと眠ってしまうほどだ。樹林帯なので直射日光が遮られることは救いだ。雲が出始めてきた1525分、千枚小屋に到着した。20096月に全焼して20127月から新しく綺麗になった千枚小屋。私たちは「月光荘」という離れの小屋に割り当てられた。ゆったりした寝場所を確保して、少し眠るという内田さんを残して、真正面に富士山が見える小屋前のベンチで1人お疲れ乾杯をする。雲で隠れていた富士山も夕焼けの頃には雲の中から頭を出している。明日の好天が期待できる。

1

7/29(晴れ)

 今日の行程は百間洞山ノ家までなのですごく長い。昨日ベンチで札幌から来たご夫婦との会話で明日の行程は百間洞までと言うと、私たちの二日分です~と言われた。3時起床。前日沸かしておいたお湯で赤飯を作り、身支度して340分出発。ヘッドランプを点けてゆっくり歩く。私たちの前後に小屋を出た登山者が行く。1時間足らずで千枚岳に到着。ゆっくりと夜が明けて雲が赤く染まり富士山がシルエットで雲に浮かんでいる。白峰南嶺でいつも眺めていた双耳峰の笊ヶ岳も近く感じる距離に見える。山頂の誰もが明けゆく景色に見入っていた。

4

5

少し風が冷たい稜線を荒川東岳目指して歩く。別名・悪沢岳は今回の最高峰3141m620分着。前方にどっしりした赤石岳がそびえている。頂上の手前に雪渓を残しているその姿は赤石岳とすぐ分かる。谷を挟んではるか遠くに感じる。中岳避難小屋で735分。すぐ目の前ひと登りで中岳だが、空腹を感じて食事休憩に時間を取った。管理人の男性が干し物や片づけに忙しそうだ。お赤飯は思ったほど喉を通らない。それでもスープで流し込む。次々に登山者が来て隣のベンチで休む人、トイレ休憩の人などいるが北アルプスに比べて登山者は圧倒的に少なく、ゆったりしているのを感じる。
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                 

中岳頂上は写真を撮って通過。前岳への分岐を右に見て下って行くと前方に鹿避け防護柵が左右に大きく広がっている。この辺りから高山植物が出てきて、シナノキンバイの鮮やかな黄色が目を引く。ずっと前を行く登山者が柵にある扉を開けて入っていくのが見えた。私たちもジグザグの登山道を下って扉を入ると右側斜面に高山植物のお花畑が広がっていた。斜面の上部は青空をバックに荒川岳があり、足元にはシナノキンバイ、キンポウゲ、ハクサンチドリ、クロユリ、フウロ、シオガマ、ハクサンイチゲ、私の好きなイワツメクサなど沢山の花々が咲き誇っている。鹿から保護すればこんなに見事なお花畑になるのだと強く思った。ゆっくりと柵の中を歩いて扉から出るとはるか前方下に赤い屋根の荒川小屋がみえる。その先に小赤石岳が大きく見える。トラバースで荒川小屋に着くと小屋は静かだ。ここの水場で水の補給をする。水場はきれいで美味しい水だ。

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千枚小屋から荒川小屋までを1日の行程にする人もいるが、私たちは百間洞までなので約半分来たことになる。赤石小屋に下山する人もいて、それぞれの予定で歩くことになる。道中まだ先は長い。気合を入れ直して赤石岳に向かう。“小赤石岳まで行けば今日の目途が着くね”と話しながら、何となく不安な気持ちの二人だった。「赤石岳避難小屋は食事はないよね。でも行動食も持っているから問題ないよ。」と話しながら、だだっ広い大聖寺平を通過して小赤石岳へと向かう。1140分小赤石岳に到着。コースタイムと比べても悪くはない。頂上にかかる稜線の脇に雪渓を残した赤石岳が望める。一旦下って登り返す大きな山容を見せている。赤石小屋へ下る分岐には赤石岳をピストンする登山者のザックが置かれていて、パーティメンバーが赤石岳から戻るのを待っている2人は、椹島からず~っと前後して一緒だった4人パーティだ。赤石岳の大きな斜面をゆっくり登る。空身で降りてきた4人パーティの2人の女性と挨拶を交わして赤石岳山頂に1225分到着。直ぐ下に赤石岳避難小屋が見える。小屋の前のベンチで数人が休んでいる。ホッとした気持ちで長めの休憩をとる。聖平からという女性が大きなザックを背負って登ってきた。単独で30代という女性は若さが眩しい。いま登ってきた“岩石の大斜面”はきつかったですと言った。山頂の登山者は私たち含めて45人と少ないが赤石岳から先へ行く登山者は殆ど居なくなる。私たちも気合いを入れて、お互い頑張りましょうと単独女性とエールを交わして出発する。

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大岩がゴロゴロしている岩石の大斜面は、確かに登りは大変なところだ。地図にある馬ノ背は分らないまま通過して、百間平の標識に(百間洞山ノ家まで40分)をあるのを見て、俄然元気が出てきた。だだっ広く誰もいない百間平は少し雲が出てきて静かだ。黙々と歩いて、もう山小屋が見えても良いのにと思いながら沢まで降りるとテント場に着いた。沢を渡った先のベンチ広場の奥に百間洞山ノ家があった。1510分到着。行動時間11時間30分、良く歩いた。受付を済ませて2階の、一画が5人分のシュラフ形布団が並んでいるところを4人で使用してすごくゆったりしていた。寝場所を確保して、コンロなどを持ってベンチでお疲れ乾杯、お茶していると、聖平方面から次々に登山者が到着する。赤石岳方面からの人もいて、山の中では会わなかったが小屋では集結するものなのだと思う。

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隣のベンチでくつろぐ4人組の男性。そばにロープ、ハーネスが干してあるように広げてあったのを見て、「沢ですか?」「クライミング?バリエーションは何処へ?」などと矢継ぎ早に質問するも、「いいえ、常時携行しています」等の答え。1人のベテランと3人の若者から察するに「学生時代の山岳部顧問と部員OB」と勝手に解釈するが、翌日の聖平小屋で長野県警・山岳救助隊と判明した。

7/30(晴れ)

 昨日に比べると気分的にはゆとりが持てるが、345分に出発した。小屋の裏から沢沿いに樹林帯を行く。沢を渡って単独の男性に道を譲ってゆっくり歩く。大沢岳・中盛丸山のコルには1時間余りで着いた。今日は、内田さんの今回の山行目標・聖岳は、はるか遠くに見える。小兎岳、兎岳のピークを踏むごとに、どっしりとした聖岳が迫ってくる。兎岳を過ぎて右手下に、古く荒廃した兎岳避難小屋を見る。兎岳から2時間余り940分聖岳に着いた。振り返ると歩いてきた山並みがぐるりと見渡せる。赤石岳はひと際大きい。富士山も雲から上半身を出している。荷物をデポして奥聖岳に向かう。昨日の百間洞山ノ家で一緒だった女性も同行する。彼女は北岳から塩見岳、荒川岳、赤石岳、聖岳そしてこの先、茶臼岳、光岳まで行くという。坦々と峰から峰を歩く彼女を眩しく逞しく感じる。山頂に戻って、現実に戻り、忘れてはならない帰途のバスの予約を入れると携帯もつながり、守備よく明日の「アルペン毎日」新宿行きの予約を完了。

24

気持ち良く晴れた聖岳山頂でのんびりと過ごして、二日間歩き通した山並みを眼に焼き付けて下山にかかる。下降の斜面は、地図上でも「聖岳大崩壊地」の記載がある砂礫の大斜面を、足を取られて歩きづらい中、慎重に下る。この斜面を登ってきた単独の若い男性は、便ヶ島から聖岳をピストンするとのこと。続いて男女二人組は軽装でトレランの様子。短い会話の内容では聖平小屋のスタッフで、休憩時間を使ってちょっとそこまで・・・の様子。後方から追い抜いて行った単独の女性は、まさにトレランで「今日は茶臼岳まで行きます!」とのこと。おばさんは唯々驚いて感心してしまう。

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小聖岳では百間洞山ノ家で会った「学生時代の山岳部顧問と部員OB」一行が“一本!”の掛け声で休憩するのと入れ違いに私たちは下山開始。そしてほんの間もなく、揃った足音が迫ってきたので道を譲ると、“いえ、ゆっくりどうぞ”と言ってくれるがそうはいかない。“では…”と言い残して矢のようにすっ飛んで行った。易老度への分岐を過ぎると視界が開けて聖平に着いた。立ち枯れて白骨化したシラビソの中、小屋までつづく木道を行くと1325分、聖平小屋に着いた。内田さんが受付をしている間もなく、スタッフのおじさんが“お疲れさま、まずは食べなさい”と勧めてくれたのはフルーツポンチ。入り口脇の台に置かれた鍋にみかん缶、桃缶、寒天などが良く冷えている。備え付けの紙コップに注いで、早速外ベンチでいただく。喉越しが良くてホッとする。これが聖平小屋の名物だとのこと。でもビールに勝るものは無い!とばかりに、そのままお疲れ乾杯へと続いた。外ベンチの隣に奥聖岳で会ったご夫婦が合流して、その奥のベンチでくつろぐ例の一行を、“長野県警・山岳救助隊の方がパトロールしているのですね”と言うのを聞いて、えっ!?となった。ご夫婦が砂礫の大斜面を下りている時に、後方から奥さんの歩き方を見て「怪我されましたか?」と聞かれたとのこと。県警救助隊は千枚岳で滑落事故に出動後、パトロールしていたものだった。私たちはとんだ勘違いだったことで笑えたし、勿論奥さんに怪我は無く“いつもこんなものですよ”と答えましたと笑っておられた。

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何気なく見た小屋の掲示板で、井川観光が運行している送迎無料バスで登山口から畑薙第一ダムまで利用できることを知った。東海フォレストの対象外宿泊施設(聖平小屋が該当する)利用登山者の便宜を図っていた。予約制だが平日のせいもあり余裕で申し込めた。早めに到着して小屋泊まりだと、実に時間の余裕がある。北岳から光岳の女性とも交流できた。今日入山した人は、明日聖岳をピストンして茶臼岳まで、翌日光岳への行程が圧倒的に多い。

7/31(晴れ)

椹島まで1時間の林道歩きが無くなり、聖沢登山口に13時までに下山すれば良い今日の行程は、ゆったりのんびりなので、7時頃出れば良いと思っていたが、間が持てなくて620分に出発した。前を行く男性3人組も同様らしく休憩ごとに景色を楽しんで長めの休憩をしている。登山口に12時前に下山して、長い縦走は終わった。13時の送迎バスに乗って、畑薙第一ダムではアルペン毎日バスの運転手との情報引継ぎも良くて、帰りに立ち寄る赤石温泉・白樺荘まで先行して送ってもらって、ゆっくりと汗を流して、後で到着したアルペン毎日バスに乗り換えて、新宿駅に20時到着。

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お天気に恵まれて煩雑な交通機関・登山のシステムもすべてに上手くいったと思う。旅の手配、長い行程を共に歩いてくれた良きパートナー内田さんには感謝です。

<コースタイム> 

7/277/28(晴れ) 

竹橋(毎日新聞社西口玄関ロビー)22:40発=畑薙第一ダム臨時駐車場5:306:30)/6:458:00)=椹島7:509:00

椹島8:15 - 小休止9:059:10 - 鉄塔(1400m)9:30 - 小休止10:1010:15 - 小石下(1586m)10:25 - 小休止11:0011:10 - 清水平(水場)11:3511:55 - 蕨段(ワラビダン) - 見晴台12:5513:05 - 小休止13:3513:40(この辺りから30分で小休止とする) - 小休止14:0514:10 - 駒鳥池14:3014:35 - 小屋直前の植物保護柵15:0515:10 - 千枚小屋15:25(泊)

7/29(晴れ)

千枚小屋3:40 - 千枚岳4:304:50 - 小休止5:556:00 - 東岳(悪沢岳)6:206:30 - 中岳非難小屋7:358:00 - 中岳 - お花畑 - 荒川小屋(水補給)9:109:40 - 大聖寺平10:10 - 小休止10:4010:45 - 小赤石岳11:4011:50 - 赤石岳12:2512:45 - 赤石岳非難小屋 - 小休止13:5014:00 - 百間平(百間洞山ノ家まで40分の標識)14:2014:25 - 百間洞山ノ家15:10(泊)

7/30(晴れ)

百間洞山ノ家3:45 - 見晴台4:304:35 - 大沢岳・中盛丸山コル4:555:00 - 中盛丸山5:155:35 - 小兎岳(2738m)6:156:20 - 兎岳7:057:20 - 小休止8:358:40 - 聖岳9:40 - 奥聖岳 - 聖岳(アルペン毎日連絡)11:00 - 小聖岳11:5512:10 - 便ケ島・易老度分岐12:5513:05 - 聖平小屋13:25(泊)

7/31(晴れ)

聖平小屋6:20 - 岩場7:057:20 - 岩頭展望台7:407:50 - 小休止8:358:45 - 聖沢吊橋10:0010:10 - 水場(出会所小屋荒廃)10:5511:25 - 聖沢登山口11:55

井川観光送迎バス13:02=畑薙第一ダム臨時駐車場=赤石温泉・白樺荘(入浴)/アルペン毎日号15:15=新宿西口20:00

<費用>

アルペン毎日:往路9,600+復路8,300、千枚小屋(1泊夕食)8,100、百間洞山ノ家(1泊夕食)8,000、聖平小屋(12)8,500、入浴代510

剱岳と裏剱・仙人池と黒部渓谷の山旅

 


室堂~剱岳~池の平山~仙人池~阿曽原温泉~欅平~宇奈月温泉

20148/11(月)~17(日)  参加者  桑原 大熊 蝦名 井上

20代の時、山の会の先輩達から一度訪れるといいと言われてましたが、誰も同行者が無く諦めていました。一度同じコースを6年前に行ったことのある熊さんが計画に賛同してくれて、そして桑原さんと蝦名さんも参加する事になりました。毎年お盆休みは長期の休みでしか行かれない山の計画でやっと実現です。何とロングコースで出発まで天気の事があり、今回は早月尾根からは諦め無難な室堂からの出発になりましたが正解でした。今回は夕食だけ小屋食で、後は個人で用意しましたので幾らか安く済みました。

8/11(月)

東京から夜行バスですが、集合場所にはお盆休みなので出掛ける人が大勢。バスに乗り一路富山へ向かうが登山者は我々だけの様子。

東京発 2300

8/12(火)

富山までは夜行バスで早朝に着き、蝦名さんがバスで室堂までの直行便を申し込んで下さっていたので大分時間を短縮できました。バスは一度駐車場でトイレタイム後、運転者さんの道案内があり高度を上げる。

標高2420mの室堂に近づくに連れ、雨が降り出しバスを下車してから雨具を着たり昼食を取り、一路今日の宿泊先の剱澤小屋に向かう。歩き出して雷鳥沢に着くまでには雨が上がり、回りの景色を眺めながら歩く。35年振りの室堂です。剱は5月と8月に5回程登った事だけですのでドキドキ、先頭は足の速い桑原さん、次に熊さん、蝦名さん、写真班の私。

段々天気が回復し雨具を脱いだりし、休憩してのんびり花や景色の写真を撮りながら雪渓を横切り、急峻な登りで剱御前小屋に着いた。前方には明日登る迫力ある剱岳と剣山荘と剱澤小屋が見えて来た。

少し休憩してお花畑の中一路下り標高2520mの剱澤小屋に14時に着きました。小屋はお盆休みの割りには空いてました。夕食前に少しお酒を飲み、明日の支度をしてゆっくり過ごしました。

夕食は揚げたてのカツが出て大満足。3人はきちんと食べたが熊さんはご飯とみそ汁だけで済ませ、カツは明日の行動食にと袋詰め。外の様子を見に出たら唐松小屋の灯りがはっきり見えました。明日もいい天気でありますよう・・・

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富山着 550 / 630・・・室堂着 900 / 940 ・・・剱御前小屋着1330 / 1350・・・剱澤小屋着1400                    

8/13()

昨夜の天気予報では今日は快晴、満月が出迎えてくれましたが今日一日天気が持ってくれる事を祈る。4人共、ヘルメット、簡易ハーネスを身に付けてサブザックに水や食料を入れ出発。歩く順番は変わらず小屋から雪渓を横切り剣山荘へ。

お花畑と池を過ぎ山荘に着いたら、結構これから剱に行く人々で賑わってる。少し休憩して出発するが、鎖が出できた辺りから人が多く足取りの速い人に先に行ってもらい標高2618mの一服剱に着いた。写真班の私は益々忙しい。回りの景色を堪能して少し下り、ステンテスの板を渡り岩場に取り付く。

こらから登りと下りのコースが分かれてるので気を付けたい。段々急俊になり足場が悪くなりやっと標高2813mの前剱(ぜんけん)に着く。あ・・・・左側の稜線に今度はトライして見たい早月小屋が見えて来た。

まだまだ先がある。いよいよカニのたてばいだが順番待ちで取りつき頂上には9時着、ヤッター・・・360度の展望  感激  感激。

薄っすら富士山、昨年登ったキレット、白馬、五竜、鹿島槍、薬師岳、毛勝山、白山、富山湾 、皆であの山はあれだ、これだと話が飛び交う。

20分程休憩してカニのよこばいへ下る。人が繋がり気を付けながらクリアして、長いステンレスの梯子を下り平蔵のコルに着く。昔はもっと綺麗だったがなあ~・・・登山者が増えたから仕方ない。下りは慎重に足場に気を付け前剱、一服剱、剣山荘、剱澤小屋へ1320分に無事戻りました。

荷物を片付け昼食を取り、日本三大雪渓の剱沢を軽アイゼンを付け、平蔵谷と長次郎谷を見ながら真砂沢ロッヂにとドンドン下る。小屋に16時に着きました。長次郎谷は、以前小窓の王岸壁の登攀中仲間が滑落し、夜中に長次郎谷をタンカーや担いで負傷者を室堂まで運び、まずジープで美女平まで行き、今度は救急車で富山の病院に搬送した事が思いだされます。負傷者は頭がパックリ、左眉毛際の骨が陥没、右足腿骨折でしたがその後は社会復帰しました。

小屋で夕食前にお風呂と言っても浴びるだですが女性だけ・・・さっぱりしました。小屋はこじんまりとして荷物は部屋には入れず乾燥室に置くので何かと不便。夕食はカレーとトン汁とゼリーで美味しいのでお替りしました。就寝して夜半に通り雨で目が覚めた。心配です。

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剱澤小屋発 515・・・剣山荘・・・前剣・・・剱岳着 900/ 920・・・前剣・・・

剣山荘・・・剱澤小屋着 1320/ 1400・・・真砂沢ロッヂ着 1600

8/14()

朝小屋の御主人が夕べ23時に長次郎雪渓のクレパスに女性が落ち救助要請あり、今日7時にヘリが来るとか。昨日剱沢から長次郎谷に行くメンバーがいたからなあ・・・心配、我々も気を付けなければ・・・山崎さんが大分道は崩壊してると思うと言ってましたがその通りでした。

今日も天気予報通り1日大丈夫だが、昨夜の雨で足元濡れるので全員雨具を身に付け540分に出発したが、天気が良くなり途中で脱ぎました。

二股に着くまでは雪渓を4度横切るり、軽アイゼンを付けたり外したりしてお花畑の道をゆっくり、崩壊している所は慎重にどんどん下る。天候により高巻をする時もある様でロープと鎖が左側の斜面に見える。二股に着く頃救助のヘリが飛んで行きました。無事であればと思いました。

ステンレスの立派な橋を1人づつ渡り休憩してから仙人峠に向かう。結構高度を稼ぎベンチでは池の平山や小窓方面の景色を堪能して、やっと右側に仙人池ユッテが見えて来てうれしい。先程ベンチまで見えた三の窓雪渓に一人の登山者がいたが何処まで行くのか?かなりの急斜面。もうどこに居るか分からなくなった。足場の悪い登りを進むと白馬や五竜や鹿島槍も見えてきた。峠までに1か所水が飲め喉を潤す。

仙人峠に着きサブザックでまず池の平小屋に向かうが足場が結構悪く時間が掛る。小屋は見えるがなかなか着かなかった。道の真ん中に熊の立派なウンチがあり熊さんが出没しない事を祈る。40分程掛りやっと小屋に着き、トイレタイムと水を確保。誰かさんはハイジの森だと盛んに言ってるが・・・・桑原さんは此処までで、一服したら先に仙人池ヒュッテに行く事になり熊、蝦名、私の3人は池の平山に向かうが、結構な登りで苦労しました。お花畑と岩場を登り北峰で時間切れで、山頂の南峰は諦めた。下りも結構気を付けながら小屋に戻り、休憩して仙人峠へ戻るが此処でとんでもない事が・・・蝦名さんがザックを開けたらアリが沢山子供を連れて巣つくりしている。全部ザックの物を出したりしてたら今度はアブに刺されてしまい、結局40分程時間が掛ってしまい仙人池ヒュッテ着が17時。桑原さんご心配かけお待たせしてごめんなさい。池の平山の計画は時間的に無理でした。反省です

夕食後は檜のお風呂に入りさっぱりしました。夜中に風が強く窓ガラスがガタガタ天気はどうなるか心配



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真砂沢ロッヂ 発 540・・・二股着 725/ 735・・仙人峠着 1020/ 1030・・・池の平小屋着 1100 / 1115・・・池の平山着 1340 / 1350・・・池の平小屋着 1525 / 発 1550・・・仙人峠・・・仙人池ヒュッテ着 1700

8/15(金)

朝はあれだけ吹いてた風も止み仙人池からの八ツ峰を見学。やっと念願の池に映る八ツ峰。少し風があり静止の状態ではないが感激。これで剱と仙人池がクリアー。後は阿曽原温泉と水平道が目的がある。あの名物おばさんには会えませんでしたが小屋を出発する。

一気に急な下り。沢筋の雪渓をアイゼンを付けたり外したりして沢を横切り、崩壊している悪路を注意して下りするが、山の斜面はキスゲのお畑で疲を癒してくれた。休憩しながら進むと対岸にこれから登る雲切新道や仙人湯が見え、仙人温泉小屋に近づいて来た様だ。前方には後立山連峰も見える。このコースは下山者がほとんどで登りの人はいません。

「お疲れ様です 仙人温泉小屋」と書かれた大きな石の左側からお花畑を過ぎてこじんまりした佇まいの仙人温小屋に着き、温かいコーヒーでもと熊さんが小屋に行ったら無愛想な小屋の人でがっかりしたそうです。そんなで小屋の前で休憩してたら、突然の雨。急いで雨具を着て仙人谷の橋を渡り、仙人湯に手をつけたりして雲切新道を登る。所々から仙人温泉小屋が見える。

此処で追いたパーティーあり、先に行ってもらい我々はゆっくり歩く。雲切新道の最高点1629mから仙人ダムまで800mの下り。結構足場が悪く急斜面でロープや梯子が多くなり、やっと仙人谷に。又ダムまでは三段の梯子がダム水面近くまでであり慎重に一人づつ下る。仙人ダムの案内板に従いダムの入口へ。ドアを開きトンネルに入るが迷路です。出口で休憩してドアを開きトンネルを出て阿曽原温泉へと進む。ダムの廻りには立派な建物が一杯あるが誰もいない様子。ここからキツイ登りで梯子を登りやっと水平道に出た。

水平歩道は左岸の絶壁をコの字にくり抜いた約13kmの道が欅平までとか。あとはひたすら水平道を進み右にグイット曲がり小屋と黒部本流が見えて来て、15時に辿り着きました。夕食まで濡れた物を干したり、女性は入浴時間なので雨の中傘をさし温泉場まで10分歩き、1630分まで温泉を楽しみました。(奥のトンネルが脱衣場で、何も囲いがありませんし解放感あり)男性2人は入浴せず大宴会をして盛りあがってました。夕食後、小屋の御主人が黒部に関するビデオを上映してくださり又話が盛り上がり、お酒が進みました。男性二人は残念ながら今夜は温泉をパス

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池の平ヒュッテ発 610・・・仙人温泉小屋着 900 / 930・・・仙人ダム着 1330 仙人ダム発 1400・・・阿曽原温泉小屋着1500

8/16(土)

今日は下山日です欅平までのコースですが雨がいつ降るかわからないので早めに出発するが・・・熊さんだけ朝風呂とかでサッパリしてきましたが髭はボウボウ、さてこれから欅平を目指します。

朝方までの雨も上がり太陽も顔を出しているが、いつ降り出すか時間との戦いです。小屋からテン場を通りますが今シーズンは天気悪く誰もいません。どの小屋も空いていましたし登山者も少ない様です。標高800mのスタートでまずは鉄塔の高さまで登りますが梯子もあり急登。所々から阿曽原温泉小屋と露天風呂が見える。今度はいつ来れるかなあ~・・・・晴れている時にゆっくり入浴したいです。

やっと水平歩道になり左手の山側にはワイヤーが張られてるが、道幅は狭く岸壁にこんなに良く道を掘ったものかと感心する。写真を見るとわかりますが人間が本当に小さく、此処で落ちたら絶対助からないので最後まで緊張の連続。雨が降り出してしまい雨具を着たが、栃尾谷近くでとうとう大雨。谷は水かさが増し激流。先行の男性の一人が前に転び危なかった。次のグループのご夫婦も苦労している。ご主人が一本のマルタに靴を水平に乗せる事を忠告してくれました。桑原さんは石伝いに渡る。熊、蝦名、私は簡易ハーネスを付け渡る事にしたが、私は先程の忠告通りゆっくマルタの上を右足を乗せ左足は石に乗せゆっくり右足を運び左手でワイヤーを掴み渡りました。普段は水量少ないが谷だが大雨で4m程の川幅が激流になるのでした。

少し進むと今度はオリオ谷の砂防堤内トンネルをくぐりハイライトの大太鼓に着く。対岸には奥鐘山の岸壁がダイナッミック。私の20代の頃はどの山岳会も競って登っていましたが・・・今はどうなのかな。対岸の壁の滝も中々美しい。大太鼓から欅平が見えるがまだまだ先が長いようだ。40分程歩くと志合谷に着いた。150mの立派なトンネルをライトを点けくぐる。よくもこんなにトンネルを掘ってくれたもんだ。感謝です・・・ありがたい

短いトンネルを抜け時々雨水のシャワー洗礼を受けながら進む。段々天気も回復し雨具の上着を脱ぎ、幾つもの鉄塔を過ぎやっと水平歩道ともやっとお別れ。ここでトイレタイムをして急な道を下り標高590mの欅平に1415分に無事下山しました。観光客は我々の汚い姿を見てびっくり顔。何処から歩いて来たの・・・重たいザックですねとか質問責め・・・観光客相手のガイドさんから、今度は是非下の廊下に行って下さいと言われ「はいわかりました」と答えてしまい帰宅して調べてみたが益々行きたくなる。

関さんには大変ご心配おかけしました。すみませんでした。皆さんお疲れ様です。やっと緊張感から解放されました。桑原さん、熊さん、蝦名さん色々お世話になりました。2日間だけ天候に恵まれませんでしたが、皆さんのおかげで念願が叶いました。雨で肝心の所の写真が撮れずごめんなさい。 

欅平でトロッコ電車に乗る前にまずビールで乾杯・・・乾杯、とても冷たく美味しかったです。感激です・・・ありがとう。欅平から宇奈月までのトロッコ電車はお盆休みでも天候悪かったので観光客は少なくガラガラです。観光の車内放送もあり満足しました。断念ながら川の水は濁り、濁ってない時は景色とマッチするのになあ~と思いました。1時間30分程トロッコにゆられてトンネルをくぐりダムを見ながら宇奈月に着き、宇奈月温泉駅から富山電鉄で富山に着き蝦名さんは夜行バスで東京へ。桑原、熊、私の3人は富山で泊り、翌日新幹線で帰りますが、土砂崩れで4時間遅れで電車の払い戻しがあったり、ほくほく線の指定席は無料で座り、湯沢からの新幹線の自由席はすぐ座れ、とてもラッキーでした。夜行バスより電車が楽ですね。

次は下の廊下に挑戦したいのと、早月尾根から剱に行きたいです。

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阿曽原温泉小屋発 630・・・栃尾谷・・・大太鼓・・・志合谷・・・欅平着 1410 欅平発 1540・・・・宇奈月着 1656 / 宇奈月温泉発 17:32・・・富山着 1904

小金沢連峰プチ縦走

2014/8/24(日) 

参加者 : 池上さん(L)・井上汎さん(SL)・新堀さん・佐藤さん・郷間(記)

雨続きのお盆週間に山行きの予定がことごとくボツとなり、しゅんとしてその後もかなしみをひきずっていた私に新堀さんが救いの手をさしのべてくれたのがその3日前。お誘いを受けてからというもの、久しぶりの山行に浮かれて地図やガイドブックを眺めて眠れない夜をすごし、ツケが回って当日の朝はかなりの寝不足状態でした。ぼんやりした頭で八王子のホームで揃った皆さんの顔を見て安心したことはおぼろげながら記憶にあるけれど、中央本線に乗り込んだ後すぐに本格的な眠りに突入。

 

ふと、「朝だ、朝~だ~よ♪」と軽やかな明るい音楽に瞼を開けました。横をみると佐藤さんが耳元で爽やかに歌ってくれていて、そのお茶目すぎる目覚ましが可笑しくて、吹き出して笑ったので一気にスッキリと目を覚ましました。

甲斐大和の駅へ降り立ち、新堀さんが予約してくれていたタクシーへ乗り込みました。運転手さんは地元愛たっぷりに、山梨県の治水治山事業のいかに優れているかということを信玄時代にさかのぼってたっぷりと聞かせてくれました。また、なかなかに勇ましい方のようで、かつては狩猟免許を持っていて散弾銃をつかい100メートル先の獲物をしとめていた、などの話はまるでゴルゴのようだと唸らされましたが、そのような話の最中にもくねくねとした山道のカーブをそろりそろ~りとゆっくり曲がり、私たちが車酔いにならないようにと気遣ってくれたり、到着地点のかなり前でメーターを止めていてくれたりと、心優しさのにじみ出る方でした。

    

8時半、湯の沢峠を出発。残暑の強い日差しの中、背の高い熊笹の道を歩き始めます。半年以上も山歩きから離れていたので、山を踏んでいる感触がうれしくて、はしゃぎ気味に登り始めたので早くもゼエゼエし始めました。気づけばわりと傾斜きつめの道で、さすが小金井公園の小山とは違うナなんて思いながら、むしろ傾斜も喜ばしく感じられ、されどゼエゼエは欠かさずに登りました。急ながらふかふかで歩きやすい道でした。どうやら以前の登山路はもう少し東の崩壊地スレスレのザレ場だったようで、新たに笹を切り開いて作られたばかりの道のようでした。

   

最初のピークは白谷丸。花の咲き広がる草原の先にはどぉーんと富士山。のっけからとてもすばらしい眺望を得て、喜びを隠せませんでした。この日の天気予報は曇りのち雨だったので眺望は当初あきらめぎみでもあったので、喜びもひとしおでした。この白谷丸は他の山から見るとザレていて白くなっているから目印になる山なんだよと井上さんが教えてくださり、なるほど~と思いながら白谷丸を出発。   

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緩やかな樹林帯へと入り、やがてまた勾配きつめの登りが始まり、けっこう登るな、まだかなと思い始めた頃、寡黙なリーダー池上さんが「着いたっ」と鋭く短く叫び、黒岳山頂到着。ここは荒地っぽい感じで見晴らしはありませんが、立派な一等三角点がありました。その傍らに「和へ  駐車場へいます」と数日前に誰かが書き残したけれど、和さんには気づかれず置きっぱなしになっている小さな手作り伝言板にほのぼのとした気持ちに。

  

黒岳山頂からは北斜面を緩やかに下るのですが、その日の当たらない樹林帯には岩や倒木にみっしりと苔の絨毯がしきつめられていました。少し前の明るく開放感のある白谷丸とはうってかわって、いっきに陽から陰の世界へ、雰囲気の一変した、しっとりと苔むした別世界が広がっていて気分もしっとりと落ち着きます。まるで北八ツや奥秩父みたいだねえと井上さんも穏やかに顔をほころばせているようでした。しばらくその樹林帯の中を、倒木をくぐったり越えたりしながらゆるやかに下り、やがてずんずんと下って賽の河原という笹原へ出て、西へ伸びる水場への道を見やり、また登りが始まり、所々で花に励まされながらせっせと登って牛奥ノ雁ヶ腹摺山へ。

 

牛奥ノ雁ヶ腹摺山は秀麗富嶽十二景のひとつでもあり、その冠を抱くだけあって、深い山並みの奥に聳え立つ富士山の素晴らしい眺望でした。ここで少しゆっくりした休憩をとって富士山をたっぷり眺めておやつタイム。湯の沢峠からここの山頂へのピストンで来られている方もいましたし、この山頂では他にも数組がいて、この日の一番の賑わいの場だったように思います。この休憩の時にもうお腹が空きはじめていましたが、「次の小金沢山でお昼休憩ね。あと45分!」とリーダーから通達があったので喜んで出発。また樹林帯と笹原を繰り返し歩きます。そのうちとてもお腹の空いた私は小金沢山よりもひたすらお昼ごはんをめざして歩く、という感じでもくもくと足をすすめました。

 

そうして辿り着いた小金沢山は、標高2014メートルの、いわば今年の山。山行前にこのことに気づいた私は、縁起がいいことだなあと、この山頂に来ることを楽しみにしていたのですが、着いたときはこれを喜ぶのもそこそこに、すぐさまお昼ごはんへとなだれこみました。すこしお腹が落ち着いて気づくと、ここ山頂に着いたときにはちらほら見えていた青空を、動きの早い雲がいつのまにかすっかり覆い隠し、ひんやりとした空気も流れてきました。池上さんのこしらえた、温かいラーメンが漂わせる魅惑的な芳香に、秋の気配を感じました。

 

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食事を終えて、小金沢山を下り始めました。キェー、キェーという、鹿の鳴き声が聴こえてきました。人の悲鳴に近い感じの声が少しばかりブキミだなと思ってしばらく聴いていましたが、やがてうす暗い樹林帯の中に、その声の持ち主がひょっこりあらわれました。こちらを見ながらしばらく佇んでいて、まもなく駆け出していってしまいました。「鹿とぶつかると車がボコボコに壊れちゃうだ、毎年ここらへんのタクシー2台くらいやられるんだ」と運転手さんがボヤいてましたが、いま目の前にいた図体の大きい鹿をみて、確かにこの鹿がスピードあげて飛び出してくれば、車の方があっという間に壊れちゃうんだろうなぁと納得しました。その後、岩をまじえた足場の悪い道もでてきて樹林帯の中をせっせと必死に下り、やがて見晴らしの良い広い草原にでると左下に大菩薩湖が見下ろせました。石丸峠へはその後もうひとピーク越えなければならないのですが、熊沢山の尾根も左から大きく近づいてきているので、峠はもう近いゾと、そよそよと吹く風を気持ちよく感じながら登りました。まもなくして牛の寝通り分岐で休憩。新堀さんと佐藤さんから、紅葉の時期に牛の寝通りを小菅の湯まで下るルートのすばらしさを聞いていたので、休憩しながら牛の寝通りへの道を眩しく見つめました。

    

 石丸峠から熊沢山へ、本日最後の登り。ふんばって登りつつも今日の行程の終わりが見えてきたことに淋しさを感じました。人でいっぱいかと思っていた大菩薩峠は意外にも空いており、私たちのほかに2、3人いたかいないかくらいでした。この日は雨の予報だったからこんなに空いてたのでしょうか。おかげで一日を通して静かな山歩きができました。雨も落ちずにもちこたえてくれ、ありがたいことでした。介山荘のアイスキャンディーで女性陣にっこり笑顔となりながらゆっくりまた一休み。それから福ちゃん荘を経て、上日川峠へ辿り着き、ちょうど来ていた15時発のバスに乗り込みました。

  

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 バスの中では程よい疲れで熟睡してしまいました。

 

出発前に湯の沢峠で、私はリーダーの資格なんて無いんですよぉぉなんて謙遜していた池上さんでしたが、程よいペースや休憩配分、雲読みなど状況判断も的確な、しっかりとしたリーダーっぷりに、感謝でした。

  

今回は小金沢連峰を北上しましたが、「普通は逆のルートを辿る方が多いのですよ」と行きのタクシー運転手は首かしげ気味でした。よくわからない私は、井上さんが「ええ、我々はひねくれ者なんですよ」と静かに笑って答えているのを隣で聞いていましたが、歩いてみて、なるほど、ずっと富士山にお尻をむけながら歩くのでこれは変わり者と思われるのだなと気づきました(笑)。でも、午後から雨という予報の、この日の天候のこともあって、前半に白谷丸や牛奥ノ雁ヶ腹摺山ですばらしい富士山の眺望を満喫でき、また天気の具合によっては石丸峠から小屋平バス停に下りることもできるので、この日このルートは正解だなあ、静かで良いルートだったなあと実感し、計画を立ててくださった新堀さんに感謝しました。

 

ところで、しばらく山から遠ざかっていた私には今回はリハビリ山行でもありました。行きのタクシーが1,000mほど高度を稼いでくれることもあり、安心して望んだのですが、ちいさいアップダウンが多く、やっぱりゼエゼエしましたが、一日の山行で多くのピークを踏めたので充実感もまた多く、山に飢えていた私には嬉しいルートでした。開放感のある草原では多くの花々―可憐なハクサンフウロやウスユキソウ、ぷっくりしたホタルブクロ、すらっと首筋伸びたようなキリンソウに、線香花火みたいなシモツケソウ、うつむき加減のひかえめなヤマオダマキ等々―を愛で、また、樹林帯では、姿を現してくれない数々の鳥の声を聴き、毒々しいのから美味しそうなのまで種々のキノコを見つけては楽しみました。また、夏の強烈な日差しから、爽やかな秋のそよ風も感じられ、一日で沢山の喜びを感じられた山歩きでした。

甲斐大和の駅で電車を待つ間にビールで乾杯。これがまた、シビれる美味しさで、久しぶりにこんなに美味しいビールを飲んだなあ。山とビールは合うなあ。としみじみと幸せを感じました。ご一緒してくださった皆様、楽しい山行をどうもありがとうございました。

湯の沢峠8:30 -- 黒岳9:40 -- 牛奥雁ヶ腹摺山11:00 --  小金沢山11:50/12:10 -- 石丸峠13:10 -- 大菩薩峠13:40 -- 上日川バス停14:45

剣岳八ツ峰六峰Cフェース剣稜会ルート登攀

   

日程:201481()4() 前夜発34日 

(当初の計画では81日~5日の45日)

メンバー:山崎(CL)、高井

731() 

池袋駅前から23時発の夜行バスで富山駅へ。バスを待つ間、バス停前に座り込み、缶ビールで軽く壮行会。風のない、モワーっとした熱帯夜。すぐ近くにホームレスの人が転がっていたが、行き交う若人達から見れば、我々もホームレスも大差ないだろうな、と思いながら、ぬるくなりつつあるビール飲んだ。

81() 晴

予定通り朝5時半に富山駅着。6時過ぎの宇奈月温泉行きの富山地方鉄道で上市へ。6時半、予約しておいたタクシーで馬場島へ向かった。


1

7時半、水を補給後早月尾根を登りにかかる。重い!登攀道具、ロープ、ピッケル、アイゼンで約8Kgs(余りに重いので出発前に家で実測)、プラス通常の山道具・食料一式。二人とも荷物は20Kgs を少し超えていた。しかも早月尾根は北ア三大急登の一つ。樹林帯は風もなく、蒸し暑い。あっという間に汗でぐっしょり。足は進まず、次々に(比較的)軽装の登山者に抜かれ、「山と高原地図」のコースタイムでは5時間40分のところを25%増しの約7時間をかけて午後2時過ぎ早月小屋着。当然ビールは痺れるほど美味しく、人生の幸せをしみじみ感じた。

この後、荷物を背負っての我々の歩行は、下山までほぼ「山と高原地図」の25%増しのペースとなった。

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82() 晴

3時起床、4時半出発。剣本峰に向かう。早朝なので比較的涼しく、汗も昨日ほどはかかない。

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9時前頂上。昨年落雷で焼失した祠に代わり、新しい祠の設置作業を行っていた。長次郎谷の方からはクラブツーリズムのパーティが数組(アンザイレンしたガイド+客3/パーティ)が長次郎谷左俣を詰めて登ってきた。ガイドに聞いたところ、左俣にはシュルンドはないが、右俣の池ノ谷乗越にはシュルンドが出ているとのこと。我々は左俣を下る予定。

ゆっくりした後、10時過ぎに長次郎谷左俣下降点に向かう。下降点では、丁度左俣を登ってきた単独行の人がアイゼンをはずしていたので話を聞いたところ、とにかく急で40度位の斜度がありそう、こんな急なところに雪が付いているのが不思議だ、自分も一度滑落したが10mで止まったので助かった、等々恐ろしいことを言う。挙句、グリセードで降りたらと、すごいアドバイスまで頂いた。慎重に下ることとする。熊の岩までコースタイム40分の所を1時間半位かけた。神経は張り詰め、アイゼンには力が入り、精神的にも肉体的にもしんどかった。(高井は、一度アイゼンをズボンに引っ掛けたが、幸いにもズボンの生地が薄かったせいか、ビリリと破れたおかげで転倒せずにすんだ。しかし肝を冷やした。)

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熊の岩は、剣本峰を見上げ、源次郎尾根、八ツ峰に囲まれた素晴らしいところ。本来はクライマーで混雑する人気スポットだが、この日は我々を含めテントは5張りしかなかった。3時過ぎに少し雨が降ったが、スケールの大きな静かな峰々に囲まれ、ウイスキーを飲みつつ、剣の雰囲気を堪能した。

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翌日は、六峰Cフェース登攀後八ツ峰上部を縦走する予定にしていたが、下りで使う右俣はシュルンドが出ているというし、またあんなに気を使う雪渓上部の急斜面の下りは気が進まない。六峰登攀後は五・六のコルに下り、しかもその翌日に予定していた八ツ峰下部縦走もやめ、一日繰り上げて3日中に真砂沢ロッヂに下ることとする。ロッヂではプレミアムモルツが冷えていると聞いては、最早それしか選択肢はなかった。

83() 薄曇・晴

4時起床、6時出発。下から長次郎谷を数パーティ登って来ているのが見える。皆がみな六峰に行くわけでは無いだろうが、岩での渋滞待ちは嫌だ。しかし、初めてのルートなので1パーティ位は前にいたほうが安心だな、等と考えながら長次郎谷をトラバースし、取り付点に向かう。取り付点直前に1パーティいたが、これから準備するのでお先にどうぞと譲られ、我々が一番となった。

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5ピッチ150m、最高グレードIV-の初級ルート。奇数ピッチリードは山崎さん、偶数ピッチは高井。645分登攀開始。いわゆる「本ちゃん」初めての高井の緊張感は大いに高まる。しかし案ずるより生むが易し。硬く、フリクションの効く花崗岩の登攀は快適そのもの。ルート核心部は3ピッチ目(IV-)で、ルート図では40mとなっていたが、実際は50mロープほぼいっぱいを使った。途中2ヶ所位ピンが間遠くランアウト気味になっており、リードだと少々緊張する所だろう。ハイライトは4ピッチ目(III+IV-)で、20mと短いが手で掴めるほど尖ったナイフエッジをトラバースする。滑らないので恐怖感はないが、高度感はなかなかのものだった。9時に終了点に到達した。

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10

940分、五・六のコルへ向かう。事前に得た情報では、「コルへの下りは判り難く、注意しないと長次郎谷側ではなく三ノ窓側へ降りてしまう。ガイドでも間違えているようだ。三ノ窓側に降りた場合は、長次郎谷側へ雪渓を登り返さなければならないが、シュルンドの状況によっては登り返せない恐れがある。従って、長次郎谷側に降りるのが確実」とのこと。十分気をつけていたにも拘らず、やってしまった。懸垂1ピッチ目、50m下降したところで、これはどうも三ノ窓側に寄っていると気付いた。懸垂2ピッチ目を少し下ってみたが先が見えない。山崎さんの判断で、元に戻ることとした。この時点で11時。幸いまだまだ時間の余裕がある。50m2ピッチを登り返し、12時に最初の懸垂下降点に戻った。ここからは慎重に正しい下降点を探さなければならない。

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うまい具合に我々の後に六峰を登攀していたパーティ5人が長次郎谷側への下降点にかたまっているのを見つけ、難なく正規ルートに戻ることが出来た。が、渋滞で一時間強の待ち。何故懸垂でそんなに時間がかかるのか訝しく思っていたが、我々の番になって訳がわかった。ここからの下降は、真っ直ぐ降りるとシュルンドの中へ落ち込んでしまうので、それを避けるため斜め懸垂をしなければならなかったのだ。これはなかなか難易度が高く、ゲレンデで練習しておいたほうが良いと感じた。

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無事3時前に熊の岩に帰着。テント撤収後真砂沢ロッヂへ。5時着。楽をするつもりが11時間の長丁場となってしまい、大いに疲れた。しかしその分プレミアムモルツには痺れた。人生の幸せを感じる瞬間。

84() 

朝から小雨模様。4時半起床、5時出発。ハシゴ谷乗越への登りで少し強く降る。荷物は相変わらず重く、歩みはのろい。下山点の黒部ダムまで約7時間のコースタイムに対し8時間かかった。途中のハシゴ谷乗越の下り、内蔵助谷は雨のため岩がぬれて滑りやすく、また崩壊地も数箇所あり気が抜けなかった。黒部ダムへの最後の急登150m30分かけて登りきったところで下山。1時丁度。

14


思い返せば、本山行中一番快適且つ安全だったのは、核心部六峰
Cフェースの登攀だった。

本山行から得た教訓

1.      先行きが見えないときは元に戻ると言う大原則の徹底(まあ大丈夫だろう、はご法度)

2.      懸垂下降後に何らかの事情での登り返ししなければならない場合の方法の確認(ラストを上に残している場合、ラストも降りてしまった場合等々、状況別のロープワークの確認)

3.      斜め懸垂下降の練習

4.      懸垂下降後にロープ引きおろす際、ロープが引っかからないようにする工夫

以上

(高井記)

南ア/白峰南嶺北部縦走

伝付峠~笹山~広河内岳~大門沢    竹下淳子()

2014628()30()  メンバー:大滝(L)、内田、竹下

6/28(雨)

当初の計画では、田子さんと他会の女性を含む5人の参加だったが、お二人が参加を取りやめて、4月の大佐飛山以降、ブナクラ谷に続いて同じ顔ぶれの三人のメンバーとなった。梅雨の時期真っ最中で天候を気にしながら、初日の雨は覚悟の上でメインの中日が晴れ時々曇りとなった天気予報を受けて計画実行となった。

出発地点の新倉ヘリポートで身支度するうちも、雨空が濃くなる中1020分出発。田代発電所から八丁峠取り付きまでの道は、河原の中の青ペンキマークを追って沢歩きの感覚で歩く。

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1時間余り歩いた頃に雨の降りが強くなって雨具上下を着用する。

八丁峠の登りは樹林帯の急斜面を行く。ネットで見た黄色のカバー付きワイヤーが張られている。1215分に八丁峠到着。瓶、茶碗のかけらなど人跡が残る峠は樹林で雨が避けられる。空腹を覚えて行動食を口にする。旧道に合流して河原の流れに渡された丸太橋は、今回の山行中、最も笑えて怖かった体験の一つとなった。最初に渡った大滝さんを見ていると、途中で慌てたように早足で前のめりに渡り終えた。そして沢音で聞こえないが、私たちに四つん這いで来るようにと言う。重荷を背負って四つん這いは無いと思い、内田さんと、ストックを使おうとザックから取り出して慎重に2歩、3歩進んだ時、丸太橋はいきなり横揺れを始めた。身体でバランスを取ろうとするが横揺れは激しくなり、思わずしゃがみ込んで四つん這いで11歩、「大丈夫、大丈夫」と唱えながら渡り終えた。後続の内田さんも同様に四つん這いで来るようにと言う。

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大滝さんの「だから言ったでしょ。」と言っている顔を見ながら、「何だったの!」と思わず叫んだが原因は分からず、何かのタイミングで共振したのだろうと言うことになったが私は「悪意の丸太橋」と命名した。

保利沢出合の東京電力管理小屋は閉まっていた。1325分降り続く雨の中、食欲もないが行動食を口に入れる。伝付峠へは右の矢印で狭い道を登り、再び沢沿いの道になる。赤テープの目印が少なく、踏み跡が乏しくなったルートを、前を行く大滝さんを見失って何度かコールして進む。沢が二分するところで真ん中の尾根をぐんと登って沢から離れて樹林のつづら折りの道を2時間の頑張りで1630分、今日のテント場伝付峠直下の水場に到着。( )2ヶ所から出ている1ヶ所は豊富な水量だ。快適なテントと大滝さんの手際よい調理で、明日からさらに重くなる荷物を気にしながらも、今日一日良く歩いた自身を褒めて、うなぎ丼とビールで乾杯した。


6/29
(雨のち晴れ)

夜中に降り続く雨音を聞きながら、3時起床。水は共同分1.5ℓプラス自分の1日半分2ℓ合計3.5ℓを汲んで、雨の中テント撤収して510分出発。

伝付峠から広い林道跡を歩く。空が明るくなってきた林道分岐を右に折れて進む。薄日が指してきて、待ちかねて雨具上衣を脱いだ。雲の流れる左手の南アルプスには、沢筋に雪を残した荒川岳、赤石岳が見え始めた。林道が左にカーブしている前方に、大きい土砂崩れで登山道が埋まっている。

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ネットに出ていた箇所だとわかる。登山道の端に薄らと残る踏み跡を慎重に素早く通過する。車両が通らなくなった林道は、自然に還ろうとしているようにカラマツの幼木が林道の真ん中に生え始めている一方で、しっかりしたカーブミラーも残っていて不思議な眺めを残している。



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ドラム缶の転がった広場から間もなく、第一の目標、奈良田越に到着。鉄骨、ワイヤーロープなどの建材が散乱している人間臭い場所に立派な奈良田越の標識がある。

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奈良田越からは針葉樹林の登山道を登つて行く。崩壊した小屋を左に見て高度を上げて進むと白剝山に着いた。展望のない山頂に立つ標識はやはり立派だった。

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笹山(黒河内岳)を目指してハイマツとシャクナゲに被われた登山道をやぶ漕ぎ、倒木をまたいで潜って進む。荷物が重くて背中が痛む。歩く速度が上がらない。笹山南峰手前で大滝さんの姿を見失って、私たちが南峰に上がった道は奈良田から来るルートからだった。広い笹山南峰より北峰が展望良いからと移動。13時笹山北峰に着いた。

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岩っぽい山頂からは雪が残る塩見岳、荒川、前方奥に白峰三山の北岳は三角形に見える、振り返ると笊ケ岳が望める。

笹山を過ぎると森林限界となり、ハイマツと岩稜が交互に続く広い尾根となる。踏み跡もはっきりしないので、ガレ場から次のハイマツ帯に入るとき、目を凝らして探して入口を見つける。ガスって展望のない時は苦労するだろうと思う。

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大滝さんがぐんぐんと進んで行く。大岩が重なったような白河内岳を巻いた時は1450分。風が吹いてきて寒さを感じる。今日のテント場、大籠岳はまだ遠いが、すぐ手前に例の大きな標識のピークが見える。あれが大籠岳じゃないかな・・・と内田さんと話しながら、昨日も午後に足が攣ったので用心の為に、雨具上衣を着込んで大滝さんを追う。大きな標識のピークで大滝さんが笑っている。そこが大籠岳だった。着いた―!と思わず叫んだ。1535分。

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一段下がったハイマツ帯のぽっかりと空いた場所がテント場。ハイマツを10mほど掻き分けた先にはしっかりと雪渓が残っている。まだ陽がある16時前に到着したことに大満足。今朝、濡れたままパッキングしてきたすべての物をハイマツの上に広げて干した。

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農鳥岳の奥に尖った北岳、富士山は半分雲から出ている。ハイマツを掻き分けて内田さんと二人で雪渓からたっぷりと雪を運んできた。夜は水量を気にすることなく、思い切り水分補給が出来たことは言うまでもありません。ふとテントから顔を出すと夕陽に染まった積乱雲が富士山を隠して空高くまで伸びていた。

6/30(晴れ)

3時起床、日の出を見ながら5時出発。

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水と食糧が無くなってグンと軽くなったザックに足取りも軽い。今回のルート上最高峰の広河内岳(2895m)への尾根幅は狭くなり、急な登りを頑張って1時間20分で広河内岳に着いた。

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直ぐ下には大門沢下降点が見える。記念写真を撮って歩いてきた南嶺を振り返る。登山者には誰1人とも会わなかった。10年前に白峰三山を縦走した時と同じ形の下降点の鉄の櫓から大門沢に入る。
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急降下でガンガン下る途中、雪渓では又もや滑ってしまう。滑落停止の体制をとって止まったが、腐った雪と緩い傾斜で大事はない。大門沢小屋の手前で甲斐犬を
3頭連れたおじさんが休んでいた。明日71日からの小屋開けの為に下見に来ている小屋番の人と思われる。920分大門沢小屋到着。

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小屋番のもう一人の男性が小屋開けの準備をしている。小屋の下の沢の橋は流されているが、水量が少ないので問題ないとのこと。何とか飛び石伝いに渡渉する。その後も掛かっている橋自体が壊れかけていたり、切り倒した1本の木がそのまま流れに渡してあるところなど、緊張するところが続くが天気も良く、万が一濡れても寒い事も無く、もう少しだという気持ちで余裕が持てた。

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早川水系発電所取水口の鋼鉄製の吊り橋は見覚えがあった。

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工事中の作業員、重機の音が響く河原を歩いて、12時5分登山口の標識が立つ林道に出た。第一発電所を経て奈良田温泉「日本秘湯を守る会」白根館に1310分。

車回収に行く大滝さんも1350分発のバスまでに、何とか入浴を済ませることが出来た。伝付峠入口バス停から徒歩で新倉ヘリポートの車を回収して奈良田温泉に戻って来て、15時には奈良田温泉を発って帰路についた。

今回の山行を決断するまでに、水場のないルートを水を背負って歩き通すことが出来るかと、不安だったが、メンバーに恵まれて歩き終える事が出来て、行き難いアプローチを車でフォローしてくれた大滝さんに感謝。安堵感と達成感を感じています。(完)

<コースタイム> 

6/28(雨)

東武蔵小金井駅南口7:00=調布IC=増穂IC=新倉ヘリポート10:00

新倉ヘリポート10:20 - 田代川発電所10:5511:00 - 荒れた河原歩き青ペンキあり11:30(雨具着用) - 八丁峠12:1512:20 - 悪意の丸太橋12:40 - 東電管理小屋13:2513:40 - 伝付峠直下水場16:30(泊)

6/29(小雨・晴れ)

起床3:00/水場テン場5:10 - 伝付峠5:20 - 林道分岐(右へ)5:455:50 - 小休止(雨具脱ぐ)6:306:40 - 林道崩壊地点6:55 - 林道にカラマツの幼木 - ドラム缶の広場7:508:00 - 奈良田越(1970m)8:05 - 小休止8:308:40 - 白剝山(2237.2m)9:059:10 - 小休止10:0010:05 - 小休止10:5511:00 - 小休止11:5512:00 - 笹山南峰(2717.6m)12:4012:45 - 笹山北峰(2733m)13:0013:15 - 広い尾根、ケルンを拾いながら歩く。ガスっていると苦労するところ。白河内岳(2813m)は巻く14:50 - 大籠岳(2767m)15:35 - テン場(雪渓が残っている)15:45(泊)

6/30(晴れ)

起床3:00/テン場5:00 - 小休止5:405:45 - 広河内岳(2895m)6:206:35 - 大門沢下降点7:007:05 - 小休止(2200m)8:208:25 - 大門沢小屋9:209:35 - 橋が無い・壊れかけ、丸太のみ、崩壊箇所あり - 小休止10:3010:35 - 早川水系発電所取水口・吊り橋、工事中 - 登山口12:05 - 第一発電所12:30 - 奈良田温泉「日本秘湯を守る会」白根館13:10(入浴)

車回収(大滝さん):奈良田温泉13:50バス=伝付峠入口バス停 - 新倉ヘリポートから車回収=奈良田温泉15:05=増穂IC=調布IC=東小金井駅南口18:25 解散

<費用>

高速・ガソリン代・食糧代・ガスボンベ16,0001人、白根館入浴1,000

金邦夫氏の講演に学ぶ

山﨑

何で山に登るのですか? 今日わしゃ、それを皆さんに聞きたい。だって年に300人が山で死んでるんですよ。毎年ですよ。こんなに人が死ぬスポーツが他にありますか? サッカーで人がそんなに死にますか? 野球で人がそんなに死んだなんて聞いたことがない。登山だけなんですよ! 異様に思いませんか? 皆さんはなぜこんな危険なスポーツをするんですか? どうして山に登るんですか? さあ、教えてください。そんなに山が好きなんですか?

 講演はこんなショッキングで、でもありきたりの、それでいて普遍的で、山登りの好きな当事者としては実に答えづらい脅迫めいた問い掛けから始まった。しかしこの講演会はその答えを探そうとするような哲学問答が目的ではない。もちろん金邦夫(こん くにお)氏も山が好き。山好きが「今年の300人」に選ばれてカウントされないために、つまりは死なないための算段をどう講じるか、との視点で遭難事故事例を引いて示唆に富む提言をする。

 この日の金氏のお話を、私は独断により取捨選択、我田引水、牽強付会して以下の4点にまとめてみた。

 その第1《山岳会に入ろう》

 川乗谷百尋の滝から川乗山へ向かう登山道は、手すりのついた鉄階段を急登したあと崖っ淵をトラバースする。昭文社エアリアでと表示されている場所だ。これまでに何度も人が落ちている事故多発個所、金氏は魔の場所という(『岳人』20133月号「すぐそこにある遭難事故③」)。火打石谷まで100メートル、川乗谷まで150メートルを墜ちたらまず助からない。救助活動中の現場の脇を通る登山者に注意を促したら、その直後に転落したという信じられない例もあった。

 天祖山からの下り、エアリアで「急坂注意」とある個所でも転落して尾根末端の防石ネットに引っ掛るという同様のケースが相次いでいる。

 問題は、危険個所を通過する技術のないことだと私は思う。注意を受けたりすると、かえって緊張で体がこわばって失敗するものだ。「通過に注意する」とは、ロープを出して結ぶなりフィックスする、あるいはお助けひもを使うなどの具体的なサポート手段が伴わなければならない。おまじないのように、単に注意力を高め、緊張感を強めたとしても事故は防止できない。危険の回避は精神論ではなく、すこぶるシビアに技術の問題なのだ。

そして結論、登山技術のもろもろを身につけるためには山岳会に入り勉強しましょう。 われわれはすでに会に入っているわけだが、さてお勉強のほどは?

 第2の提言は《良い装備をそろえよう》

 外側の上衣がすっかり濡れそぼっていても、下着のシャツは一向に冷たくなく体が冷えない、という経験がある。第一部のむさしの山荘大賀氏の話のとおり、メリノウールとゴアテックス、LEDなどの製品を使う。自分のいのちを守るために、装備品は値段が高くても最新の品質の優れているものを買うことだ。

貧乏人のひがみかもしれないが、私に言わせればこれは北多摩ではすでにけっこう実践されているように見受けられる。

 第3《体を鍛えよう》

 よく勘違いしている人がいるが、体は山に行って鍛えるのではない。山へ行くために、ふだん平地で鍛える。山に登るために必要なのは上りでもっぱら心肺能力、下りで筋力だ

私が所属した学校山岳部では、他の運動部が試合や遠征に行くのと同じように、山行や合宿がわれわれの「試合」だといわれていた。試合に行って勝つ、あるいはより良い結果を得るために、ふだん歯をくいしばって練習し、トレーニングに汗を流す。トレーニングをすればするほど山に行って楽しめる。トレーニングは裏切らない。よく「足慣らしに山へ行く」という人がいるが、足は平地で慣らしておくものなのだ。

山手線一周30キロ、玉川上水40キロ、小倉~別府100キロなど、私はウォーキングに凝ったことがあった。しかしウォーキングは山登りの役には立たなかった。山登りのためのトレーニングとは、ランニング、水泳、筋トレだと思う。上半身を金氏のような逆三角形にする必要までは認めないが。

そして第4《矜持を持て》

(

)

日の出山北尾根を下っていた18人のパーティから救助の要請があった。「膝をひねって筋を痛め」歩けないので救助隊員が交代で背負って降ろした。待機する救急車に乗せようとすると病院には行かず、駅まで送ってもらえれば電車で家に帰るという(『岳人』20135月号「同⑤」)。金氏も知る古い山岳会だというが、18人もいて仲間で降ろそうともせず(降ろせない)、松葉杖さえ作れない。山ヤのプライドはないのか、と金氏は激しく怒る。

携帯電話のない時代、登山者は山のリスクを理解し山の知識と技術の習得に努めた。山のリスクは少しも変わっていないのに、登山者のモラルは今日地に落ちてしまっているようだ。ヘリは電話一発ですぐ出動してくれるし、助かる確率は一昔前の比ではない。それはそれで有効に活用すべきだ。しかしそのためにもセルフレスキューの技術と訓練がますます必要とされている時代だと思う。

最期に苦言。金氏は遭難するのはおじさんばかりでおばさんは遭難しないという。行方不明者に共通するのが60歳代、70歳代の男性単独行、登山届未提出などで、不思議と女性はいない(『岳人』201310月号「同⑩」)、などの話がおそらく下敷きだと思われる。受けをねらった軽口ではあろう。しかしもう少し理にかなった説明があってしかるべきだ。

201475日 於・CELEO国分寺8階Lホール 主催・多摩東部連盟)

残雪の蝶ヶ岳

井上

201452日~5

参加者・・・桑原・池上・大熊・井上(秀)

池さんが常念岳に行ってないので5月の連休にと思ってましたが、今年は大雪なので一の沢は雪崩があるので中止にして蝶ヶ岳に変更となる。宿は連休で混むのでネットで早めにゲット。

5/2(金)

八王子発635発で松本~新島々~上高地へと乗り換えながらのんびりの旅。上高地は思ったより観光客は少ない。明日からは賑わう様だ。まずは遅い昼食後、今夜の宿である徳沢ロッヂへ2時間程歩く。私と桑原さん池さんは夏のキレット以来の行程。のんびり景色や花を楽しみ森の中にある佇まいの宿に着きました。

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 村営で労山カードを提示したら12食付8500円の所、通常は500円引きですが何と10%引き・・・・ラッキーです。男女別々の相部屋ですが、泊り客が少なく静で綺麗でした。入浴後の夕食では話が盛り上がり結構お酒も進みました。

5/3(土) 

今日はいよいよ蝶ヶ岳に出発です。続々登山者が上高地から歩いて来ます。横尾までは景色を堪能しながらゆっくり歩く。横尾で、熊さんの知り合いの女性にバッタリ・・・・何だかウキウキ嬉しそう。

私は横尾から槍見のコースは初めて歩きますが、桑原さんと池さんは以前テントを背負い歩いた事があるとかで先頭は、桑原、池、熊、私の順で取り合えずアイゼン、スパッツ無しで急斜面をグングン進む。やっと槍見台に着き槍ヶ岳の展望を楽しむ。

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これから段々もっと急斜面になり、
もう一つの槍見に着く。この辺りで早朝から蝶に行った下山者や小屋からの下山者で賑わってました。

またさらに高度を上げ2200m、2400mで休憩してやっと稜線が見えて来た。稜線に出たら強風で急いでやっと防寒具を着て、池、熊、私は欲張り槍蝶まで行く。桑原さんは此処で待つと言ってたが・・・結局寒くて小屋に先に向かっていました。蝶槍までは結構長く大変でしたが常念方面の山々がどっしりしている景色。


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強風の中で耐風姿勢で歩き「ア・・・雷鳥がいる」しかし写真撮影には大変。分岐に戻り3人で飛ばされない様に小屋に向かう。小屋の入口で桑原さんが待っててくださりホットしました。本来なら蝶槍に行かず全員で小屋までの行動をすべきでした。

受付を済ませ部屋に案内されましたが連休で混み合っていました。たまたま名古屋の労山の女性3人グループと同室でお互いの山について話し合い、お酒も入り盛り上がりました。夕食まで何度か地震がありスマホの情報で岐阜方面が震源地と判明。150人の客で夕食は2番目に呼ばれゆっくりくつろぐ事が出来ませんでした。

徳沢発730・・・横尾着830/発845・・・・槍見台着925/発935・・・稜線分岐着1230/発1240・・・・蝶槍着1320/発1340・・・蝶ヶ岳山荘着1410

5/4(日)

今日は風もなく快晴、朝食前に朝焼けを見に行き感激・・・・360度の大パノラマ、富士山、御嶽、乗鞍、焼岳、西穂、前穂、奥穂、槍、大天井、八ヶ岳・・・等がくっきり見え穂高の山々がモルゲンロートに染まる。

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「今度は御嶽に行きたいなあ~」と誰かのつぶやき。では今度計画しますと答えてしまった私。

朝食後、山頂で記念撮影を終え長い長い長塀尾根を何度も休憩して景色を楽しみ下る。徳沢から登山者が続々登って来る。連休なのでツアーのグループも多い。どんどん急斜面を下り1780m辺りで雪がなくなりアイゼンを外し徳沢に進む。所々凍っているので気を付けて歩く。


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徳沢に着きスパッツを外し一服してから観光客が大勢いる上高地へ。桑原、池の二人は相変わらず早足なので熊、私は足元に咲く花などを堪能して明神池でやっと追いつき,暑い中を散策しながら河童橋に着き食堂でまずはビールで乾杯・・・・喉が渇いていたのでとても美味しかった。今夜は西糸屋に泊りゆっくりします。宿に着いてから何度も温泉に浸かる。浴室の窓からはジャンダルムや前穂がはっきり見えました。夕食ではお酒も入り盛り上がりました。

蝶ヶ岳山荘発700・・・・長塀山着820/発835・・・徳沢園着1050/発1110・・・・上高地着1340

5/5(月)

今日は雨で気温0度で肌寒い。起床して朝風呂に入り朝食後バスに乗るまで時間があるのでビジターセンターに立ち寄ってからバス停に向かう。むさしの山の会の方々と何度かメールしていましたが、やっとバス停でお会い出来ましたがゆっくりお話しを出来ず残念でした。松本ではいつもの蕎麦屋で打ち上げをして小淵沢でホリデー快速に乗り帰って来ました。小淵沢は連休で乗客多く雨で薄着の人は震えていました。

今回の山は天候に恵まれのんびりの計画でしたのでお金はかかりますが、体は疲れませんでした。皆さんお疲れ様でした。

上高地発930・・・松本着1120/発1426・・・小淵沢着1544/発1617・・・立川着1825

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